無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「二本立て・三本立て」

Gさん(仮名)「今回のお題は、映画の話ですね?」

ごいんきょ「そうそう。二本立て興業とか無くなったろ。あの『風の谷のナウシカ』とか『うる星やつら』映画版にだって、同時上映の映画が有ったんだからな、あの頃」

 

G「特に子供向けの映画は、何本も見られるのが当たり前でしたね。なんで無くなったんでしょうか」

ご「と言うかさあ、そもそも映画興行で、複数同時上映っていう方が特殊だったのよ。それぞれ趣味嗜好も違うんだから、或る映画を目当てで行っても、もう一つも面白いなんて事はむしろ少ないだろ」

 

G「そうですよねえ。一つの映画だって外れが多いのに(笑)」

ご「な?(笑) それが二つも三つもとなれば、当然、更に質も落ちるわけよ。それで、どんどん映画の力が落ちていくって事は、当の映画関係社だって最初からわかっていたんだ」

 

G「では、なんでそんな羽目になったんですか?」

ご「元々、戦後の映画界は、大映東宝、松竹の三社が中心で、しかも緊密に連携を取って共存共栄していたんだ。二本立て興業も、この三社の間で、質の低下に繋がるからやめようという取り決めが有ったの。

  ところが昭和22年の秋に、この三社協定が独禁法に触れる恐れ有りと、公正取引委員会が審理しだしたんだな」

 

G「へえ。それはまた、なんでなんでしょうね」

ご「それが一寸調べただけだとわからない。映画館側か、はたまた制作他社側かわからないが、いずれにしても関係者が訴えたとしか思えないんだけどね。

  いずれにしても翌23年5月に、正式に違反と審決されたんだ」

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G「大映、松竹、東宝は勿論、新規の日活はおろか、映画館側まで否定的な談話を残してますね。一体、誰がこんな問題を起こしたんでしょう?」

ご「もう一社、名前が出てない所が有るだろう」

 

G「………東映…ですか」

ご「もしかしたら…な。ただ実際問題として、この二本立て解禁で最も得をしたのは東映だったのよ。この審決を受けて、昭和25年頃からチラホラと二本立てが見られるようになるんだけど、東映はやはり非常に早かった。

  最も顕著になったのはGHQが出て行って時代劇をなんの遠慮も無く作れるようになってからで、二本立て時代劇で一時代を築くんだな。新興だった東映が、アッと言う間に三社に追いついてしまったんだ」

 

G「東映が二本立てをやりたがったんですかね」

ご「公取委に訴えたのが東映か、或いはその差し金かはわからないけれど、既存三社に対抗するために、二本立て興業はやりたかったはずだよ。とにかく東映の二本立てが当たり、各社とも嫌々ながらやらざるを得なくなってしまうんだ。

  昭和33年に、とうとう松竹の会長までが二本立て宣言をした事に、新東宝大蔵貢が懸念を表明している。『よそが二本立てを真似してきたらウチは三本立てでやりますよ。その体制はちゃんと出来てる』と東映専務に言われていたと。そうなると他社も追随するだろうが、その結果は恐るべきものになるとな」

 

G「実際その後、三本立て興業も普通になってしまいますね」

ご「そして大蔵の懸念通り、映画界は見る見る衰退してしまった。それも、肝心の映画がどうしようも無く質的低下してな。

  映画界が三本建て時代に踏み切ったのは、仲間内の競争だけでなく、”テレビ”という最大の敵に追い立てられた事も大きいが」

 

G「その後も、子供向けの映画では複数立てが当たり前でしたね、昭和時代は」

ご「子供は質より量ってとこ有るし、東映まんがまつりとかは、上手いやり方だったとは思うよ。東宝もチャンピオンまつりで対抗して。

  ナウシカとかうる星やつらにまで同時上映作品が付いていたのは、その名残なんだろうな」

 

*1:昭和23年5月14日付読売新聞

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