挿しす世相史『皇太子妃が正田美智子さんに決定と発表される』
昭和33年11月27日(木)、皇太子殿下(今上陛下)のお妃様が、皇室会議での全員一致での賛成により、日清製粉社長令嬢の正田美智子さん(現皇后陛下)に決定しました。
新聞報道としては、先ず前日の26日夕刊に、翌27日午前十時の皇室会議にて決定し発表されるという報道が有りました。
皇室会議の顔触れは、岸信介首相、星島二郎衆院議長、椎熊衆院副議長、松野鶴平参院議長、平井参院副議長、田中最高裁長官、小谷最高裁判事、宇佐美宮内庁長官、高松宮殿下、秩父宮妃殿下の十名でした。
そして翌日の朝刊では、一般に発表されるのが正午だと報道されます。
この時の皇室会議は戦後二度目のものであり、最初のものは、11宮家の方々の臣籍降下を決定したものでした。
今般、皇位継承者の減少に伴い、この時の宮家を復活させる案も取り沙汰されております。
そして27日11時半に宇佐美宮内庁長官より、皇太子妃が正田美智子さんに決定した旨の発表がされました。
そして「ミッチーブーム」が巻き起こり、ご成婚パレード見たさに、かねて垂涎のテレビを思い切って購入する家庭が増え、普及に弾みが付いたのでした。
最初のテレビアイドルは、後の皇后陛下だったという分析も可能かもしれません。