無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「民謡」

Gさん(仮名)「先週の”浪曲”に続いて”民謡”を扱おうと思いますけど」

ごいんきょ「日本の戦後歌謡というと、どうしてもアメリカ様の影響で、洋楽が台頭してきたんだな。総じて”ジャズ”と呼称していたけど」

 

G「必ずしも今日で言う”JAZZ”に限らず、洋楽はかなり幅広く”ジャズ”と呼ばれていたんですね」

ご「戦中、長く洋楽は御法度扱いだったから、抑圧されていたものが解放されたというのが大きかったんだろうけどな。

  片や邦楽と呼ばれるものでは、今で言う”演歌”の流れに有るものが主流だったのだが、昭和30年代に入ってすぐ、そうした流れを一新する超新星が現れる」

 

G「三橋美智也さんですね」

ご「そうそう。何しろ出す曲出す曲大ヒットで。しかも、所謂歌謡曲にとどまらず、民謡をもヒットさせたんだ」

 

G「三橋さんは元々が民謡の人でしょ」

ご「江差追分の家元を叔父に持ち、五歳の時から習っていたんだからな。申し子ってやつよ。

  そして、歌謡曲で売れ始めると当の”江差追分”始めすぐに民謡も出し、”相馬盆唄”なんか十万枚売ったんだから。当時の十万枚と言ったら、今の百万枚の価値は有るんだよ」

 

G「民謡と歌謡曲との垣根を取り払った大スターですね」

ご「三橋は自己プロデュース能力も長けていた。津軽三味線も、彼が自らテレビディレクターに売り込んで、弾きながら唄うようにしたんだ。それも物珍しくて受けた」

 

G「昭和50年代に入ってからは、ミッチーブームなんてのも有りましたね」

ご「最先端のディスコ、DJに呼応させて、売り出し方を変えた。同じキングレコードの春日八郎とは、まるで正反対の佇まいだったな。

  とにかく、彼の功績も有って、昭和30年代には民謡ブームのような空気が巻き起こったわけよ」

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G「民謡が受けたなんて、今では考えられませんね」

ご「”浪曲”の時にも言ったけど、西洋的リズム感の無い人間が日本人には多かったから。だから、この手のものに需要が有ったんだよ。

  逆に今は、そうしたリズム感が当たり前に涵養されているから、浪曲だの民謡だのは、乗りが悪くて受けない」

 

G「キンカン素人民謡名人戦なんてのも有りましたね」

ご「昭和36年からだから、歌謡曲歌手が歌うのは一段落ついてたかな。だけど民謡の需要が無くなったわけではなくて、ソノシートなんかは地道に売れたし、愛好家は無視できない人数がいたんだな。

  NHKでも”若い民謡”とか、民謡番組は絶やさないようにしていたんだよ、昭和時代には」

 

G「やはり平成になって、リズム感の無い世代が減って行っているという事が大きいんでしょうね」

 

*1:昭和32年2月12日付読売新聞