無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

我が渾身の国防論  ~参院選に絡めて

 うちの選挙区は、自民、野党連合、幸福の科学という顔触れである。

 これのどこに投票しろと言うのか?

 

 まず自民党

 今回の参院選で大勝すれば、改憲発議が出来るし、正常な日本政党人であれば、それを目指し、広く公論に訴えねばならない。

 ところが、こんな千載一遇の好機に、なしのつぶてである。

 ワタクシは安倍晋三改憲する気など微塵も無い事は見抜いているから驚きもしないが、従って投票もしない。

 こんな好機に座している連中に投票などしたら、先人に申し訳が立たぬ。

 勿論、それ以外にも自民に投票しない理由は有るが、多過ぎて書き切れたものではない(笑)。

 

 次に野党連合。

 これまでのように共産党が単独で候補を立てていたなら、恐らくワタクシは、前回衆院選のように、共産候補に入れたと思う。

 理由は複数有るし大した事ではないからいちいち書かないが、とにかく共産党が野合し始めた段階で、ワタクシは一切の興味を失った。

 あれほどワタクシが警告していた、社会党への道を愚かにも辿り始めた。

 共産党は、「確かな野党」だからこそ、少しずつ人気を回復していたのである。

 自らの存在意義を見失うような輩に、更に手を差し伸べる程ワタクシには義理も無ければお人好しでもない。

 

 そして幸福の科学… に関してはべつにいいだろう(笑)。

 かつての共産党のように、どうせ当選しないからと幸福の科学に入れるというわけにはいかない。ワタクシは共産主義も嫌いだが、宗教はそれにも増して大嫌いだからだ。

 という具合に、投票したくなる所なんざ有りはしないのである。

 有りはしないどころか、どこに投票しても国体を歪め、日本に仇為す結果となる。

 これで投票しないと、いろんな攻撃の言葉が現出してくる。

 こんな連中に投票する事が、そんなに大事な事なのだろうか?

 

 ワタクシはこういう場合、徹底的に棄権して、参政率を下げるという抗議の手段も有ると思う。

 きちんと奴隷のお前らにも選択する機会は与えたからなと、支配者側にお墨付きを与える必要は無い。

 先にも書いたように、今の政治制度なんか、旧来の支配者側が利権を手放さないための方策に過ぎないのだ。

 でなければ、なんで財産で政治参加資格をふるい分けるものか。なんで参政資格を無試験で決めるものか。

 そこに疑問を呈さないカスゴミも、評論家も、司法も、みんな馬鹿か盲か提灯持ちなのだ。

 

 政党政治制への根本的な不信は置いておいても、今回の場合に改憲を訴えない連中には絶対に投票などしない。

 ワタクシが高校の頃、局や番組名、日にちなどは忘れたが、アメリカ軍人(厳密な所属は忘れた)を数十人集めて、意見を聞くという番組が有った。

 たしか家族は居なかった時間帯だから、昼間の番組だったのかもしれない。

 そこで男の司会者(局アナか)が、一人の若者にこう質問したのだ。

 

「(安保条約上)日本はアメリカの事を守れませんが、あなたは日本が攻められた時に守ってくれますか?」

 その時の、高校生だった視聴者のワタクシの気持ちを推し量れる人がいるだろうか。

 

 顔から火が出る思いとは、正にあの時の事だった。

 今や人生半世紀以上過ごしてきており、数多くの恥をかいてきているが、「顔から火が出る思い」を感じたのは、後にも先にもあの時だけである。それもテレビの前で。

 人間だから、失敗はする。恥もかく。

 その時には穴が有ったら入りたいような、身を隠したい、いたたまれない気持ちにもなる。

 けれど、己の未熟や無知でかく恥は、人間なら誰でも何時でも何処かで有り得る事だから、突き詰めれば落としどころが有る。自分も、周りも。

 ところが先の質問は、未熟とか無知の問題ではない。生きる姿勢そのものの問題なのである。

 「俺たちはあんたらの命なんか知らないけれど、俺たちのためには命を投げ出してくれるんだよな? そういう条約だろ」という言葉を、実際に命懸けで訓練している、他国の若者に投げているのである。

 

 ワタクシがそのアナウンサーの立場だったら、「私はこれは言えません」と、絶対に断る。左遷されても良いが、実際にはもう少し適当な文言を自分で考えて交渉するだろう。

 あんな言葉を彼が吐けたのは、きっと、何も考えていなかったからだろう。

 実際に条約がそうなっているのだから、そういう風になりますよねという、事実確認をしただけのつもりだったと思う。

 しかし、それがどれだけ馬鹿の吐く文言なのかという判断も出来なかったのは、情けないの一語に尽きる。いくら無知・無垢とは言え、小学生ではないのだ。

 

 その米軍人の若者は、とまどったような笑いのほんの一瞬の後に、「勿論です。日本を守りますよ」というような事を言ってくれた。

 だが、ワタクシにはその笑いが一種の嘲笑の様に感じられた。

 もちろん彼自身は、ただ戸惑って、間を埋めるために軽く笑っただけである。それは間違い無い。侮蔑とかあざけりは微塵も無い、素晴らしい若者だった。

 あくまでもワタクシの中で、嘲笑されても仕方無いと感じただけである。

 大体、ほんの一瞬とは言え躊躇が有ったのは、「よくそんな質問できるな」といった感じの呆れは有ったろうと推察するのだ。

 今も昔も、カスゴミはカスゴミなのである。

 

 この時にワタクシの国防意識は芽生えた。

 自分の国は自分たちで守るものじゃないのかよ、という事だ。

 件の質問には、なんの意味も無いではないか。

 アメリカが日本を守ろうが見捨てようが、どうでも良い、関係のない事である。日本が攻撃されれば、日本人が守るしか無いではないか。

 その時、もしアメリカがこちらで守ると言ってきたら、我々の問題だからと断るくらいで当たり前だろう。

 そんな事を高校生のワタクシは痛烈に感じたし、その思いは今も一分も変わっていない。

 そんなワタクシだから、こんな時局に改憲を真剣に日本人に促さない連中には、右も左も無い。どちらも屑である。

 

 さて、些か話がずれるようにも感じる話題として、小林よしのりあたりも最近よく話題にしている、老人の安楽死問題にも絡めてみたい。

 結論から言ってしまえば、ワタクシは、一定年齢層による尖端国防軍の創設を訴えたい。

 戦争一般について書き出すと、これが異常に長くなってしまうので、いつかは書きたいと思いながらなかなか書き切れていないし、だからここでもそれは端折るが、とにかく逆ピラミッドの逆底辺を少しでも削らなければならない状況で、そういう人材が集まった尖端部隊が有れば、これは或る意味で他国の脅威だろう。命を惜しまぬ事は疑い無いのだから(笑)。

 今の戦闘は所謂ハイテクを用いたものも可能であろうから、そういうもので、しかも命の危険は高い事を、そういう一定年齢層が請け負うようにするのだ。勿論、有志で。

  そのためにも、先ずは改憲を実現させねばならぬ。

 尤も、解釈改憲でなんでもできると屑首相が前例を作ってはいるが。

 

 人間、いつかは必ず死ぬものだ。

 ダラダラ生きているうちに、自分では死に場所も死に時も選べなくなってしまうかもしれない。

 それよりは少しでも日本の為にと思う人間は、出てくるのではないか。

 かく言うワタクシ自身、言い出しっぺの責任として、ワタクシが60を超えてからもしこれが実現し、充分任務遂行が可能な健康状態であれば、3ヶ月の身辺整理の後に馳せ参じる事を確約しよう。

 幕末の、攘夷や国防のために身を投げ出した人々の意気を読むにつけ、ワタクシは一種の羨望を感じて仕方ないのだ。

 

 伊達に技術は進歩していない。貴重な若者の命を危険に晒す事は無い。

 国防と、老人構成比問題と、老若分断工作への対処とを兼ね備えた画期的案だと自分では思っているが、果たしてどうだろうか。安楽死の実現なんかより先に、ワタクシはこちらを訴えたい。

 と言うより、安楽死などは考えなくて良い社会を作らなければならないし、それはかつてのような所得再分配が健全に機能している社会であれば可能なのではないか。

 安易に安楽死の実現を訴えている奴は、やはり非道だと思う。