麻雀回顧「小池一夫」
第51回共同通信杯
今週もアカン。まあ、狙いに行ってるから当たり前なんだけど。
いつになったら片目が開くのだろう。
麻雀回顧「小池一夫」
Gさん(仮名)「今回は傘寿を超えて尚ネット上でも意気軒昂、小池一夫氏ですか」
ごいんきょ「あァ、そうなンだッ!」
G「変換が面倒臭いから小池口調はやめませんか(苦笑)」
ご「ATOKで小池口調変換とか出してくれればいいんだけどな(笑)」
G「本人はどうやって入力してるんでしょうね(笑)。小池さんも、初期の麻雀マスコミでけっこう活躍した人でしたね」
ご「そうだなあ。わりと早くから名前は出ていたけど、最初に前面に出て来たのが第四期名人戦だな。そこで決勝に残ったんだ」
G「第四期というと、古川凱章名人への挑戦で、石本洋一名人が誕生した年ですね」
ご「昭和48年だ。当時は”小池一雄”名義だったがな」
G「あらー。正に『子連れ狼』がテレビで大当たりした年じゃないですか」
ご「そうなんだよなあ。小池一夫絶頂期と言えるんじゃないのか。やはり勝負事ってのは、人生の運が大きく左右するのかもしれんねえ」
G「それでも名人は取れなかったんですから、実力を磨く事の大事さが無いという事ではないですね」
ご「勿論、小池一夫も素人としては段違いに上手かったわけだがな」
G「どんな麻雀だったんでしょう」
ご「彼もブーマン上がりなのよ」
G「花登筐さんもそうでしたっけ。ブー麻雀出身の強豪って多かったですね」
ご「ブーマン出身者の最大の特徴は、鳴きが多いって事だな。そして、それが急所を突いた鳴きだったりする」
G「で、鳴きが多いという事が打点が低いという事にならないんですよね」
ご「ブーマンで求められるのは、最初は速さだけど、次には一気に三コロを決める長打力だからな」
G「その両方を鍛えられるわけですから、ブーマン出身者は強かったわけです」
G「やはり運も良かった頃ですから、面白いように牌が寄って来たんでしょうね」
ご「阿佐田哲也、清水一行、照井保臣の三人と打った時なんか、いきなりホンイツ満貫の連発だったからな。清水一行が、”八百長みたいによく和がるな”とボヤいて(笑)。勿論ぶっちぎりのトップ」
G「まあ阿佐田さんと照井さんは、言ってみればホストですからね。事実上は清水一行氏との一騎打ちみたいなものでしょうけど。
照井さんって健在なのか検索してみたら、プロ雀連の顧問やってるみたいですねえ」
ご「あそこ顧問が多すぎだろ(笑)、名誉職なんだろうけど。
照井保臣は、小島武夫のゴーストライターやってたんじゃなかったっけ?」
G「あ、そうだったんですか。小島さんって学歴無しで雀マネになったはずなのに、随分と小説が上手いなと思ってましたが(笑)」
ご「灘麻太郎も、そこそこきちんとした物語を書いていたけど、あれも誰か別人の筆だったんだろうなあ(笑)」
G「週刊ポストでも、清水さんと小池さんが闘ったようですね」
ご「ポストの五週勝ち抜き麻雀な。あれ、いつの間にか無くなってたなあ。いろんな芸能人が参加した、華の有る企画だったけど。古川凱章が古巣の小学館で担当して。
あれで、女新選組隊長の沢村美司子が四週勝ち抜きまで行ったわけ。で、五週目の相手が清水一行と小池一夫。こんな並び有るかい、ポストの麻雀で(笑)」
G「いやー、有名人麻雀大会だから、いつもご愛敬の人が殆どでしたよねえ。なんですか、その名人戦みたいな顔触れは(笑)」
ご「あれって半荘2回で2位までなら勝ち抜けるんだけど、一回戦は清水一行がオーラスで倍満ツモ。二回戦では小池一夫が三倍満を和がって、沢村美司子はハワイ旅行の日程まで空けていたのにパアになって、読者からポストの陰謀だと抗議が来たという(笑)」
G「やはり強かったんですねえ、当時は」
ご「いや、運の強さばかりではないよ、勿論。その阿佐田を交えて打った時に、照井保臣が3万を切ったのを見てから、小池一夫は1・4万待ちのリーチをかけるわけ」
G「あー、照井さんが1・3万からのカンチャン落としだったんですね」
ご「そう。そういう打ち方もきちんとしていたの。この時は、照井も本職だから、すぐにピンと来て1万を最後まで切らなかったんだけど」
G「うーん。コクが有りますねえ。今の麻雀大会で、そんなコクは楽しめないと思うんですよね(苦笑)」
ご「麻雀人口そのものが大きく縮小してしまったからなあ。当時は、有名人雀豪なんて言っても、プロ級の人も結構いたのよ」
G「先日ここで話したシニアリーグをぜひ実現させて貰って、小池さんの打牌もまた見てみたいですよねえ」