無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

こちら葛飾区亀有公園前派出所の最終回を生きて見られるこの日が来るという事を十年前には考えられなかったけれども三十年前くらいだったら想像できない事でもなかったかもしれないが少々寂しい事は間違い無いもののそう言う資格も無いのかもしれないワタクシの思いを書いてみる

関修一郎 対 佐川睦夫 を予想する

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 関は、最初は元日拳の睦夫であるから投げに弱いかもとあたりをつけて投げ技を使おうとするかもしれなかった。

 ところが、徳夫が日拳でも川上を投げ飛ばせるほどの技を見せてしまった事が、睦夫には災い、関には幸いした。

 

 容易に投げを決められぬと悟った関は、万全の構えで睦夫を落としに掛かる。

 その時、吸血鬼・睦夫の噛み付きが炸裂し、関の腕は重大な損傷を抱えてしまう。

 とは言え、二回戦で上杉と空手対柔道の最高決戦となる可能性を考えて、対打撃対策もしてきている関に、睦夫の仕掛けも容易に通じない。

 

 焦れた睦夫が、片腕が使えなくなった関にその死角から投げ技を仕掛けに入ろうとした瞬間、巨体の関が瞬間的に見せた蟹挟みが決まり、睦夫は転倒、強か頭部を打つ。

 そのわずかな一瞬で関の首四の字が決まり、睦夫は落ちてしまうと見ている。

 だが、関も二回戦を前に大きな痛手を負った。どれだけ回復できるかも焦点となる。

 

 

 こちら葛飾区亀有公園前派出所  

  とうとう終わりか。師匠のゴルゴ13の方が長く続く事になってしまったな。

 それにしても、物事には終わりが有るのだという事を思い知らされる季節が到来している。

 ワタクシが子供の頃に不動と思われる人気だった大橋巨泉が死んだり、あのサザエさんすら一桁の視聴率に喘いでいると苦戦を伝えられたり。

 

 こち亀が始まった時に感じた事は、やたら長い題名がわざとらしいなという事だった。

 これは、「こちら葛飾区」で切って、「亀有公園前派出所」とワタクシは読んでいたのだが、最初に映画化された際(せんだみつお主演だったか)、劇場での客寄せ音声が、「こちら葛飾区亀有」まで続けて、「公園前派出所」としていたのを覚えている。

 あれって「亀有公園」の前の派出所って事でしょ。だから「亀有公園前派出所」が主たる題名というワタクシの捉え方が合っていると今でも思うのだが。

 

 あと思ったのが、「山止たつひこ」という初期の筆名ね。なんとも安易な名前だなあと。

 漫画題と筆名と、共に安易な感じで、やっぱり最初の頃はさほどに面白くもなかったので、ちょっと斜に構えて読み始めたと思う。

 『がきデカ』という、ここでも既述のギャグ漫画の一大転機となった漫画が正に大人気の最中の、作者名・山上たつひこをそのまま弄った名前なのだが、こんなに長く続くとは思わずに安易に付けたのではあるまいか。

 

 最初の頃は、両津とか戸塚とか、およそ有り得ない警官の姿そのものをギャグの題材としていた。中川も、両津とは反対方向でのそういう存在だった。

 それに上司の大原部長が、人の良い昔ながらの警官として突っ込み役で場を締めるという構造は、少なくともワタクシが読んでいる間は不変だった。

 警官という存在を弄りの対象にするという事は、当時としては内部的には結構な勇気と決断を要したのではないかと思う。

 下手をしたら雑誌社そのものが嫌がらせをされかねない。だから暫くの間は、絶対にアニメ化されない漫画と考えられていた。

 それが年数の経つうちに下町ホノボノ路線もやるようになり、長期連載も有って世間的に認められ、両さんが親しまれるようになると共にテレビ化の障害も消えていった。

 

 有り得ない警官という視点でギャグを構築していたのは本当に初期だけで、次第にそういう点に立脚しながらもギャグそのものが光り出してくる。

 今でも「HITACHI」のロゴを見ると、「ハイタッチ」と読んで自分で笑ってしまう。

 検索したら意外な程に多くの人間がその事に触れていて、驚いた。

 あのあたりはもうギャグ全盛期で、毎回毎回、よく練られていた。

 

 それだけ練られて、しかも画期的な笑いを含みながら、それまでのギャグ漫画と違い劇画調に描き込まれた絵で続けていたのも凄かった。

 他のギャグ漫画家に比べて、原稿料が割安すぎなのではないかと他人事ながら心配した。

 そんな描き込まれた絵で、気がついたら連載が十年を超えていた。

 あの頃は今と違って休載なんて無いのが当たり前だったから、その事はまださほど凄いとは思ってなかったが、十年以上も続けてるという事に感慨を抱いた。

 ジャンプの対象年齢低下に伴い、読める漫画が少なくなっていく中で、いつまでも寄り添って居てくれた。

 

 やがてとうとう耐えられなくなり、ドラゴンボールが始まったばかりの頃に、ワタクシはジャンプの購読を止め、それがこち亀との別れともなった。

 単行本は、二十何巻か三十数巻で買うのを止めていたかと思う。

 それでも、時々まだ続いている事実を知り、段々と驚愕してくる。休載が無いのも、驚異となってくる。

 『トイレット博士』のとりいかずよしも、いつまでも連載を続けようと編集側から持ちかけられていたらしいが、作者の意欲の方が先に萎えて単行本30巻の時点で終了となっていた。

 たまに見るこち亀の最新刊が100巻だった時に、とうとうここまで来たかと思ったし、120、150と増えて行くに従い、これはもう、俺が死ぬまでに最終回は見られないかもなサザエさんと共に、などとも考えていた。

 

 連載開始から見てきた人間だが、見なくなってからの方がかなり長い。

 生きて最終回を見られる事に、些かの安堵も混じる。だが、やはり失望も大きい。

 途中から見始めた人はどんな思いなのだろう。

 最初から最後まで、一週も欠かさずに楽しみにし続けていた人はいるのだろうか。

 もし、そんな人がいるのなら、とても羨ましい人だ。

 自分が大好きな作品に、こんなに長く、休まず伴走してもらえるという事は、非常に稀有な事なのだから。