テレビ主題歌音盤史 ~子供向けドラマ編~(21)
妖術武芸帳
TBS系日曜19時からのタケダ提供枠作品です。前番組の円谷プロ制作『怪奇大作戦』が、妖怪ブームから少しだけ離れた、怪奇路線で行こうとしたのに対し、跡を継いだ東映は、”妖術”という路線を模索しました。
妖術という怪しげな術を表現する特撮は、なかなか見映えしたものの、子供たちが支持したのは”怪獣”や”妖怪”という存在なのであって、両者共そこら辺を読み間違えていたように思います。
しかし東映は、すぐにその間違いに気付き、13本で早めに撤退。次作に全く違う路線の物を持ってきて、武田枠に再びの栄光をもたらす事になります。
主演は佐々木功で、かつてロカビリー路線の歌手として売れたものの、その後は俳優となり、それも尻すぼみ気味だった気味だったものが、子供番組とはいえ主演という事で、結構な意気込みだったようです。
それは空振りに終わってしまいましたが、この番組で子供番組路線に舵を切った事が、後のアニソン歌手としての体制を呼び寄せる事になるのでした。
しかし、この番組の主題歌は佐々木歌唱ではなく、尾崎紀世彦のいたザ・ワンダースでした。
音盤は例によって日音による希望全社許諾だったのでしょう、朝日ソノラマのソノシートと、レコード会社五社の共作となりました。
五社というのは、コロムビア、キング、ビクター、東芝の他、徳間がママレコードというレーベルで、この分野に初参入しています。
ジャンケンケンちゃん
TBS系木曜19時半からのライオンこども劇場枠で、それまで
この路線を長年支えていた四方晴美のチャコちゃんが、前作『チャコとケンちゃん』で降板。本作からは宮脇康之の演じるケンちゃんが、名実共に主役となります。
その第一弾である本作では、ケンちゃんはシリーズ中で唯一、一人っ子として設定されており、そのワンパクぶりが遺憾なく描かれております。
主題歌作詞は二名の連名となっていますが、そのうちの”今戸悠”というのは、元朝日ソノラマでソノシート制作をしていた橋本一郎氏だという事が、ご本人のツイート等で明らかになりました。
もう一人の瓜生孝というのはTBSのプロデューサーですので、恐らく今戸の詞を最終的に軽く手直ししたのでしょう。
音盤は、レコードが東芝とコロムビアから、シートがエルムから出されています。
ゼロファイター
南洋の島に有る海軍〇戦部隊が全滅するまでを描くという、大人向けでも当時はなかなか有り得ない内容の戦記ドラマが、何故か30分のドラマとして日曜夕方6時台に放送されたのでした。
元々はアニメ『〇戦はやと』と同時期の昭和39年に制作されていたものですが、アニメはともかく実写では時期尚早と判断されたのか、放映が見送られてしまいます。
そして、テレビ界が完全カラー化を間近に控えた昭和44年になって、ようやく放映の運びとなったのでした。
この昭和44年前後、一時的に放映が見送られていた白黒作品が、最後の機会とばかりに放映実現されたという例が他にも有ります。
音盤はキングレコードが発売しましたが、それがどうも昭和39年の時点で発売されていたようで、その時には誰も知らない番組だった上、45年に実際に放映された時には当然、廃盤だったでしょうから、非常に限られた枚数しか出回らなかったでしょう。
なお、収録曲”大空の慕情”についてジャケットには”主題歌”と銘打たれていますが、実際の番組開始部は歌無しの別主題曲が流されていました。
”大空の慕情”は終了主題歌だった可能性も有りますが、定かではありません。
柔道一直線
『妖術武芸帳』の後番組が、本作でした。スポーツを題材とした特撮ドラマというのは新機軸だったと言えます。
桜木健一が演じる主人公のガールフレンド役の吉沢京子の可愛さも有って、東映初のTBSでの大当たりとなり、武田枠の不振を暫くぶりで吹き飛ばすブームを巻き起こしました。
主演の桜木、相手役の吉沢の他、先輩である結城真吾役の近藤正臣も、27歳にして高校生を演じた甲斐あってか、人気に火が付きました。
音盤は東芝がレコードを、朝日ソノラマとエルムがシートを発売しました。
但し、TBSの番組ですが日音による全社許諾が崩れて、テレビと同じ桜木健一の歌唱は東芝による独占販売となっています。
東芝は桜木による挿入歌シングルと、更にLPも出しており、アニメ編でコロムビアがタツノコプロを落としたとワタクシが推察した場合と同じように、LP盤の発売も権利獲得の条件となっていたのかもしれません。
ソノラマ盤とエルム盤での歌手は葵公彦で、『妖術武芸帳』の主題歌歌手だった人です。
収録ドラマの内容を替えて、ソノラマは二種三枚、エルムも二種の盤を出しており、大ヒット番組だけに音盤も売れ行きが良かった事が偲ばれます。
なお、主題歌作詞は原作者である梶原一騎名義となっていますが、前出の橋本一郎の証言に拠れば、梶原の詞は提供の武田側から不可とされたとの事です。
既にその詞で吹き込みまで行っていた東映は泡を食って、急遽、詞を入れ替えて主題歌を作りかえる羽目となったため極限まで時間が無く、高級しゃぶしゃぶ屋に呼ばれた橋本は、その場で詞を作ってくれと頼まれたのでした。*1
この頃、橋本は朝日ソノラマを既に飛び出しており、ソノラマ時代に培った日音の人脈で、これら作詞の仕事を受けていたとの事です。