無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「肝油」

 「肝油」と聞いて、すぐにどんな物かピンと来る人は、間違い無く昭和40年代以前の生まれでしょう。

 戦直後から昭和40年代くらいまで、栄養環境があまり良くなかった日本の幼児に、補助食やおやつとして多用されていたものです。

 ワタクシも保育園時代に、毎日昼寝前に一粒与えられていました。

 

 元々はその名の通りに油そのもので、鱈や鮫など魚の肝臓から抽出した物だったのですね。ワタクシはどうも、鯨と結び付くのですが。

 そのため、ドロッとして臭みが有り、とても飲みづらいものだったようですが、それを河井製薬がドロップとして製品化に成功し、子供に与えられる機会が激増したのでしょう。

  画像の物は黄色のようですが、ワタクシが与えられていたのは薄紅色の可愛い感じの平たい粒でした。上品な甘さで、とても美味しく、毎日の楽しみでした。一粒だけしか与えられないというのも、愉しみを増幅してましたね、いま思えば。

 

 肝油と日本人との繋がりは、今では多くの人に忘れ去られていますが、結構なものが有ったのです。

 昭和21年4月19日、GHQは日本政府に対し、魚の肝油を輸出するよう奨励しました。世界のビタミンA不足の緩和と、日本の外貨獲得のためという事でしたが、原料が魚類なだけに、日本独特の製品として注目されたのでしょう。

 そして昭和24年には、輸出不振の中で一際注目される製品として、年間200万ドルから稼いでおりました。アメリカではビタミン・オイルと呼ばれ、人造バター(マーガリン)に混入されて好評だったためとの事です。

 

 この時、肝油と共に輸出の優等生だった物がなんだか、お分かりになる方はいらっしゃいますでしょうか。今日の工業国・日本で育った人間には、およそ想像できないものではないかと思います。

 答は、食用蛙だったんですね。

 年間数十万ドルと、肝油に比べるとやや劣りますが、当時としてはかなりの量(数百トン)が輸出されています。

 その頃、アメリカで高級料理として珍重されていたとの事ですが、農家の子供らが捕まえては、家計の足しにしていたのでしょう。

 今では日本人でも、食べた事が有る人間は珍しいでしょうね。