挿しす世相史「永井荷風死去」
昭和34年4月30日(木)午前8時10分頃、作家の永井荷風が、自宅にて吐血して亡くなっているのを通いのお手伝いさん(当時75)が気付きました。
胃潰瘍による吐血と診断され、享年79でした。
浅草のストリップをこよなく愛し、全財産を常に鞄に入れて持ち歩いていた様は、奇行と称する人もいました。
昭和29年には、その大事な鞄を船橋駅で落としてしまい、奇特な米軍軍曹が届け出るという珍事件も起こしています。
中には通帳や小切手などが入っており、総額1600万円と報道されました。現在の額にすると2億円以上の価値は有るのではないでしょうか。
ストリップと言っても、日劇ミュージックホールのようなヌードダンスと称するものではなく、ロック座を取り分け愛したようです。
最初はただの汚い爺さんと思われていましたが、ロック座の経営側にいた松倉宇七が荷風をたまたま見知っていたため、それからは木戸銭無用で出入りできるようになったのでした。
そのうち『渡り鳥いつかへる』という人情劇(!)をロック座のために書き、自らチョイ役で出演するという事までしています。
楽屋も出入り自由で、お風呂も一緒に入ったりしていたといいますが、踊り子と出来てしまうといった話は無かったようです。
舞台が終わると踊り子たちを連れてご馳走したりしていたのですが、コメディアンなどが付いていっても、「私は男にはご馳走しません」と、峻別していたという事です。*2