昭和唱和ショー「御巡幸」
日曜のゴー宣道場を見ていたのですが、中で高森明勅が、「被災地を訪れた天皇は歴代で初めて」と今上陛下の事を言っていたと思います。
これは自然災害の被災地という意味で言ったのだと思うけれど、なぜ先帝陛下の御巡幸について、付加的にでも触れなかったのか、非常に違和感を覚えたものです。
言う間でも無く、歴代天皇の中で最初に被災民を見舞われたのは昭和天皇であったはずです。
それは戦災に途方に暮れる人民に、希望を灯すものだったのではないでしょうか。
この記事に「自ら神話と伝説を否定遊ばされた」と書いてありますが、大嘘、もしくは読解力の無い大馬鹿の所業です。
「人間宣言」などどデマ喧伝された昭和21年1月1日の詔書は、次のようなものでした。
新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ - Wikisource
「天皇は国民と共にあって、常に喜びも悲しみも分かち合いたいのである。天皇とあなたがた日本国民との結び付きは、単なる神話と伝説とによって生じるものではない」と仰ったものではあります。
また、「『天皇を現人神と頂く日本民族は他民族に優越して世界を支配すべき運命である』という架空の観念に基づくものでもない」とも仰っています。
それでも、皇族が神話から連綿と繋がる御一族であるという事は否定されていません。
「人間宣言」と言うよりは、「象徴宣言」と言った方が良いのではないかとワタクシは感じています。
この「象徴宣言」にしても、それに続く「御巡幸」にしても、GHQの意向が作用していたのは疑いの余地の無いところだと思われます。
但し、昭和天皇のお気持ちに著しく反したものでなかった事も確かでしょう。
ちなみに、天皇が外出される事を「御幸(みゆき・ぎょこう)」とか「行幸(ぎょうこう・ぎょうごう)」と表現し、行き先が複数の場合に「巡幸(じゅんこう)」と表現するのですね。
近年、マスコミなどはあまりこの言葉を使わなくなったように思います。
ワタクシが入手しました「皇室関係用語集」(フジテレビ)を紐解いてみますと、やはり思った通りでした。
「巡幸」「行幸」「行啓(ぎょうけい・ぎょうげい=皇族の外出)」は、「ご旅行(国内)」「ご訪問(海外)」と言い換えるように指導されています。
このような指導は、誰が、どの様な意図で行っているのかが見えないところにワタクシの不信感は募ります。
昭和天皇の御巡幸は、今上陛下の御巡幸の規範となったものではなかったでしょうか。
そして、原爆が落とされてまだ二年半しか経っていない広島にも行かれているのです。
当時、まだ放射能の影響なども誰も解らなかった時代に、陛下自らが広島をご訪問なさっていたという事実。
とても、被災地を歴史上初めて訪れた天皇が今上陛下であるという言葉だけで済ませて良いとは思えません。
今上陛下には、昭和天皇というお手本が有ったのでした。
そして、先のお言葉は、きっと次代の天皇へもそれを託していたのだろうと、畏れながら拝察しております。