無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

保毛尾田保毛男をどう扱うべきなのか

Gさん(仮名)「とんねるずの”みなさんのおかげです”で石橋貴明が演じていた保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)が、なんか炎上したみたいですね。

  中でも象徴的なのが、ウーマンラッシュアワー村本と、駒崎弘樹という人のやり取りなんですが」

 ご「面倒臭い話題だなあ(苦笑)。差別問題って、地雷が多いからあんまり触れたくないんだよね(苦笑)」

 

G「保毛尾田保毛男は面白かったですかね、当時」

ご「実は今、色々と断捨離していて、過去のビデオも色々と整理中なんだけど、”おかげです”も何本か出てきて懐かしいんだよな(笑)。勿論、その中には保毛尾田保毛男もあるけれど、面白かったよ」

 

G「何が面白いんです?」

ご「村本っていうのは正常な人間ではないみたいだからアレだけど、みんなが笑っていたのは石橋貴明だという部分は正しいね。あれは”保毛尾田保毛男”という存在の可笑しさなんだよな。貴明の喋り方とか仕草、そういうもの全てが笑いに繋がっている」

 

G「でも、仕草にしても喋り方にしても、同性愛者を真似て笑い者にしているわけでしょ」

ご「いや、違うよ。そういう捉え方が浅すぎるんだよ。保毛尾田保毛男は、ホモではない、正確に言うと、ホモかどうかはわからない人物だから」

 

G「ああ。『そうじゃないか、って言われてます』っていうのも笑い所でしたね(笑)」

ご「そう。だから保毛尾田保毛男はどういう人間を笑い者にしているかというと、同性愛者とは限らない、女みたいな仕草をしている青髭の男の、一見した気色悪さを笑い者にしているわけ。

  だから、同性愛者よりはむしろ、わしのような人間を笑い者にしているわけで、実際、当時は内心ドキッとするものが有ったよ」

 

G「衝撃の告白ですね(笑)」

ご「だからって、そんなものを一々差別的だなんだって訴えたって仕方無い。耐えるしか無いんだ。そして人間社会、耐えるしか無いって事は無数に有るんだよ。わしも幾度も、いろんな事で経験している」

 

G「駒崎氏は、”現に痛がっている人に痛がるなという権利は無い”と言ってますが」

ご「そりゃそうだな。痛いと感じるのは仕方無いし、痛みを訴えるのも自由だし、それに賛同する人が居るのも自由だ。

  だが一方で、そういう表現を楽しみたい人も自由な訳だ」

 

G「リベラル、自由というものを考察すると行き当たる矛盾の命題ですね」

ご「わしは、この手の事にはとっくに回答を出しているんだよ。”存在を否定されるのは存在を否定する者のみ”とな」

 

G「はあはあ。例えば人を殺す事は、存在を否定するわけだから許されないと」

ご「ああ。だからこの場合、どちらが存在を否定しているかと言えば、明らかに否定派の方だよな」

 

G「でも、それなら人種差別とかも許される事になりますが」

ご「うん。完全に存在を否定されて良いとは、わしは思わないのね、実は。そういう人間が一定数存在するという事実は、否定し得ないだろうと。もし、そういうものを完全に排除しようとすると、思想統制とかロボトミーとか、そういう人間否定の方向に行くしか無くなるんだよ。

  人間という存在は、善の部分と悪の部分とを併せ持って成立しているわけ。この大前提に蓋をして議論、実行すると、必ず破綻する」

 

G「すると人種差別とかを無くすにはどうすべきと考えているんですか」

ご「だから無くせないんだよ、完全には。そこを認識しないと、次に進めないよ。

  完全に人種差別を無くそうとすると、先に言ったように脳改造とかそういう事に行くしか無くなるの。そして、それこそが人間否定なのよ。わしは、それにこそ大反対ののろしを上げるのね。

  完全に消滅させる事は出来ないが、目立たなくする事は出来るだろ。社会制度を充実させるとか、国際的なものを含めて法を整えるとか。勿論、法整備する際には権利と尊厳の確保に留意すべきではあるが、差別する人間の抹殺に繋がらないようにしないとならない。

  そういう地道な行動をしていけば、自然と差別反対の人間が大多数になっていくだろうし、現状そうなっているよな。そこまででいいんだよ」

 

G「今回の保毛尾田保毛男の件はどうでしょう」

ご「LGBT差別に関しては、現状は、まだ差別反対者が大多数とか、そう言い切れる次元でもないからな。だから、差別反対者が訴えるのもわかるが、わしの率直な感情としては、首肯しかねる部分も有る。そして、わしとしては、そういうわしの意見が抹殺される世の中というのも怖い」

 

G「難しいですねえ、それぞれ意見が違うわけですから」

ご「だから基本は、”存在を否定されるのは存在を否定する者のみ”で行くしか無いと思うのよ。

  わしは、LGBT差別を訴える人間が居てもいいと思うし、オカマはキモイから表に出てくるなと考える人間がいても仕方無いと思うし、どちらも自分の意見を出して良いと思う。

  その結果、或いはその人間は逆に蔑まれるという事にもなるだろうが、それを背負ってでも気持ちを変えないなら、それはもうどうしようもない。日本だけでも一億以上の人間が居るんだから、そういう人も居るんだからな」

 

G「つまり、保毛尾田保毛男はこれからもテレビに出てもいいじゃないかと」

ご「地上波のテレビは公共の電波を使った、しかも今やインフラとも言える普及率のものだから、社会的立場がかなり特殊だな。そういう存在は政治家などと同じで、より厳しい規範が求められても仕方ない。

  だから、LGBT差別を訴える人間が増えて、テレビ側がそれを無視できないと判断した場合には、見られなくなるのもやむを得ないだろう。

  だが、舞台やネット、ソフト販売でまでそういう存在そのものを完全に否定しようとする動きがもし出て来たら、わしはそれには猛烈に反対表明するよ」