無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

オバマ広島訪問に逆張りする人たち

  現職のアメリカ大統領としてオバマが初めて広島訪問し、ニュースに於いて話題となっている。

 ワタクシも、それはそれで一つの、いや、半歩以下なのかもしれないけれど、進歩ではあるだろうと思っている。

 けれども世の中には色々な人がいるから、わざわざこういう事にも逆張りしてイチャモンを付ける人々もいる。

 

 それでも長谷川豊の場合は、文章構成に一応の配慮が見られるし、その内容にもなるほどと思える部分が有る。

広島にお住まいの方は皆さん、ご存知ですよね。興味もない小学生であっても、見学するのに1時間ほどはかかる資料館です。

その資料館を…

オバマ大統領は…

わずか、10分ほどの見学時間で出てきました。

そして、そのまま平和公園に歩いていきました。そして、あっという間に、原爆の碑に献花しました。花を手向けました。顔だけは、いかにも神妙な顔をして。

原爆資料館を…オバマ大統領は…スルーしたのでした。
写真なんて見ていない。
資料なんて見ていない。
要は「立ち入った」という実績を満足させるために、入り口から出口まで、流して歩いて、そのまま出てきたのでした。 

  現地で見ていたと言う長谷川による貴重な報告で、これは価値が有るし、別の見方を促す題材にもなる。

 ワタクシもそれを読んだ瞬間には、うむとなったが、しかし短慮は慎むべき事柄なので、一歩引いて熟考してみた。

 とにかく、現職大統領がいまだに広島を訪れていなかったくらいに、アメリカではタブーの事柄である。決して大袈裟ではなく、オバマの命にも関わる。

 命のうちの政治生命に関しては、もう任期間際なので問題無いし、だからこその実現だろう。

 しかし生物としての命の方は、保証の限りでは無い。ましてや発展途上の人工国家、まだまだ後進国のアメリカの政治家であるのだから。

 だから、向こうの世論にも配慮しなければならないだろうし、色々な事を考慮しての事かもしれない。

 

 で、長谷川を始め逆張り連中はパフォーマンスだと否定するのだが、あれって悪いパフォーマンスなのかね? その感覚がよくわからない。

 あのパフォーマンスによって、ああ核兵器を無くそうよ人類はという思いを皆が一瞬でも共有する。意味が無いとは思えない。

 そりゃ、逆張り連中の言うように、アメリカは核兵器大国だし、日本もその恩恵に浴しているし、ワタクシも含め将来的に核武装すべきと思っている人間も多い。

 けれどもそういう人間だって、好き好んで核兵器を持ちたいわけではない。広島や長崎の悲劇が二度と起きないようにという思いを時々に新たにする事は、大いに意味が有るだろう。

 人間という存在は愚かであるから、何も無く時が経つと過去の事例から学ぼうという姿勢を持たない人間が増えてくる。

 個人でも集団でも同じだと思うが、常に自分(たち)に問い掛け続ける姿勢を忘れてはいけないのである。

 政治家がその為のパフォーマンスを演じるのは、むしろ役職に沿っているだろう。

 

 長谷川は現地ならではの事実を提示し、現地の人々の感情に配慮しながら、更に文末に「皆さんはどのようにお感じになったでしょうか?」と入れているので、珍しく公人として恥ずかしくない文章が書けているなと思った。

 問題は、小林よしのり一派である。

 一派と言っても小林本人以外は小林に阿る部分が有るから、武士の情けとして触れないでおく。高森氏を除けば、今回に限らずあまりにも酷い文章が多いが。

 で、小林本人であるが、やたら「公」だ「公論」だと壊れたレコードのように語るわりには、行動がそのご立派な理念からいつもかけ離れているというのは、自覚が無いのか、或いは「公」だなんだは、ただのパフォーマンスなのだろうか。

 個人的に気に食わないのは、最近では平気でAKBの話題を道場のブログにアップしている。その事にまったく疑念が無い。

 AKBなんて下賤な存在に小林個人がノメリ込むのは、苦々しくはあるがどうぞご勝手にという感じだ。彼には個人ブログが有り、以前はそちらにアップしていたので道場のブログを見ている分にはそのような下賤な話を目にせずに済んだ。

 それが今では「公」がどうだこうだという研鑽の場であるという理念の道場ブログに、夥しき「私」の事項をなんの疑問も無く書き込んでいる。

 結局、道場だ公論だなどと言っているのはパフォーマンスであって、その内実にはなんの葛藤も無いのだろう。

 

 彼が今回の事項を「偽善」に感じるのは理解できる。

 少年漫画を描ける良くも悪くも青臭い感性は、往々にして他人の行動が偽善に見えて、逆に苦々しく感じたりするだろう。良く言えば感性が若々しいわけだから、それは仕方無い。

 しかし偽善に映る事も世の中の必要な構成事項であって、大人というのはそうした事をきちんと実行しつつ現実を生きていかないといけない。

 オバマ核兵器を廃絶したいからと言って、アメリカに有る核兵器や施設を十年以内に廃絶しますと公約する事は出来ない。

 こうなってしまっている以上、まずは理念の醸成が先決なのである。

 オバマが「実行する」覚悟が無いとか簡単に非難しているが、あんなパフォーマンス一つでも彼に命懸けの覚悟が無いと、よく簡単に断じられるものだ。

 評論家病に掛かっているとしか思えない。

 

 そして高森氏を除く彼の一派は、現状の日本を「潔癖王国」という言葉で揶揄、非難している。

 そのこと自体はべつに構わない。そういう視点も理解できる。

  潔癖王国に関して書き出すとまた長くなりそうなので置いておくが、そうやって公人でもない他者を俎上に挙げ、論っているわりには自問が見えない文章が並んでいるのは、公人が公論を興そうとしてる場所の文章として、あまりにもお粗末であろう。

 中で高森氏の文章にはいつも公人としての自覚と配慮が有り、それが公論を興す事にも繋がる姿勢だと思う。

 小林は役割分担と考えているのだろうが、「道場」のブログでは公論をもう少し意識すべきなのではないかな。

 小林本人が私に流れると、どうしても執筆者は主催者を阿って、全体が見苦しい私情の空間となってしまう。そしてそれは、彼らが忌み嫌っている空間であるはずなのだが。

 漫画家としての均衡を図りたいなら「私」の方のブログでやれば良いし、そもそもそのために同じ様な内容のブログが二つ有るわけだろう。