無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

挿しす世相史「戦後初の大相撲ハワイ巡業」

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 「トリスを飲んでハワイへ行こう!」という、あまりにも有名な広告惹句が全面広告で踊ったのは、昭和36年9月の事でした。

 

 それは12月10日までの企画でしたが、その締め切りが過ぎてすぐの12月26日の相撲協会理事会で、翌年2月上旬にハワイ巡業を行う事を決定したのでした。

 まさか、トリスのCMを見てハワイに行きたくなったわけではないでしょうが。

 それは大正10年6月に大錦、栃木山らが巡業して以来、なんと41年ぶりのハワイ巡業で、戦後初の海外巡業の決定でした。

 結局、実際には現地の準備が遅れたため、5月29日に日本を出発、現地時間の5月29日到着という日程となりました。

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 この後、昭和39年2月にもハワイ場所が開かれ、その年の春場所二日目3月10日には、前相撲でハワイ出身のジェシーという力士が初土俵。前相撲では続けて二番勝たなければ勝ち星となりませんが、二番ともまったく問題にならない相撲で、見事に初土俵で勝ち星を挙げました。

 彼は結局一番出世となり、夏場所から高見山のしこ名で序の口として土俵を踏む事になります。

 高見山は、外国人初の関取、三役、幕内優勝、そして関脇と歴史を塗り替えていったのは、昭和の相撲を見ていた人間の記憶に残るところです。

 彼はたった一人で、異国の特殊な世界に身を投じての結果として大いに人気を集めました。

 その頃は、まさか日本人が上位番付からいなくなるなんて、誰も夢にも思っていなかったはずです。

*1:昭和36年9月10日付読売新聞

*2:昭和37年5月30日付読売新聞