無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

漫画投句「涼宮ハルヒの憂鬱 就中 27~28話」

 Gさん(仮名)「さて、27話『射手座の日』ですが」

ごいんきょ「これは掛け値無しに凄かった。わしが生まれてから半世紀以上テレビまんがを見てきて、最高の出来だったと言えるな」

 

G「げっ。凄い褒め言葉ですね。何がそんなに凄かったでしょうか」

ご「これは簡単に言うと、コンピューター研究会にゲームでの宇宙戦争を持ちかけられる話なんだけど、登場人物がゲームに没頭している時の描写と、現実でのやり取りと、演出を変えているのね」

 

G「はあはあ。ゲーム上での描写は、そのまま宇宙戦争のような画面ですね」

ご「しかも、現実空間ではBGMが昔ながらのピコピコ音で流れたりと、色々と芸が細かくて面白いんだ」

 

G「はいはい。細かく場面描写してますね」

ご「そういう表現の新しさは勿論凄いのだが、テンポも全く淀みが無いし、放送時間中にダレる部分が全く無く、完璧に放送時間を使い切っているのね。この一本だけで一つのエンタメとしても立派な出来なわけ」

 

G「殆ど最大級の賛辞ですね」

ご「特に唸ったのが、ガンダムのパロディで、『行きま~す!』とか言うんだけど、画面が全部モザイクでな。でも、こういう漫画を見る人間ならみんなわかるわけ(笑)」

 

G「紙の漫画だと珍しくない表現ですけど、テレビまんがではなかなか有り得なかった表現ですね」

ご「そうそう。決して新しいパロディの切り口ではないけれど、所謂ベタな表現としてやっている。しかも、テレビまんがとしては多分、初めてのものなんだな」

 

G「27話はエンタメ的な面白さとして最高だったと。28話、放送最終話はどうでしょう」

ご「これは今までとは打って変わって、とても静かな作品なの。その対比が演出として生きているんだな。それも最終回なわけだから、思い入れが有る人間は、余計に余韻を感じたと思うよ」

 

G「最後の場面のハルヒが可愛かったですね」

ご「そう。なんとなく、ハルヒも普通の人間として生きていけるんじゃないかなと思わせていくんだね、最後の25~28話で」

 

G「作り手側がどこまで意識していたかわかりませんが、人間成長譚になってますよね」

ご「ああ。だからヲタク向けアニメのようで、そこだけにとどまらないものもきちんと有る。

  わし独自の見解としては、”ライブアライブ”が最終回でも良かった気がする。人の役に立つという事に目覚めたハルヒが、人間としての根本に目覚めつつあるという余韻を持たせて終わるからね」

 

G「これ、最終回にしてもおかしくない話が幾つか有りますね。初回放送時には、あの異人の暴走をキョンがいかにもな手で止める話だったようですが」

ご「あれでは、ただのヲタク向けライトノベル。実際、原作の第一弾はそんな感じだったんじゃないの? まったく知らないけれど。ま、そういうのを否定するわけではなくて、若者向けにはああいう単純な展開もいいんだろうけど、あれでは、わしは全く意に介さなかったね。

 ただの独りよがりな万能感に溢れたハルヒという人間が実際に万能だというのは、ヲタクを意識して迎合した設定になっているのよ。ところが、初めて人の役に立った喜びというものを認識できず、自分の感情に戸惑うハルヒというのが、とても良いんだ」

 

G「おっさん視点では、という事ですね」

ご「ああ。人生の酸いも辛いも知り尽くした人間としては、人間というものは、究極、人のために生きているのだといつか理解できなければならないというのが有るからね。そこを描いているし、それがヲタクへの隠されたメッセージにもなっている。原作者も含めて作り手たちが意識していたかどうかも怪しいんだけれど。

  だから”ライブアライブ”も作画だけでなく素晴らしかったし、あれを最終回に持ってきても良かったなと思うんだ。ハルヒが神ではなく、人として目覚めたという余韻でね」

 

ご「無根拠な万能感に支配されている独りよがりなヲタクも、人として目覚めよって捉え方もできるって事ですか。作り手の誰かにそういう視点も有ったのかもしれませんが、であれば、なお凄いですね。

  ところで、”酸いも甘いも”って言いますよね、正しくは(苦笑)」