無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

挿しす世相史「日本に於ける『母の日』の定着」

 今日は5月8日。5月第二日曜日という事で、母の日です。

 日本に母の日という概念が最初に持ち込まれたのはウィキペディアによると大正二年、青山学院らしいですが、青学はご存知の方も多いようにキリスト教の学校であります。

 そのように、かつては日本での母の日は、非常にキリスト教と結び付いておりました。

 本格的に一般まで導入されたのは昭和24年からだという説が有り、上記ウィキペディアでも明言はしていませんが、「昭和24年ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった」とあります。

 今回、この辺の事情を事細かく解説したいと思います。

 

 昭和22年5月、築地本願寺にて宗教連合による宗教平和会議が二日に渡り開かれました。そこで、11月3日を宗教平和日にすることを決定したのですが、もう一つ、その数日後となる5月11日に、母の日を全宗教団体に於いて実施することとなりました。更に、ローマ法王や外国宗教団体にも声明を出すことを決議したのです。*1 

 その5月11日は「万国母の日」と告知されておりましたが、実際には国によって日にちは変わるようで、やはりアメリカの形に合わせたというのが真相でしょう。

 仏教団体がわざわざアメリカの形に合わせてキリスト教由来の母の日を満場一致で議決したというのは、かなり強力な指導者がいたのは間違いないでしょう。有り体に言ってしまえば、GHQの意向だったと思います。昭和22年当時、超法規のGHQに逆らえる存在なんて無かったでしょうから。

 そして11日、都内10ヶ所で「母をたゝえる子供大会」が行われ、そこで子供達が母親に花束を贈っております。記事に明記はされておりませんが、ほぼ間違い無くカーネーションだったと思われます。

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 翌23年の母の日である9日には、各種団体の母親三千人をも集めて、東京都が母の日大会を執り行いました。その代表者は終了後、日本の母という事で、時の皇后陛下に花束を捧げに皇居を訪れました。

 以後、皇后陛下が日本の母として花束をお受け取りになるのが毎年恒例化します。

 また、森永キャンデーストアが母の日のプレゼントを発売し、広告しました。

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 森永製菓創業者の森永太一郎は非常に熱心なクリスチャンであり、既に戦前に森永母の日大会を行っていたという事です。

 

 そして、日本で初めて母の日が行われたという説も強くある昭和24年です。この年の母の日も、今年と同じ8日でした。

 この年は、日本社会事業会館に前年発足した「母の日中央協議会」という所が、街頭にて盛大にカーネーションを売る事を計画。20万本の花を一本十円で売り、救済資金にしたという事です。

 その中に「母親株式会社」というのが有り、社長は京浜急行社長夫人で、全員が富裕階層の夫人のようでした。彼女らが売った花の利益は、全額が孤児と未亡人のための社会事業に使われたという事です。*4 

 母親株式会社というのは通称で、正式社名は別に有りましたが、ネクタイやクッションなどを手芸で製作し、輸出するというのが本業のようで、既にカトリックの孤児院に寄付をしたりの実績も有りました。そして件の母の日には二万本のカーネーションを売りました。

  5月8日というのはアンリ・デュナンの誕生日でもあり、従って国際赤十字デーでもあります。昭和24年の5月8日には、平和を象徴する2つの催しが、同じ日比谷公会堂で同日に行われていたのでした(午前=母の日、午後=赤十字デー)。*5 

 この年の母の日が特別になっているのは、大量のカーネーションが東京の巷で売られた事と、赤十字デーと重なった事に拠るのかもしれません。

  このように、日本での母の日が本格的に定着したのは昭和23年から24年にかけてと考えるべきでしょう。

 

*1:昭和22年5月7日付読売新聞

*2:昭和22年5月12日付読売新聞

*3:昭和23年5月7日付読売新聞

*4:昭和24年5月7日付読売新聞

*5:昭和24年5月9日付読売新聞