無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

表舞台の人間はどいつもこいつも完全な信用はおけない

 そもそも逆張りを生業とする人間なんて、どこかしら精神が破綻していて、だからどんな事が有っても自分の見解を改めず、ああだこうだと論点を微修正しながらでも言い逃れていく。

 その典型例として挙げられるのが長谷川豊である。

 先に話題にしたオバマ広島訪問に、90%超の日本人が賛意を示したのが、この逆張り人間を殊のほか刺激したようだ。

 それでもこの稿なんかは、非常によく書けていると思う。文体とか体裁だけを取れば。


 しかし、それで一般コメントから窘められると更に火が付いたらしく、この手の人間に有りがちな帰結だが、とうとう拗らせてしまった。


 ここまで来ると、誰の目にも正常ではないのが薄々でもわかってくるだろう。論点も例によって微修整されているし。

 しかし、先の稿で扱ってしまった責任上、この手のくだらない物言いにも一応は触れておきたい。

 

 彼はアメリカによる民間人の大量虐殺行為は許されるべきではない非人道的行為と言う。

 だが、それとオバマの広島訪問の評価とは、また別だろう。

 べつにオバマが大量虐殺を指示したわけではない。そして彼は、現時点までのアメリカ大統領としては突出したメッセージを出した。

 これを評価せずに更に責めるのであれば、それはもう、我々が散々ウンザリした韓国の言動と同じ事になってしまう。

 多くの日本人はそれを良しとしないから、彼の決断を評価し、その場では責めていないだけではないか。

 多くの良識有る日本人は、あんなものがただのパフォーマンスだなんて当然理解しているし、けれどもパフォーマンスにも意味が皆無とは思っていないし、今更当時の指導者でもない人間を猛烈に責めても意味が無いどころか新たな悲劇を生みかねない事も察知しているし、何よりもアメリカのみならず日本の体面を潰してしまうから、大人の対応として評価しているのである。

 だが、こういう逆張り人間は、自分だけが真実を何もかも理解していて、他の凡愚はなんの考えも無しに諸手を挙げて喜んでいるとしか想像できないから、こういう拗らせた言動を恥も外聞もなく出来る。

 言ってみれば、お気の毒な人なのである。

 

 長谷川はパフォーマンスだけでは駄目だ、政治は結果だなんてお笑い種を振りかざしているが、だったらサミットなんかただの経費の無駄遣いなのだから、それも無くしてしまえと論を張れば良い。

 けれど、ああいうパフォーマンスで対抗諸国に対しての威嚇にもなるし、自由主義体制の仲間に入りなさいよという誇示にもなっているわけだ。

 政治家はパフォーマンスを行う。結果は実務家が企図する事だ。判りやすく言えば、(政治家の発案・原案にしても)官僚が描き煮詰めた案を、同調した政治家が世間に解り易く伝えているのである。

 ま、こういう「正論」を彼が耳にしても、ああそうですねという事は絶対に無い。尤も、それは絶対に無いという事まで耳にすれば認めるかもしれない(笑)。そういう特殊な人種なのだ。

  プーチンの十字だって勿論パフォーマンスである。しかし、無意味なパフォーマンスではない。日本人が支持すべきパフォーマンスである。今回のオバマと同様に。

 

 小林よしのりの方は、中国が対抗して南京にアメリカを招待するだろうと懸念している。けれど、それも別の事項を混同させて今回の逆張りを誤魔化しているだけだ。

 日本が広島に大統領を招待しなかったら、中国の南京招待も絶対に実現しないと言えるのか。まさかそんな事は無いだろう。

 である以上、両者は別口である。南京は南京で対応するしか無い。

 そもそも長谷川も小林よしのりも、重慶爆撃にはまったく触れていない。民間人虐殺に触れるなら、重慶爆撃の検証も絶対に避けて通ってはならないはずである。

 

 ワタクシには資料が無いから検証できないが、それまで戦争というのは、基本的には戦闘員同士の戦いであった。

 そこに、日本軍が重慶爆撃を敢行し、大量の民間人を犠牲にした。

 ドイツのヒトラーが、それを目にしたというのだな。

 そして、こういう手が有るのかと刮目し、ヨーロッパ中を戦火に包んだのだという。繰り返すが、事実かは検証していない。

 そして、アメリカによる大空襲も、ひいては原爆投下も、もし重慶爆撃が無かったなら、正当性に疑問符が持たれていただろうという見方も有る。

 仮にも一国の大統領と総理大臣が、それなりの覚悟と準備で整えた舞台を国を挙げて盛り上げているときに、わざわざ踏み荒らしたいのであれば、そのくらいの事はきちんと論考して貰いたいものだ。