無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「ゼネスト」

Gさん(仮名)「そう言えば、いつの間にかストって無くなってましたね」

ごいんきょ「少し前にプロ野球選手会がストやって話題になったけどな」

 

G「少し前って、もう13年前の話ですよ(苦笑)」

ご「もう13年も経つのか、早いな」

 

G「ゼネストとストって、どう違うんですか」

ご「ストっていうのは、一つの職場でやってもストだな。ゼネストってのはゼネラル・ストライキの略で、或る業種の全体がひとまとまりとなって団結したりとか、日本全国の支社まで遍く参加するとか、要するに大規模なストライキだな」

 

G「昔は、よく国鉄、今のJRがストやってましたよね。あれはゼネストですか」

ご「国鉄の労組が全国的な規模でやったらゼネストだな。首都圏だけとかになると、あまりゼネストとは呼ばないだろう。

  ちなみに、ストの事を昔は日本語で”(同盟)罷業”と言ってたんだがな。ゼネストは”総罷業”と言った」

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G「”ひぎょう”ですか、そのままですね。昭和21年の”時の言葉”ですか」

ご「結局、GHQによって民衆に様々な権利が保障されたからな。だが、当初はストにも目をつぶっていたGHQだったが、やがて左翼勢力が伸長する手段となっていくにつれ、あからさまに圧力を加え始めていくんだ(笑)。

  この頃は、支持もしないが潰しもしない、ただあまり目に余るような事はしないように、ってな感じで、やんわりと拒否感を出すくらいだったんだが(笑)」

 

G「ところで、なんで無くなったんですかね、ゼネストは?」

ご「ザッとネットを見てみたんだが、検索上位に出るようなとこで、きちんと説明できている所は無かったな。そこで例によって、わしが徒花を咲かせてみようと思ったわけよ(笑)」

 

G「ずいぶん大仰に出ましたねえ。本当に解説できるんですか?」

ご「あらましはな。先ず、日本では公務員のスト権は認められていない。昭和時代には公務員に準じる三公社五現業というのが有って、これにも禁じられていた。

  三公社というのは、電電公社、専売公社、そして国鉄だな。これは君も覚えているだろう」

 

G「ええ。それぞれ今のNTT、JT、JRですね。三公社はみんな民営化されています」

ご「これらの労働者はみんなスト権というのが無かったわけだが、当時の電電とか専売公社なんてのは儲かってたんだろうけど、国鉄ってのは慢性的な赤字体質で、その額が物凄く膨らんでたんだ」

 

G「よく報道されてましたね。そのために民営化が必要だって言ってましたし」

ご「それで、必然的に賃金も抑えられていったわけだけど、それが不満となって、国鉄ストというのは騒がれるようになっていくんだな」

 

G「でも、国鉄にスト権は無かったんですよね?」

ご「だから先ずは、スト権を獲得するための”スト権スト”って名目だな(笑)」

 

G「言ってましたねえ。”スト権スト”って言葉も死語ですね、完璧に」

ご「この”スト権スト”の中でも特に記憶に残り、民衆の憤懣がぶちまけられたのが、昭和50年の時だな。わしの学校でも、先生たちがどうやって来ようか騒いでいたよ」

 

G「国鉄が運休してしまうと、様々な業種、ひいては社会が麻痺しますね」

ご「ああ。だからスト権も認められていないというのに、それをやってしまったものだから、それまで簡易なストなら同じ労働者だしって大目に見ていた人々も、この時は怒っていた人が多かった記憶だよ、わしの中では」

 

G「それで自粛するようになったんですかね」

ご「いや、仮にそういう気が有ったとしても時既に遅しで、権力の側はもっと確実な形で支配下に置こうとするわけ」

 

G「それが”民営化”ですか」

ご「その通り」

 

G「民営化という事は政府の支配下から離れるという事なはずですよね、本来。それが、何故そのような形になったのでしょう?」

ご「続きはCMの後で!

  ……ではなくて(笑)、また来週、”国鉄”の巻でお目にかかりましょう」

 

G「結局、なんで日本からストが無くなったかの解説も来週って事ですね」

 

 

 

*1:昭和21年9月13日付読売新聞