長谷川豊の炎上を再考してみる そして今夜の生チャンネルは有るのか
とうとう『バラいろダンディー』まで降板となり、長谷川豊のテレビレギュラー番組が全滅した。
ワタクシが好きだった漫画『男一匹ガキ大将』で、主人公の戸川万吉がそれまでの彼の感覚で白川宇太郎の秘書を殴り、警察沙汰となった時に、海雲寺の和尚が万吉を指差し、教示する場面が有る。
「大人になれい!」と。
今般の長谷川豊の一連の言動を見ていると、そう言いたくもなってくる。
精神的に幼稚な人間は、自分の考える世間が狭い。自分の視界に見えるものが全てである。
だが世の中には様々な人間が居て、様々な価値観を持ち、様々な主張も持っている。それが大人社会というものである。
その大人社会で自分の主張を確固として述べようとした場合、明文化されていない規則が有る。
これは、それまでのその人間の生活の中で自然と身についているべきものであって、それを称してその人間の「社会性」と言う。
社会性が身についていない者は、大人社会では生きていけない。必ず、いつかどこかでなんらかの形で行き詰まる。これはワタクシも二十代に経験しているから言える事である。
大人世界での「社会性」とは、即ち「常識」である。
勿論、その時々の常識をぶち壊そうとする人も時に出てくるし、成功例も歴史的に皆無というわけでもない。最も歴史的に認識しやすいのは、「革命」と呼ばれる例だろう。
だが、そのくらいに時代時代の常識をぶち壊すというのは、途方も無い事である。
最低限、その者の一生を棒に振っても構わないというくらいの覚悟が無ければ、為し得る事ではないだろう。
この「常識」は、人間集団によって微妙に差異も含んでいる。
会社、地域、国といった個別の集団毎に、けっこう常識が違っていたりする。
例えばヤクザ社会では、「人を殺してはいけない」という人類の大前提と思えるような事すら、時に否定されるだろう。
その時その集団は、その集団を包含する、より大きな集団との軋轢を呼ぶ。
力関係としては、より大きな集団の力が大きい事が一般的であるから、そちらの常識に最終的に摺り合わせていかないと、悲劇が生まれる事となる。
この「摺り合わせ」が出来る能力も「社会性」である。
子供が社会性を持ち得ないのは、自分の価値観でしか物事を量れないからである。
長谷川豊の問題は、「ネット社会」の問題ではない。
彼は公人たる立場で発言し、その位置を利用して影響力を行使しようとした。
言ってみれば政治家が自分の主張を自分のホームページで書いたようなものである。
従ってその影響は、彼が存立する「芸能界」の常識に依拠する。
彼は、その炎上行為が芸として成立すると思っていたのだろう。
確かに有り得ない事ではなくて、現にこれまでは、結果として見て成立していたのだ。
しかし日本の「芸能界」の常識は、それを包含する「日本社会」の常識から逃れる事はできない。
彼の最も大きな過ちは、彼に対する批判を、ネット社会の中での批判と誤認してしまった点にある。
ああした物言いや内容の文言を公然と晒す事は、ネット社会の常識を超えたものだったのだが、そこまで自覚できず、コメント者や多くの忠告、助言を、あくまでも狭いネット社会の中の事と軽視してしまった。
彼は「ネット社会」に於ける社会性が無く、つまり常識が無かった。
そして、彼が依拠する「芸能界」の常識と摺り合わせなければならない事態だったのに、その認識も出来なかった。
『バラいろダンディ』という彼のレギュラー番組の中で、「自堕落な透析患者は殺せって言ったら炎上したんですよ(笑)」と一言の中で笑い事にしていたのを動画で見たが、この言動は「芸能界」の常識で考えても通らないだろう。
その発言後にも彼を使い続けようとした「バラいろダンディ」「MXテレビ」は、それを包含する、より大きな集団である日本社会の常識と摺り合わせなければならなくなった。
それでも彼を使い続けるという事は、彼らが日本社会の常識に挑戦し続けるという事である。
テレビの歴史を見れば、そういう事も皆無ではないが、それを成し遂げるのは非常に容易な事ではないだろう。少なくとも摺り合わせをしながら長期に漸進的に行動しなければ為し得ない。
MXテレビは最終的に、長谷川豊にその番組の冒頭で、お詫びの言葉を述べさせる事にした。
その時点では、恐らく起用を続行する意思が有ったと考えるのが自然だろう。そうでないなら、その場で長谷川が降板の挨拶をしているはずである。
つまりMX側としては、摺り合わせをしながらやっていくという舵取りをしていたはずなのである。
そして、彼は自分のブログにもその謝罪挨拶を掲載し、もって騒動の落着を図ろうとするのだが、それが最終的に止めを刺す事となったのであろう。
彼はその謝罪番組の前に、「私は謝罪しています」という単独の記事を挙げていた。
彼に抗議をした全腎協にも謝罪していると。
だが、彼の言う「謝罪」は次のようなものだった。
何これ?(→こちら)
全腎協の方々、なんと会長さんの名前入りで「抗議文」なる文章が表示されているんですけれど…
すみません。
全腎協の皆さん、これ…これ…本気で書いて、本気で送ってくるのであれば…もう少し・・ちょっと…色々とアレした方が良いような気がしますが…私はいいですけれど、あなた方があまりにも…きつい言い方をしますと、「おマヌケ」にしか見えないというか…ちょっと対処できないというか…結論から言うと、あなた方がとても損をしてしまうと思います。
大人社会に於いて、と言うか、この物言いは子供社会ですらも、「謝罪」と受け取る人間はいないはずである。
これは世界中のありとあらゆる人間集団で、そうであろう。
夫婦であろうが友人であろうが会社であろうが村であろうが国であろうが宗派であろうがヤクザ社会であろうが、こんな物言いをしながら書いている文を「謝罪」と受け取る人間がいるはずがない。
というのが、ワタクシの持つ社会性で判断する事である。
ワタクシの認識に誤りが無ければ、こうした判断力の人間には、先ず「常識の欠如した人間」という認識が、その所属社会から下される。
そして読売テレビが彼を降板させた際に、「長谷川氏のブログ、およびその後の患者団体による抗議への長谷川氏の対応などから総合的に判断した」と、公的に知らしめている。
(その対応では謝罪していると認められない)と、公的に、読売テレビという大きな存在が指摘していたのである。
ところが、その後の事態である『バラいろダンディ』での謝罪という局面でも、その謝罪文を転載した自分のブログで、彼はまたしても余計な言葉を付け加えていた。
「下らない誹謗中傷を誘う可能性のあるタイトルであった」
まだまだ悪ふざけで、私の名誉を傷つけて楽しもうという連中がネット上に大量にいます。彼らは透析なんて、普段は関心すら持っていない人間達です。私をゲーム感覚で叩いているだけの連中です。私はそんな連中に…絶対に負けずに頑張ってみます。
これらの文章は、アッと言う間に削除された。
おそらく、何者かに助言、もしくは警告、通達されたのだろう。ワタクシは、きっとMXの関係者ではなかったかと考えている。
そもそも一つの番組の冒頭に、個人の謝罪の場を設けるという事は、放送業界ではかなり特別な事態である。
MXはそこまでして彼を庇おうとしていたはずなのであるが、恐らく、その代わり次は無いよという警告もしていたろう。
そこに持ってきて、その謝罪を転載している記事での上記文言。
ここまで来ると「常識の欠如」より更に進んだ、「人格破綻者」の振る舞いである。
そんな者を庇い立てすれば、共に轟沈するのが目に見えているから、今度は音も無く彼を即時降板させたのだろうと見ている。
透析なんて普段は関心もない人間達に、長谷川豊は、先入観を植え付けるという最も忌避されるべき方策を採ったからこその、ここまでの事態なのである。
彼を取り巻く社会は、ネット社会も芸能界も、そして間違い無く日本社会も、そんなものは認めていないからこうなっているのだが、自分の視界からしか物事が見えない彼は、まだ「俺は悪くない」という判断しか出来ていないのだろう。
子供の、それもかなり出来の悪い子供の思考回路である。
そして彼が作り出した偏見は、彼の本来は意義ある活動であったはずの「医信」という活動への偏見として返っていく。
長谷川豊の悲劇(自分の視界からしか物事を見られない)は、恐らく、若い頃に挫折を経験していない事から来るものなのではないだろうか。
頭も顔もスタイルもそこそこ良く、そこそこモテて、そこそこの大学を出て、そこそこの企業に入って、そこそこの人気を得て。
声や発声は素晴らしく良く、弁論大会でもアナウンサー入社試験でも傑出した結果を出し続けてきた彼。
彼から見ればネットにたむろする木っ端など、馬鹿に見えて仕方ないのだろう。この辺は、小林よしのりにも共通していそうだ。
それを隠す術も上手に表現する術も知らない彼こそが、実は愚かなのであるが。
この失敗を糧に「無知の知」に至らなければ彼の成長は無いが、フジテレビ時代にもかなり大きな失敗をしていてのこれだから、前途は暗いかもしれない。
ともかく、今日は生チャンネルの日である。
無料なので、アンチも、応援者も、レギュラー番組ゼロとなった彼がどんな振る舞いをするか、ぜひ見てみるべきだろう。
と思ったら、今日の予定はまだ入っていない。流石に今日は放送されないかもしれない。と言うか、Abema からも見放されてしまったか?
なかなか貴重な放送だったのだが。アンチとしても、彼を監視する場として、ここだけは活かして置いた方が面白いのに。
炎上芸は難しい。彼の失敗の最大要因は、「アナウンサー」という肩書きに有ったと見ている。
その路線を堅持したいなら「芸人」としてしまった方が良いし(それでも難しいし今回の件は許されないだろうが)、あくまでも「アナウンサー」「報道」で行きたいのなら、炎上芸は無理が有る。
せっかく他者より大きく秀でた点を持っているのだから、それを有効に活かそうと努力しない事は、あまりの冒涜行為であろう。