無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

我が勝手新典範考

 8月8日の勅語は、振り返る程に、なんと暖かい叡慮であらせられるかとの思いを新たに致します。

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日) - 宮内庁

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

 

 日本は、4年後に東京オリンピックという国家的な行事を控えておりますが、当然、その場に於いては、日本国の象徴たる天皇という存在が、諸外国にも注目される中で、非常に大事な役割をお務めになられる事になるはずです。

 既に齢80を越える今上陛下が、真に畏れ多い表現ながら、その時にその務めを充分に果たすことが出来るとは限らないというご叡慮も隠されていたのだと拝察致します。

 2年後までに代替わりを実現できれば、次の天皇も即位してからそれなりの期間を経ての国際舞台となるわけで、何気なく配されたような「2年後」というお言葉に、甚深の叡慮が込められていたのだと感じます。

 

 加えて、更に表現するのも畏れ多いことながら、天皇崩御に伴う儀式がそのような舞台を、更には国民の気持ちを萎えさせてしまいかねないというご叡慮も含まれていたのだろうと拝察致します。

 単に経済活動への影響という観点で解説していた者はいましたが、そういう実利的なことより、ワタクシは、国民に安穏と次なる国家的行事を満喫させたいという、恐れ入るばかりのご叡慮なのに違いあるまいと思い至りました。

 そして安倍晋三周辺が、この度の勅語を受けて「特別立法」という姑息な手段で対応しようとしているとの報道が有りますが、ワタクシはそんなもの、飛ばし記事だと信じています。

 まさかあの勅語から、「何でも良いから法律を規定せよ」と受け取る暗愚な者はおりますまい。

 畏れ多い表現ながら、国民に対しての一生一度の願いとして読み上げられた勅語を受けて、姑息な手段で対応すれば良いと考える者が日本国の総理大臣など務められるはずが有りません。

 尤も正直を申しませば、ワタクシは安倍晋三が実は改憲する気など皆無であると喝破しておりますし(改憲の実現性が無いと判断してからの手続きだけはする気は有るでしょう)、彼が今般の問題から姑息に逃げるとしても、その器が露呈しただけだとは思っています。

 

 皇室典範改革は、絶対に避けてはならぬ事です。

 では、どのように改革すれば良いのでしょうか。

 

 考え方の一つとしまして、そもそも家法である典範を、皇室に返上するというものがありましょう。

 ワタクシは、この案でしたら賛成するのです。

 ですが、この場合は憲法にまで手をつけなければならず、実現性は皆無に近いものが有ります。

 ワタクシ個人としましては、象徴天皇制をやめて、皇族には宗教法人格としてやって戴くというのが良いのではないかとも思うのです。

 ただ、そうなりますと南北朝時代のように、男朴(なんぼく)朝時代のような、それぞれに別の天皇を崇める世となりかねません。

 ちなみにワタクシは、男朝(なんちょう)を支持し、なけなしのものを寄進する事でしょう。

 

 それらは現実性が皆無なので置いておきまして、典範に手を加える場合ですが、皇位継承順位を皇族にも決めて戴く余地を考える事は必要ではないかと思います。

 ワタクシは、まだ敬宮殿下が幼少の頃ですが、皇太子殿下(と、もしかしたら妃殿下も)が発したお言葉から、自分の娘には普通の人生を歩ませたいと願われているように受け取った事が有ります。

 そのご発言の詳細が思い出せませんから、あまり確として言えませんけれども、個人の婚姻問題と違い、継承問題については、天皇お一人が当事者ではありません。

 これはあくまで仮定の一例ですが、天皇陛下がお隠れになった場合に、継承順位が2位以下の存在でも、継承順を持つ全ての皇族の同意に基づき、天皇に即位できるような余地を持たせるという考え方です。

 

 また、先の勅語で最後に陛下が仰っていた「象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくこと」も、今回の典範改革で考慮しなければなりません。

 ワタクシはこの点に於いて、女系絶対派も、男系絶対派も、「皇統安定」という観点からしたら同罪だと考えています。

 ここまで(現行規定での)皇統が細ってしまった現今に於いては、あらゆる手段で安定を図らなければ、未来の日本人に申し訳が立たなかろうと思うのです。

 ワタクシは、皇位継承権を持たない準皇族のような位置を新設し、今上天皇の直系三世までを、世に言う女性宮家のような形で聖域内にお戻しできるようにするのはどうだろうかと考えます。清子様もです。

 旧宮家は皇統保全の安全装置だったというような解釈が世に有りますが、これも万万が一に男系皇族が絶えた場合の安全装置として、聖域内で生まれ育った準皇族方のご子孫に継承順を振れるようにするものです。

 

 同時に、GHQ施政下で臣籍降下の扱いとなった旧宮家の方々も、準皇族としてお戻しし、聖域内で生まれ育ったそのご子孫に継承順を振れるようにすべきとも考えます。

 この場合、万万が一悠仁親王に男子が誕生しなかった場合には、継承順位で揉める可能性が出て来ます。

 けれども、事ここに至っては、そういう紛争を怖れてはならないのだろうと考えます。

 今の世は、いかに紛糾しようとも、もう命のやり取りで決める世ではありません。

 だからこそ、旧典範が封じた上皇という考え方に、真っ向から反論を掲げる人間も出ないのでしょう。

 

 そうして、言論によっての紛糾は、理解を深める事にも繋がります。

 小泉政権下に於ける典範改定騒動の時も、今回も、日頃は天皇とか、皇統など身近でなかった人間が思いを新たにし、これまで以上に天皇という存在が身近に、そして有り難く感じられるようになったという側面が有る事を、自分自身の実感も含めて、ワタクシは持っています。

 また、競争相手が居るという事も、機構の維持には大事な事なのだと考えます。

 非常に俗な表現で本来は憚られる事ですが、今上天皇の直系と、もう一統、傍系が存在する事により、良い意味での緊張状態が生まれる事も有るのではないかと考えます。

 

 畏れながら今般のようなギリギリの状態となってしまった背景に、皇太子殿下に男子が生まれるまで、男子の子作りを遠慮するご親族が有ったようにも読んだ事が有ります。

 その結果として民に紛糾をもたらし、結果としては国民の安寧を損ねてしまったという事を、今上陛下は非常にお悩みになられているものであると、ワタクシは勝手に想像しております。

 一連の週刊誌報道で騒がれた事は、全部が全部真実ではないでしょうが、今般のNHKリーク問題が事実であったように、そう現実から遠くない事も有ったのではないかとも、ワタクシは勝手に思っております。

 聖域内で「競争」と言いますとまったく表現が適切ではありませんが、或る種の緊張状態が生じるということは、意味が有るようにワタクシは思っています。

 男系派、女系派、更に当事者の方々にはより以上に恩讐が有るかとは思いますが、より大所高所の知恵が集まる事を期待します。

 

 以上は、なんの力も無い卑賤な人間だから勝手に言える事で、問題が問題のため、随所に非常に畏れ多い事、失礼な表現などが頻出してしまいました事を、最後にまとめてお詫びしたいと思います。

 

 ワタクシが第一に願います事は、とにかく国体の護持という事です。

 国体と申しますものは、築き上げてきた先人がございます。

 取り分け日本という国は、少なくとも「日本」という国号が出来てからに限りましては、天皇ご一族が国家安寧をもたらし、作り上げたもので、確実と思われる歴史で千五百年からのものが有るものと思います。

 

 建国者が確実で、しかもその一族が千五百年も一貫して元首であり、しかも慕われ続けているという国家は、どこにも存在しません。

 皇族を真似ていると思われる北朝鮮など、まだ百年と経っておりませんし、ヨーロッパ最古とされる王朝でも、千年前後との事です。

 しかも男系継承に限られた王族となると、比肩できる対象はまったく存在しないのです。

 しかもしかも更に加えて、日本の場合は建国者が神話と直結しているのです。こればかりは、いかに北朝鮮が形だけ真似しようとしても絶対に真似の出来ぬ、得難き巡り合わせというものです。

 天照大神が女性神だから皇族は女系という誑かしも世には有りますが、天照大神も未婚であって子孫は女系ではないという点を誤魔化す、嘘つきとも言われかねない論です。(なぜ高森明勅は解説しないのでしょうか?)

 しかも、その実は弟であるスサノオノミコトが「結婚」相手であるという解釈も有るようですが(昔は近親「婚」の概念が今とは違います)、そうであれば尚のこと、揺るぎの無い神代よりの男系継承という事になります。

 

 ワタクシ共は、可能な限りの英知を振り絞って、この唯一無二の価値を次世代に残していく責務が有ると考えます。

 至らない表現、立場にそぐわぬ生意気な物言いは、偏にそれ故とご理解下さい。