昭和唱和ショー「シーラカンス」
Gさん(仮名)「そう言えばシーラカンスって、懐かしい響きになりましたね」
ごいんきょ「だなあ。わしらの世代は、”生きている化石”と言えばシーラカンスだったんだが、今でもそうなのかな」
G「それで、いけすかないオールドミスとか、頑固な年寄りなんかを揶揄する言葉にもなってました」
ご「今はそういう存在を表現する時、やたら”ガラパゴス”って言葉を使うだろ。わしは、あれが嫌いでね」
G「ガラケーなんて、それが一般名詞みたくなってますからねえ。どこが気に入らないんですか」
ご「だって、ガラパゴス島って、貴重な生物の宝庫だろ。多様性の象徴じゃないか。で、日本に移民とか入れたがる連中って、やたら多様性多様性って念仏のように唱える癖に、日本独自の文化を守ろうとする存在を”ガラパゴス”とか馬鹿にするわけよ。支離滅裂なんだ」
G「まあ、この曜日に政治・社会の話はやめませんか(苦笑)。確かに、昭和時代だったら我々保守派は”シーラカンス”と表現されていたでしょうね(笑)。
でも、なんであんなにシーラカンスという言葉が世間に浸透していたんでしょう」
ご「それはなあ、読売新聞がフランスからシーラカンスを一体譲り受けて、それを大々的に喧伝したからなのよ」
G「なるほどぉ。新聞社、それも正力松太郎氏が関わっていたから、大々的に世間に流されたんですね」
ご「尤も、シーラカンスそのものは、それ以前からそれなりに注目はされていたよ。昭和28年に最初に発見が報告されて、化石で発見されるような魚が今も存在しているという事で、けっこう話題になったんだ。
更に昭和35年には生け捕りがマダガスカルで報告されて、また注目を浴びたわけ」
G「さすが生きている化石というか、そう簡単に捉えられるものでもないんですね」
ご「マダガスカルがフランスから独立するのは、本当にその直後なわけ。だから、昭和42年にフランス政府が読売新聞に寄贈したシーラカンスというのは、その時のものなんだろうな」
G「なんで読売新聞というか、正力さんにですか、くれたんでしょう」
ご「フランス政府と読売新聞は、日仏文化交流というのをやっていたらしいんだけど、裏事情は知らない。でも、よくこんな貴重なものをくれたもんだよ。
で、日本で解剖する事になって、しかも、それをテレビ放映したんだ」
G「へぇ~。でも、あまりその話は聞きませんね」
ご「テレビ放映と言っても、火曜の夕方4時からだったんだよね、何故か。その頃はスペシャル番組枠っていうのも無いとはいえ、勿体ない使われ方だな」
G「なんか、解剖写真を見るとマグロの解体ショーみたいですね(笑)」
ご「なにしろ1.5m、重さは54キロ有ったらしいからな。それだけ大きいから、道具も発達していない向こうでは、なかなか捕まらなかったのかもな」
G「これを機会に、生物多様性の宝庫である”ガラパゴス”を悪い意味に使うのはやめて、”シーラカンス”を復活させましょう」
ご「シーラカンス携帯、略してシーケイか。なんか格好良いな(笑)。”CK”をデザインしたロゴにして」
G「ガラケー開発会社に進言してみますか(笑)」
*1:昭和42年2月16日付読売新聞