無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

田島と文学 その腕の違い

今回(2016 No.50)の喧嘩稼業

 登場の時の絵から伝わっていたように、桜井裕章の強さは尋常ではない。

 とうとう入江文学は、この戦いでは左手を使う事が出来なくなってしまった。

 これで、龍虎の構えで相対した梶原修人から左手を奪った因果が応報した事となる。

 だが、片腕での戦いを研究し尽くした梶原と違い、入江文学がそこまで想定しているかどうかは、かなり怪しいものが有る。

 

 ここで思い出して欲しい。

 文学の父、入江無一が田島彬と闘った時、どのように敗れたか。

 そう。無一が田島の左腕を極めたのだが、田島は身動ぎもせずに「あまいな入江無一」と言い放ち、腕を犠牲にして無一を屠った。

 一方の文学は、左腕を折られて絶叫である。

 

 文学には、腕を犠牲にしても相手を必殺するという気迫が無かった。

 入江文学と田島彬との差は、いまだ歴然としたものが有るのだ。

 勿論、後の試合が残っているのだから、可能な限り五体無事で闘わなければならない。

 しかし、腕をやられると判断した瞬間に、刺し違いで桜井を獲るという意識が働かないようでは、田島と試合をしても、とても敵わないだろう。

 

 文学はその事を悟り、弟子である十兵衛にその気構えを伝授するだろう。

 最後の床で。

 ここで相手を殺らなければ自分が殺られるという、死線を越えた気構えを、入江文学は己の死を以て十兵衛に伝える事になるだろう。

 入江文学を愛する者たちの嗚咽が響き渡る嘆きの日が、ほんの僅かな日天の昇降の後に訪れる事となる。