無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「盆踊り」

 今でも日本各地で盆踊りは催されているのでしょうか。少なくとも北関東の当地では、祭は有れども盆踊りは耳にもしません。

 おそらく時勢から考えて、ワタクシが子供の頃はやっていた南東京の各地でも、今はやっていないのではないでしょうか。

 なにしろ50m四方あったか無かったかという、地元の小さな天祖神社でも、毎年必ず盆踊りが行われて、町中の人々が参加していたのです。

 

 その場所で最も広い部分の中央に矢倉を組み立て、その上では太鼓を叩いたりして盛り上げます。

 その昔はどのようにしていたか知らないが、ワタクシの子供時代は当然、かかる音楽はレコードで、それをスピーカーで電気的に拡声して流していました。

 夕方の6時頃から始まり、浴衣姿の人々がボチボチと集まってきては、踊りの輪に加わったり、知らない歌や乗らない歌の時などは夜店で遊びや買い物に興じていました。

 今や夜店も昭和語になりつつあるかもしれない。次回は「夜店」にしましょうか。

 

 「もはや戦後ではない」とされた急激な復興は、地方から大挙して上京してきた中卒の農家次男坊以下が担っていたと言って良いのです。

 農家では次男坊以下はハッキリ言って無用の長物であるし、本人たちも農業より、刺激の多い都会に憧れていました。しかも、戦中の産めよ増やせよで、兄弟は多くの家庭で十人前後もいるのが普通でした。

 中卒なので安く使えた彼ら大量の労働力と、朝鮮特需を契機に急激に上向いた日本経済とが、奇跡のように織りなして実現させたのが、戦後復興であり、高度成長だったのです。

 

 少し話が逸れますが、高度成長は「人口ボーナス」のお陰に過ぎないという論陣を張る人間を、ここのところ何人か見かけます。

 あまりにお粗末な論拠で、では、BRICSとはなんだったのかという話です。人口さえ増えれば経済が発展するなら、政治家なんて要らないですね。

 この辺の話も、いつか別の機会でしたいと思います。

 

 さて、「金の卵」と持て囃されて地方から上京してきた大量の中卒者たちには、故郷への思慕の念というものが有りました。

 そうして東京や東京近辺に新たな人間の寄せ集まりが各所に出来、そうした彼らの親睦を図る意味と、彼らの郷愁の念に応える意味とで、高度成長を果たした昭和40年頃から、盆踊りというものが新しい住宅地でも続々と開催されるようになったのです。

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 ワタクシの子供時代に住んでいた地域、南東京の天祖神社では、記憶では7月の中旬か下旬に盆踊りをやっていました。そして8月の中頃に、今度は夏祭りも別に行われておりました。

 どちらも子供としましては、居並ぶ夜店の数々が目映かったものですが、夜店の想い出は、またの機会に語りましょう。

 

 この時期、つまり昭和41年、42年の盆踊りと言えば、なんと言っても「オバQ音頭」でした。どこの盆踊りに行っても、これをかけない所はしばらく無かったと思います。

 なにしろこれがかかれば、当時のワタクシのように歩みも覚束ないような幼児までも喜々として踊りの輪に加わるのですから、大人達としては堪らないものがあったでしょう。

 この盆踊りブームとも呼応して、「オバQ音頭」は売れに売れました。文字通り、当時としてはバケモノ級の大ヒットでした。

 そちらの話の方は、「昭和テレビ特別寄稿」の方で詳しく述べる事にします。

 

 少なくともワタクシがその地にいた間は、その天祖神社では盆踊りをやっていたと思います。

 その間、オバQ音頭の後釜を狙って、次から次と、ほとんど全てのテレビまんがで作ったのではないかというくらい、テレビまんがには音頭が付きものとなりました。

 ですがワタクシの記憶する限り、オバQ音頭の他にまともにかかっていたのは、アラレちゃん音頭くらいだったかと思います。

 やはり番組が世相を描くくらいのヒット作にならないと、街の催しで大々的にかけるというまでにはなりませんね。

 おそらくその頃が、盆踊りの最後の輝きだったのではないでしょうか。

*1:昭和41年8月10日付読売新聞

*2:昭和42年8月11日付読売新聞