朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(9)
この連載の第一回でワタクシが提示した二つの謎のうち、第一の謎に関してなかなか有効な同時代資料を見つける事が出来たため、取り敢えずの結論を提示する事が出来ました。
第一の謎は、放送開始当初には曲のみで流されていたアトム主題曲に、詞が付いて歌われるようになったのは、いつ頃の放送からなのかという事でした。
そして第二の謎がこの連載の題名にもしました、新興の朝日ソノラマという会社が、なぜ実績と経験の多い既存の老舗レコード会社を差し置いて、大ヒット間違い無しと素人にも判る鉄腕アトム主題歌というドル箱を独占という形態で販売する事が出来たのかという事です。
ワタクシが、朝日ソノラマが独占という形で販売していたのを知ったのは、橋本一郎が著した「鉄腕アトムの歌が聞こえる」という本に拠ってです。
鉄腕アトムの歌が聞こえる 〜手塚治虫とその時代〜 [ 橋本一郎 ]
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その辺に関しては、このように描写されております。
実は先日、ミュージシャンたちと雑談していたときです。月刊誌『少年画報』で1954(昭和29)年から連載を始めた『赤胴鈴之助』は、ラジオでも放送されると爆発的な超人気番組になり、キングとコロムビアから出た藤島信人・作詞、金子三雄・作曲の主題歌のレコードは売れに売れた、という昔話を聞きました。
私はその瞬間、そういえば子どもたちは最近、放映が始まったばかりの『鉄腕アトム』の主題歌をさかんにうたっているが、まだレコードになっていない。
あれをソノシートにしたら大ヒットするに違いないと、つま先から頭のてっぺんまで電流が突き抜けるような感覚が走ったというか、閃いたのです。
これは橋本が虫プロの専務と常務に、アトム主題歌のソノシート化を説得する際の文句の一部です。
鉄腕アトムの放映開始は昭和38年元日ですが、これはその年の9月下旬の事として描写されております。
これまでは、放送当初に詞が無かったアトム主題曲に詞が付いて放送されだしたのは、月刊『少年』12月号に歌詞が紹介された時期を目安にするしかめぼしい判断基準が無く、それを元に「遅くとも'63年10月ごろまでには歌詞版に変わったと推測できる」*1とまでしか研究者も提示できておりませんでした。
この連載のここまでで、この提示は二つの点で書き改められました。
一点は、遅くとも10月頃までという具体的な日付が、上記の橋本証言に拠って、9月下旬にまで狭められた事。
二点は、「歌詞版」とされているのは間違い無くオープニングに歌詞が付いた形という意味で使われているはずなのですが、そうではなく、最初はエンディングで紹介されたはずだという事です。
時期に関しては最終的な本連載での結論を前回に出しましたが、これは特定と言えるまでに迫れておらず、まだまだ検証の余地が有るものでした。
その大元となった、上記本で紹介された高井達雄(作曲者)の「歌詞がついたのが流れたのは、たぶん10話目くらいからではないかと思います」という証言を読んだ時には、ワタクシはきっと高井の記憶違いではないかなと思っておりました。
前記研究者の提示を知っておりましたし、何よりも、そんなに早く詞が付いたのが流されていたというなら、秋頃までどこもレコード化しなかったというのが解せなかったのです(10話目というのは3月頃の放送)。
冒頭で書いた橋本の説得に、虫プロ専務はソノシートというものがどのような業種になるかとの確認をしています。
と言うのは、この時の虫プロでは「一業種一社」という大原則を持って商品化権を与えていたのです。それらは「虫プロ友の会」と称され、橋本が駆けつけた秋の時点での会員は、準会員を含めて約50社にのぼっておりました。
橋本は専務の問いに対し、「音盤」として申告しました。
しかし、ソノシートというのは朝日新聞系の朝日ソノプレスが出していた出版物ですが、「音の出る雑誌」というのが売り文句の、音盤が付属した雑誌というのが実の所で、実際に書店での流通が当時の主たる売れ筋で、レコード店での扱いは少なかったのです。
この時、もし橋本が「音盤」として申告していなかったなら、猛烈なアトム主題歌の売れ行きを見て、既存レコード各社が遅まきながらの後追い攻勢を仕掛けていた事でしょう。
かなり経った昭和40年になって、これも新興のクラウンレコードから正真正銘のレコードが出されましたが、それまで朝日ソノプレスは、大いに「独占」の蜜の味を満喫できたのでした。
橋本が虫プロを訪れたという9月下旬まで「音盤」関係者が誰一人として虫プロと交渉してなかったため、橋本は結果的に音盤独占権を取得できたのでしょう。
帰り道で橋本は、これは新しいビジネスモデルになると気持ちが高揚するばかりであったと書いています。
しかし読んでいるワタクシには、どうしても大きな疑問が拭えません。
何故、老舗レコード会社は、出せば大ヒット間違い無しの鉄腕アトム主題歌を傍観していたのかという疑問が。
だからワタクシは、高井証言をおそらく記憶違いではないかと思っていたのです。
秋頃に歌詞付きで放送されだしたのであれば、橋本が間一髪で他社を出し抜けたと考えれば合点が行きます。
しかし、ワタクシの検証でも、高井証言には否定できる点が無いばかりか、むしろ補強できる観点ばかりが並びました。
では、本当に高井証言のように春頃に歌詞付きで流され始めていたのだとすると、どうして既存レコード会社は半年もの間、虫プロに社会的現象にまでなっていたアトムの音盤化を働きかけていなかったのでしょうか。