無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(66)

破裏拳ポリマー

 ”破裏拳”とはハリケーンを語源とした言葉で、当時一世風靡していたカンフーアクションを取り入れた、軽い感じの変身探偵アクションでした。

 竜の子プロの制作ですが、”ウリクペン救助隊”から音盤のコロムビア独占が切れたようで、朝日ソノラマもパンチシートで発売しています。

 

 

ジムボタン

 ミハエル・エンデによる児童文学を元にした作品で、ドリンガーという魔神と戦うボタン少年の活躍を描いたものでした。

 移動には特製の蒸気機関車が使われ、この頃の姿を消す事が確実となっていたSLブームに乗った作品の一つとも言えます。

 エイケンの制作ですが、コロムビアが主題歌音盤を担当し、LPも制作されました。ソノラマのパンチシートも発売されています。

 

 

はじめ人間ギャートルズ

 園山俊二が描いていた漫画を元にテレビまんが化された、原始時代が舞台のギャグ調ホームドラマでした。

 特異な様々の原始時代描写が滑稽だったため、手堅い人気を誇り、1年半という長期放送となっています。

 制作の東京ムービーの作品は、東映コロムビアに委ねていたのとは対照的に、作品によって色々なレコード会社が担当しており、この番組では、テレビまんが音盤とは非常に縁が希薄だったCBSソニーがシングルを発売しています。

 

 CBSソニーは『ムーミン(初代)』でもそうでしたが、独占で出すのを旨としていたようで、この番組も独占だったようです。

 しかし、東京ムービー次作の『ガンバの冒険』でも主題歌シングルを担当したのはCBSソニーでしたが、そちらでは朝日ソノラマがパンチシートの発売に漕ぎ着けました。

 

 

てんとう虫の歌

 川崎のぼる小学館学習雑誌に連載していた漫画のテレビ化で、一週間の曜日の字を名前に持つ小六から未就学児までの7人の兄弟姉妹が、両親を亡くしてからも大金持ちの祖父の庇護の下で、力を合わせて暮らすという物語です。

 末娘で未就学の日曜子(ひよこ)が、同じ川崎のぼるの『いなかっぺ大将』の大ちゃん女の子版といった活躍ぶりで、よくおもらししてはお尻丸出しの姿になって滑稽さを受け持っていました。

 竜の子プロ制作ですので音盤はコロムビアが受け持ち、LP盤も出されました。しかし完全独占はやはり崩れていて、朝日ソノラマがパンチシートを出しています。

 ひよ子の事が歌われた後期終了主題歌は、コロムビアからのみ音盤化されました。

 

 

カリメロ

 元々はイタリアの洗剤CMから生まれた、頭に卵の殻を被ったヒヨコです。間違えて黒くなってしまったけど、その洗剤を使えば元のヒヨコになるというCMでした。

 それが黒い姿の方がウケたようで、世界各国で持て囃され、日本ではK&Sという所が権利を獲得して、東映動画に作画させて放送していました。

 

 初期の脚本を山田太一が見ていたといい、初期終了主題歌の作詞も彼がしているようです。

 理由は不明ながら山田太一は降り、それに伴ってか終了主題歌も絵描き歌に変更されました。

 実質作画は東映動画とは言え、制作は新顔のK&Sという事で、音盤も、これまでテレビまんがとの関係が浅かったポリドールが関わってきました。初期開始主題歌と終了主題歌を組み合わせた盤と、後期終了主題歌にもう一曲を組み合わせた物の2枚を出しています。

 更に、朝日ソノラマがパンチシートを出しているのに加え、何故かビクターがカバー盤で4曲収録の物を出しています。

 

 

宇宙戦艦ヤマト

 昭和40年代の終わりに、テレビまんがの歴史を根底から変える大作が登場してきました。但し、放送当時はまったく注目されずに終わりましたが。

 異星国家ガミラスの攻撃により死滅寸前となった地球に、イスカンダル星から放射能除去装置を取りに来なさいという救いの手が延べられ、戦艦ヤマトを改造した宇宙戦艦に乗り込んだ者たちが、ガミラスと戦いながらの一年以内での往復宇宙航海に旅立つという、それまでのテレビまんがには無い壮大な作りとなっていました。

 放送当時には注目されずに終わったものの、再放送を繰り返すうちに注目されるようになり、それを見て取ったプロデューサーの西崎義展による映画化が爆発的な反響を受けて、今日まで続く日本でのアニメ文化が形成されていく事となります。

 

 然し乍ら放送当時は注目度も低かったため、音盤もコロムビアのレコードと、朝日ソノラマのパンチシートが、それぞれ一種類作られただけでした。

 映画化、そして、その大反響後は次々と続編が制作され、音盤も無数と言って良いほどに関連音盤が制作され続けました。

 ”アニメブーム”と呼ばれた動きを生み出し、その渦の目となっていた『ヤマト』は、音盤のみならず書籍など関連物品が出せば出すだけ売れるといった風情で、世に大量の”アニメマニア”を出す端緒となりました。

 

 

最後に

 一年以上に渡りテレビまんがの主題歌音盤を回顧してきましたが、この『ヤマト』の登場をもって一区切りとしたいと思います。

 もし全回を読破した方がいらっしゃいましたら、拙い文章でお疲れ様でしたと労いたいものです。

 なお、次回からは実写の子供向け番組音盤を振り返る企画へと模様替えし、それに伴い、記事題も変更しようと思います。

 

 記事題にした、「朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか」という事につきましては、かなり以前に説明が済んでいますが、ここできちんと書いておきましょう。

 要するに、テレビまんがというものが『鉄腕アトム』によって産声を上げた当時、老舗レコード会社上層部のオエライ人々は、電気紙芝居の、ジャリ番組の歌など歯牙にも掛けていなかったという事です。

 最初の頃はアトム主題歌に歌が無かった事も、レコード会社の目を盲目にさせていたでしょう。

 手塚治虫は歌を広めたいと思っていたようですが、これが最初のテレビ番組制作となる虫プロは、レコード会社との密な繋がりも無かった訳です。 

 

 しかし、朝日ソノラマという、本来はテレビ主題歌音盤を出すような動きではなかった所の橋本一郎という人が、たまたまその存在に気付き、純粋に商売として目を付けたのです。

  もし、既存レコード会社が最初からテレビまんが音盤を商売として考えていたなら、それまでの子供向け実写番組がそうであったように、児童唱歌を基調に考えた大人しい歌が、かなりの間、幅を利かせていたと思われます。

 しかし、手塚治虫はそのような縛りとは無関係に主題歌を依頼し、決定し、子供向け主題歌に新たな流れを生みました。

 それに刺激を受けたに違いない『鉄人28号』『エイトマン』『狼少年ケン』といった作品群も、本格的なコーラスを入れたり、本格的なマーチにしたり、多彩な打楽器で異国情緒を演出したりと、従来の子供番組主題歌の常識に囚われない音楽が次々と使われていきました。

 

 気がつけば、全てのテレビ番組主題歌の中で、テレビまんが主題歌は最も音楽性が豊かな番種となっていたとワタクシは総括できると思っています。

 それは、テレビまんがというものが全く新しい表現手段だった事、更に日本人の音楽的素養が全体的に底上げされていた事とが時代的に相俟って築かれた、奇跡のような産物だったのではないでしょうか。

 テレビまんがという新たな表現を得て、手塚治虫朝日ソノラマ橋本一郎)、小林亜星といった新しい面々が、それまでの常識を打ち破る意欲に溢れていた事は、テレビまんがとその視聴者の子供たちにとって幸福であった事は、疑いの無い事です。