無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(54)

月光仮面

 昭和33年というテレビの黎明期に放送開始して、大瀬康一主演で文字通り一世を風靡した白黒テレビ映画の名作をカラーテレビまんが化したものです。

 月光仮面の武器が拳銃から鞭になったりという変更点は有りましたが、最初のうちは白黒時代の筋を踏襲していました。しかし、マンモスコング編で子供のコングが出てくる辺りからカラー独自の作劇となり出し、最後はドラゴンの牙という、完全に独自の悪役編となりました。

 

 提供会社の一つだったカバヤは、元祖月光仮面のすぐ後に原作者の川内康範が局を替えて作った『七色仮面』『アラーの使者』というテレビ映画を一社提供していた会社で、その頃の繋がりからだと思われます。

 往時は、提供会社との関係もこのような密な例は珍しくなく、少し前にここで扱った『決断』というテレビまんがでも、サッポロビール竜の子プロの局を跨いだ繋がりが有りました。

 

 主題歌は、正副主題歌とも歌詞は元祖白黒版と同じものが使われましたが、曲は三沢郷が現代風に作り替えたものが使用されました。

 音盤は、元祖の時と同じく、キングレコードが手掛けました。白黒当時、テレビ番組、それも子供番組の主題歌をレコード化するという事は殆ど例が無かったどころか、むしろ逆風が有った事は以前に書きましたが、それでもキングの長田暁二が手掛けたところ大ヒットとなったものでした。川内康範ですから、その時の繋がりは重視したものでしょう。

 

 キングレコードはボニージャックス歌唱の通常主題歌の他、サタンの爪やマンモスコングの独自の歌も音盤化しました。

 また、朝日ソノラマソノシート化し、またソノラマレコードとしても発売しました。また、ウルトラブックス・Nシリーズと呼ばれるシート付きの画報ものも出されています。

 更に、何故かビクターも三ツ木清隆によるカバー盤を出しました。三ツ木は『光速エスパー』『白獅子仮面』などで活躍した役者ですが、この辺りから歌手としての活動も増えていきます。

 

 

海のトリトン

 手塚治虫の『青いトリトン』を、稀代の問題児かつ天才プロデューサーだった西崎義展が手掛けてテレビ化したものです。富野喜幸(由悠季)が注目される切っ掛けとなった作品でもあります。

 放送開始当初は、単に”海のトリトン”という題名から作られたとしか思えない、詞も曲も非常に牧歌的な開始主題歌が使われていました。

 歌っていたのは須藤リカで、コーラスを『神田川』ヒット前の南こうせつかぐや姫が担当しており、共に主題歌画面で実写登場するという、まんがに限らずテレビ主題歌史上でも非常に珍しい演出になっていました。

 

 話が進むうち、それまで終了主題歌として使われていた、今ではよく知られるヒデ夕木による歌唱のものが開始主題歌となり、入れ替わりに須藤リカ歌唱の方が終了主題歌となりました。

 音盤としては、須藤リカのものがクラウンから、ヒデ夕木のものがコロムビアからそれぞれ発売され、他にソノラマからコロムビア音源の方が、パピイシリーズとしてパンチシートが発売されました。

 日本クラウンがテレビまんが主題歌に関わってくるのは非常に久しぶりですが、須藤リカやかぐや姫が起用された点も含め、どのような経緯によるものかは謎です。

 

 

魔法使いチャッピー

 『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』という名作を生み出したNET月曜19時枠でしたが、少し停滞してきたのを、元の路線に戻しつつ、また低年齢層を対象に戻したという作品と言えます。

 しかし、これも結果的には今一つだったと言って良いでしょう。

 音盤としては、お馴染みの日本コロムビア朝日ソノラマという顔触れで、ソノラマはパピイシリーズで出しています。

 

 また、この時期は万創が”とびだすえほん”を引っ提げて次から次とテレビと連携して商品を出しており、そうした商品の中には、主題歌とドラマを収録したシートを付けた展開も有りました。

 これに対抗した商品が他社からも色々と出されているのですが、背景には、従来の路線で行き詰まり始めたシートという音盤形態が、絵本を軸とした出版展開での生き残りを模索したという事情が有るのでしょう。

 朝日ソノラマがEMで始まる番号のシート付き絵本を商品配列に加えるようになるのも、こうした流れに有るわけです。

 ちなみに、万創はじめ他社絵本のシート製作を引き受けていたのも、朝日ソノラマが多かったのでした。

 

 『チャッピー』も万創がシート付き絵本を出しており、当時の万創は片端から提供に加わっていたので、この番組の提供もしていた可能性が高いです。

 また、この少し前からは紙芝居というものも数多く発売されだし、これにも主題歌収録の有無は有りますが、シートが付属したものが増えていました。それは大体昭和45年からで、正にソノシートの売り上げが停滞し始めた時期と言えるでしょう。

 この昭和47年をもって音盤商品としては姿を消していく事となるシートでしたが、形態を変えながら昭和時代を全うする事となります。

 勿論、紙芝居付属のシートでも、ソノラマが圧倒して引き受けていたものです。