無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(49)

決断

 『〇戦はやと』以来の戦争テレビまんがと言えますが、こちらは漫画と言うよりは、ドキュメンタリーの性質の濃いものでした。真珠湾ミッドウェイ海戦、マレー、シンガポールなど、その時々の戦局を左右する「決断」を描いたものです。

 日本テレビ系での放送としては初となるタツノコロプロ制作テレビまんがで、平素から写実的だったタツノコの画調が、こういう所でも活きる事となりました。

 提供はサッポロビール矢崎総業で、製菓会社が単独で提供を担えなくなったこの時期は、如何に大人までを視聴対象とするかが命題だった事が伺えます。特にサッポロは、フジテレビでの『みなしごハッチ』を提供した流れで、タツノコに強い発言力を持っていました。

 

 この番組も、コロムビアの独占音盤化となりました。この時期、タツノコプロコロムビアとのみ音盤化展開をする事が続きます。

 しかも、コロムビアは『アンデルセン物語』に続き、この番組でもEP大量発売攻勢を仕掛けました。枚数としてはそちらよりは少ないですが、それでも10枚前後発売されています。これらEPは、正副主題歌は除くと、軍歌を収録したものとなっています。

 日本テレビサッポロビールも広告代理店もコロムビアも、勿論、なんの成算も無くこのような展開を企画したものではないでしょう。

 その背景になったものとは、軍歌ブームでした。

 

 軍歌は、GHQの存在した当時は、公的な場所で聞けるものではありませんでした。従って、放送ではまったく流されない日々が、かなり長く続きました。

 しかし、軍隊生活を過ごした男たちにとって、軍歌は、青春時代の歌でもありました。故に、日米講和となるや、レコード会社はすぐに軍歌ものを企画したものです。

 その後も、ちらほらとレコード企画やラジオ番組などで軍歌特集はありましたが、テレビのカラー化が成った昭和40年代中頃、東京12チャンネル(現テレビ東京)が放った軍歌企画は、特に力の入ったものでした。

 

 12チャンネルは、『歌謡百年』『なつかしの歌声』など懐メロブームを呼び起こす番組を放送していました。これは、東京ローカル局のため、予算的にも勢力的にも売れ線歌手を集めることが難しかったのを逆手に取った、非常に上手い展開でした。

 その流れの中、軍歌を扱う場面も出て来たのが、更に高まり、昭和45年には、日本武道館に関係者を一万人集めた「軍歌祭」まで開催、放送する勢いとなっていました。

 呼応するようにレコード会社も軍歌企画ものを量産し、昭和45年は軍歌ブームとも呼ばれる年となっていたのです。シングル、LP合わせて30数枚、百万枚は出たと言いますが、従来の再販ものでこれだけ捌ければ、レコード会社としては嬉しい事だったでしょう。

 コロムビアが『決断』関連音盤として軍歌を収録していった事には、このような流れが有ったのでした。当然、そもそもの番組企画の起こりも、この流れに沿ったものだったでしょう。

 

 

さすらいの太陽

 新生児の時に看護婦によって入れ替えられた女の子二人が、それぞれ金持ちの家と、それほど恵まれない家とで育つことになるのですが、共に歌手を志し、運命の糸は一層複雑に絡まっていくという、ドラマ性の強い漫画でした。

 そもそもは少女コミックという雑誌の編集長が、新人漫画家を育てる原作を藤川桂介に依頼したもので*1、それまでテレビドラマの脚本を中心に活躍していた藤川が、初めて自分の原作をテレビまんが化されたものでした。しかし、この番組での藤川脚本はフジテレビによって没になってしまうのですが。

 主たる提供はハウス食品で、他に週替わりでカネボウハリスや金鳥などが加わっていました。

 

 音楽界を描いた作品という事ででしょうか、開始主題歌はスリー・グレイセスとボーカル・ショップという男女の実力派コーラスグループ共演で、テレビまんが主題歌としては豪華な顔触れでした。

 終了主題歌は堀江美都子が歌う『心のうた』でしたが、主人公の声を担当していた藤山ジュンコ歌唱のものも、途中の数話で使われたようです。*2

 藤山ジュンコは、主題歌作曲の いずみたくの秘蔵っ子ですので、そのような特別措置が執られたのでしょう。

 

 音盤としては、堀江美都子を擁するコロムビアがレコードを発売しました。

 シートの朝日ソノラマは二種も出しましたが、どちらも終了主題歌を藤山ジュンコ版で収録しています。

 また、番組中で歌われた「鎖」という歌で、藤山ジュンコ本人が東芝から歌手デビューしています。

 

 

オバケのQ太郎

 旧『オバケのQ太郎』はスタジオゼロによる共同作業での制作で、藤子不二雄の他に石森章太郎らも描き手として参加していたものです。

 それが、どのような理由か藤子F不二雄によって小学館学習雑誌で『新オバケのQ太郎』名義で連載され、テレビまんがともなったものです。

 おそらく、テレビ化に際して雑誌でも盛り上げようという事になったのでしょうが、それにしても、なぜ局をTBSから日本テレビに替えての再テレビ化となったのかは不明です。

 提供には、白黒時代からの流れで不二家が就きましたが、他にプリマハムも加わりました。『あしたのジョー』の伊藤ハムといい、製菓会社を補う旦那として、広く食品会社が参加してくるようになっていきます。

 

 局が替わった事もあってか、声優も正副主題歌も完全に違うものとなりましたが、作品の出来が良かったので、リメイクものとしては珍しいくらいに貶されていないものです。

 主題歌作曲は山本直純で、終了主題歌は絵描き歌となっていました。絵描き歌による主題歌というのは、初めてだったかと思います。

 レコードとしては、すっかりテレビまんが音盤の雄となったコロムビアが発売しました。

 

 そして、朝日ソノラマも音盤を出しているのですが、これが「ソノラマエース・パピイシリーズ」という新手の形態となりました。パピイシリーズは『ミラーマン』『シルバー仮面』の後、この『新オバQ』がテレビまんが作品としては初めて発売されたものです。

  これは、従来のソノシートより厚みをいくらか増したもので、感触としては、よりレコード側に近くなったものです。音質向上の意図が有ったと言いますが*3、厚さが0.25mmから倍の0.5mmになった事に拠り、耐久性の向上という長所も出ました。

 

 この時期(昭和46~47年)、朝日ソノラマは、ソノシートの売り上げ落ち込みを打開するために、本当に様々な形の商品展開を試みています。

 完全なレコード盤での展開であるソノラマレコード、レコードとシートの中間的なパピイシリーズ、そして絵本を主体にしたEMシリーズ、更に従来からのソノシート路線と、多角的に方向性を模索していたように見えます。

 結局はパピイシリーズが昭和50年代半ば頃まで残って健闘し、完全に絵本が主体で、書店を対象としていたであろうEMシリーズのみが、小さなシートが申し訳程度に付いていただけとはいえ、昭和時代を完全に全うしてソノシートという媒体を残し続けました。

 

 

*1:「アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき」藤川桂介(ネスコ)

*2:「さすらいの太陽 DVD-BOX 解説書」(日本コロムビア

*3:『1960年代 懐かしの漫画ソノシート大百科』レコード探偵団