朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(48)
昭和46年放送開始のテレビまんがを見ていきましょう。
- カバトット
- アンデルセン物語
- 珍豪ムチャ兵衛
- 決断
- さすらいの太陽
- 新オバケのQ太郎
- 天才バカボン
- ふしぎなメルモ
- さるとびエッちゃん
- 国松さまのお通りだい
- アパッチ野球軍
- スカイヤーズ5(カラー版)
- ゲゲゲの鬼太郎(カラー版)
- ルパン三世
- 原始少年リュウ
カバトット
鷹揚なカバくんと、鳥のトットくんの奇妙なやり取りを描いた、放送時間5分のテレビまんがでした。
放送時間が短いため、開始音楽部分も15秒程しか無く、非常に短い歌でしたが、レコード化に際しては多少長いものとして、歌詞も多くして対処していました。
本放送時には「チョチョンガ…」の部分からフィルムの音量を落として、生で局アナが「この番組はご覧のスポンサーの提供でお送りします」と読み上げていました。
一社しか表示されていなかったのに『ご覧のスポンサー』という紹介の仕方は、地方によって提供が違っていたという事になります。関東では日替わりで亀田製菓やホンダ製菓などが表示されていた記憶です。実際、「♪ 亀田のあられ おせんべい」とか、「♪ せんべいあられは鉄火焼き カリポーンパ」というCMを、この時間帯で毎日のように見ていました。
制作はタツノコプロで、局はフジテレビという事で、当時蜜月だったコロムビアの独占音盤化となりました。
ただ、この頃にこの三者で進められていた『ちびっこのどじまん』出身女性に歌わせるという路線には当て嵌まらず、加世田直人という女声っぽい歌手が歌っています。童謡歌手ではあったようです。
尤も、正体がわからないので件の番組出身女性という可能性も、完全に排除されるものではありません。名前から考えて、可能性は低いでしょうが。
アンデルセン物語
『ムーミン』の作画を東京ムービーから引き継いだ虫プロが、そのカルピス提供フジテレビ日曜19時半の枠で、後番組として制作を請け負ったものです。
昔話のアンデルセン童話に、キャンティーとズッコという魔法使いの妖精の見習いを狂言回しとして置いて、より低年齢の子供たちに親しみ易い形としていました。
キャンティーは魔法大学に入る事が目的で、上手く登場人物を助ける事が出来たら貰える魔法カードが100枚集まれば入学できるのですが、基本はどうしても物語通りに進んでしまうので、このカードがなかなか貰えないのでした。
少し後に東映が実写で放送する『がんばれ!ロボコン』の原型のようなものと言えるかもしれません。
そのように、原作をそっくりそのまま放送したわけではないので、開始主題歌の歌詞に「お話ちょっぴり狂ってる」という部分が有りました。
終了主題歌は、しっとりした曲調の「キャンティーのうた」と弾んだ感じの「ズッコのうた」が、週によって替えて流されていました。
複数の主題歌を同時に使用するという最初かと思いますし、その後も含めて、あまり例の無い形式だと思います。
音盤としては、虫プロと関係深い朝日ソノラマが、「キャンティーのうた」「ズッコのうた」をそれぞれ開始主題歌と組み合わせたシートとして二種類発売しました。
開始主題歌を歌っていた桜井妙子というのは、後に『りすのバナー』主題歌なども吹き込んだ朝倉理恵だという事です。
「キャンティーのうた」「ズッコのうた」は、それぞれの担当声優である増山江威子と山田康雄が、役柄通りに歌っていました。
レコードでは、すっかりソノラマを超えるテレビまんが音盤の雄となったコロムビアが三曲入りシングルを発売したのですが、この番組は、それまでのテレビまんが史上で最も関連音盤が展開されたものとなりました。
というのは、この番組は「みにくいアヒルの子」や「人魚姫」など数々のアンデルセン童話を、それぞれ1~3回で放送するという形態だったのですが、各童話毎に挿入歌を作成するという意欲的な試みが行われました。のみならず、それらは次々にEP盤化され、挿入歌だけで20枚に迫る数が出されたのです。
そして、一部を収録したLP盤も発売されました。コロムビアによるテレビまんがLP発売の流れは、いよいよ本格化していきました。
ワタクシの憶測では、ソノラマとの差別化として、LP盤を立てていこうという戦略が有ったものと思っています。
LP盤が出るという事は、番組制作側にとっても嬉しい事だったでしょう。単純に印税が増えますし、それまで使い捨てされていた音楽が、形となるのですから。
そして、この番組での豊富な挿入歌の制作に関して言えば、コロムビア側の同調は勿論として、虫プロの音響部門を受け持っていたグループ・タックという会社の田代敦巳(当番組音響監督)の意向が大きく関わっていたとワタクシは推察していますが、この番組がテレビ史で語られる機会は皆無に近いものが有るので、そこに言及した文献を見つける事はできませんでした。
ワタクシがそう推察するのは、後年になってグループ・タックが製作を担当した『まんがこども文庫』で、終了主題歌を毎月替えて12曲作り、それを一枚のLPにするという試みが有ったからです。更には、本格的なオーケストラによる演奏LPまで出すという音楽への拘りを見せたのでした。
田代敦巳は、商売優先ではなく、あくまでも品質への拘りを棄てない職人肌の音響監督だったのです。その田代が音響監督を務めていたこの番組でそのような動きとなった事に、田代の意向が働いていないはずが無いと、ワタクシは確信しています。
珍豪ムチャ兵衛
豊臣再興を願う傘張り浪人の主人公ムチャ兵衛が、豊臣末裔というボケ丸に仕えるという、時代劇調のゆかいまんがでした。ムチャ兵衛は二本差しもできぬ困窮のため、傘を振り回していました。
『丸出だめ夫』などで昭和40年代前半には赤塚不二夫と共にゆかいまんがの雄であった森田拳次原作の、唯一の昭和テレビまんが化作品です(『丸出だめ夫』は実写映像化、平成にアニメ化。『ロボタン』の発案は大広)。
しかし不運な事に、丁度テレビの全番組カラー化の端境で制作されたため、モノクロ制作のこの番組は放送機会を逸してしまい、昭和43年に制作開始されたにも関わらず、実際の放送は昭和46年までズレ込みました。
しかも、既に時代は完全にカラー放送となっていましたので、再放送の時間帯となっていた月曜から金曜の18時という枠で、連日の帯放送されるのが初回放送という扱いとなってしまいました。
そのような特殊な番組ですので、主題歌は当時は音盤化されていないはずです。歌っていたのは熊倉一雄で、作曲が初代『オバQ』の広瀬健次郎です。
作詞は東京ムービー企画部となっていますが、これは元朝日ソノラマの橋本一郎が、自身の作詞であるとツイッターで明かしました。
橋本氏が拙作『昭和テレビ探偵団』にて語ってくださった証言によれば、近年、東京ムービー(トムス)が、当時の「東京ムービー企画部」の正体について調査をしているようです。*1