朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(42)
もーれつア太郎
『おそ松くん』に続いて世に出た赤塚不二夫ギャグのテレビまんがで、ニャロメという猫が特に持て囃されました。
この時期はテレビ番組が総カラー化へと向かっている真っ最中で、その時期に比較的長期放送となったこの番組は、当初モノクロだったものが後にカラー放送となりました。
提供は大正製薬と河田で、河田が発売していたダイヤブロックは、我々の世代なら遊んだ事が無い人はいないと思われます。
この作品がテレビ化された理由も、先述のような事情が絡んでいました。
即ち、この時間帯の提供をする企業は、もう客単価の安い子供だけを相手にしていては旨味が無くなっていたのです。
そこで大人も対象に出来るものを探し、「任侠路線」を標榜できて義理人情を謳えるこの作品が選ばれたのでした。
提供会社の片方には、目論見通りに大正製薬が付いてくれたというわけです。
親分、子分といった任侠調を子供番組に持ち込むのはどうかという指摘もされましたが、好視聴率に支えられて一年半を超える長期放送となりました。
主題歌もそうした路線に沿って、テレビまんがとしては非常に異例の演歌調となりました。
従って、主題歌歌手にも桂京子という、通常なら子供番組には起用されないような押し出しの利いた歌手が起用されました。
この桂京子が東芝専属でしたので、テレビ通りの歌が聴けるのは、レコードでは東芝の物だけですが、エルムからも副主人公のデコっ八の声を演じていた加藤みどりによるカバー盤が出されました。
朝日ソノラマによるシート展開は最も精力的で、最初の主題歌と終了主題歌の収められた物の後、終了主題歌が「もーれつ音頭」(曲名「ア太郎音頭」)というお決まりの音頭物に変更となった際に二枚出されました。
前述のエルム版に主題歌と一緒に収録されているのも、この音頭です。
ソノラマは更にココロのボスという新手の登場人物のテーマを収録した物も追加し、都合四枚も発売しました。
しかし、第三終了主題歌の「ニャロメのうた」は1クール13回しか使われなかったため、どこからも音盤化されませんでした。
忍風カムイ外伝
第一作『鉄腕アトム』(明治製菓提供)以来、テレビまんがを支えてきた製菓会社が、経費の増大とその客単価の安さから少しずつ提供から距離を置き始めた事は、テレビまんがの世界にとって痛い事でした。
そこで、様々な方策でより広い世界の提供会社を開拓にかかっていたのがこの時期で、この『カムイ外伝』も、正に狙う購買層を若者に引き上げて企画されたものでした。
白土三平による劇画『カムイ伝』はテレビ化には不向きな作品ですが、その忍術対決を切り取った『外伝』の方で、若者を釣ろうとしたのです。
提供は東芝で、若者にラジカセを買ってもらおうという展開でした。
これは昭和34年という東芝レコード創生期の『遊星王子』時代からの規定事項です。
歌手には「奇跡のカムバック」を果たして再び注目を集めていた、水原弘という超一流が起用されました。
これだけの大物が主題歌を引き受けるくらいに、「漫画」「テレビまんが」というものの社会的実力が、急速に認められていった時期とも言えます。
東芝専属の水原弘でしたが、朝日ソノラマも音源借り受けに成功し、シートを発売しています。
どろろ
こと漫画に於いては挑戦者であり続けた御大・手塚治虫が、世の妖怪ブームに対して、自分にも描けると挑戦したもののようです。
身体48ヶ所を欠損して生まれた百鬼丸が、妖怪を退治する毎に一つずつ部位が戻ってくるという、聞くからに見るからに一種異様な世界でした。
そのため、パイロット版はカラーで作られたものの、放送のものは敢えて白黒で製作されました。
このように、本来の主人公はあくまでも百鬼丸で、どろろという子供は百鬼丸について回る存在に過ぎなかったので、後半からは番組題が『どろろと百鬼丸』と判り易くされました。
藤田とし子(淑子)の歌う主題歌のレコードはテイチクからのみ出されましたが、これが歌手の藤田がテイチク専属だったからか、他社がこの特異な設定に尻込みしたのかは不明です。
朝日ソノラマはこれもシート化したのみならず、あまり話題にならなかった作品にも係わらず二種類も発売しました。
もし藤田淑子が当時テイチク専属だったとすれば、借り受けに際して販売枚数を保証したのかもしれません。
或いは手塚治虫や虫プロとの『アトム』以来の繋がりの故という事も考えられます。
『カムイ外伝』と『どろろ』は、まったく同じ日に始まりました。
フジテレビ日曜日の、前者は18時半、後者は19時半からの番組でした。
前者の提供は東芝で、後者の提供はカルピス。
そして、どちらも2クール26本の放送だったために、終了の日も同じでした。
劇画の代表・白土三平と漫画の代表・手塚治虫による、前者は非人、後者は片輪という被差別者を描いた娯楽時代劇が、まったく同じ日付で放送されていた凄い時代でした。
しかし、どちらも現在の評価は高いものの、放送当時の反響は今一つで、前者は『サザエさん』、後者は『ムーミン』という家庭向けホノボノ路線へと舵を切り直し、これが両者ともに大当たりして、後々まで長く続くフジテレビ日曜黄金時代を築くに至ります。