朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(24)
オバQ音頭は空前の売れ行きを記録しました。
その背景は幾つか有ります。先ずは、安価な小型プレーヤーが普及し、ソノシートを再生できる家庭、子供が爆発的に増えた事。
勿論、番組やQ太郎の人気がべらぼうに高かった事は非常に大きいです。
提供会社の不二家がソノシートを無料配布し、CMで煽った事も大きいでしょう。
なぜ実質無料のシートが有るのに、売り物のソノシートも爆発的に売れたかと言えば、そんな無料配布分を軽く上回る需要が有ったからです。
先にも書いたように、不二家が用意したのは二十万枚。
対して、橋本の記述に拠れば「重版しても重版しても、まるでブラックホールにでも吸い込まれるように飛ぶように売れた」*1販売シートは、最終的に200万枚を記録したというのです。
これは、当時の音盤事情から考えたら、破天荒の数字です。
レコードの方で大ヒットと言っても、公称100万枚というのが限界で、200万という数字は、この少し後の『恋の季節』や『黒ネコのタンゴ』にして、ようやく届いた記録でした。
尤もソノラマの場合、例の不二家配布のシートを始め、オバQ原作出版社の小学館で学習雑誌の付録にした小型シートが何種類も有ったりと、それらも合算すると400万以上プレスしたというのです。
これは、いまだに破られぬ不滅の記録とされる『およげ!たいやきくん』に劣らない記録だったという事になります。
しかし、この当時はオリコンのような記録集計機関も有りませんし、あくまでもシートであってレコード売り上げの記録には入れられませんから、これは一般には振り返られぬ大記録となってしまいました。
ここまでの大ヒットとなった要因で更に非常に大きい点は、『昭和唱和ショー』の方で先に書きましたが、この頃、都会では盆踊りが正にブームとなっていた時期だったのです。
当初は花見の踊りを踊っていたオバQも、夏になると当然、盆踊りの絵となり、子供達に大人気のオバQで流れる音頭は、各地の盆踊りでかからない所は無いといった風情でした。
そうなると当然、本来の盆踊りだけではなく、お遊戯会のような小さな踊りの集まりでも使われるようになったでしょうし、こうしてヒットがヒットを生んで、果てしなく売れた感じとなったのでしょう。
しかもオバQ音頭は、コロムビアとビクターも、ほぼ同時に出していました。これに関して、小学館の商品化権窓口担当者から直々に懇願された橋本も、渋々認めるしかないとなったようです。とは言え、日音管理で申し込み全社横並び発売だった主題歌とは違い、流石にその二社だけが出せたようです。
橋本の回想では、ソノラマが売りまくってから他社が小学館に申し込んできたように書かれていますが、実際には同時期に発売されていますので、ここもなんらかの記憶違いが有るようです。
しかし上役からは、「今回は仕方ないが、他社の発売は、必ず一定期間遅らせろ」と釘は刺されたのでした。尤も、これも後の現実を見ると、履行されなかったようですが。
年末、「オバQ音頭」は第8回日本レコード大賞で童謡賞を、テレビまんが音盤として初めて受賞しました。
しかし、表彰されたのは朝日ソノプレスではなく、日本コロムビアでした。
コロムビアはオバQ音頭をレコードでもシートでも発売しましたが、レコードの方は200万枚売ったという話が有ります。確かに、中古音盤市場でも、この時期のテレビまんが音盤としては桁違いによく見かけます。
この歌が盆踊りで持て囃されたのは一年だけではありませんでしたし、かなり長い間、コロムビアを潤わせた事でしょう。
レコード大賞は「レコード」に与えられる賞であって、どれだけ売ろうが、原盤を持っていようが、シート、シート会社は対象とはなりません。
橋本にとってこの時の悔しさ、怒りは、尋常のものではありませんでした。
橋本は、この賞について「オバQのオープニングソング」と記述していますので、恐らく当初の花見の時期にエンディングで流されていたものが、夏にはオープニングで使われるようになっていたのでしょう。
ソノラマで400万枚、コロムビアで200万枚、更にはビクターも有る訳ですから、オバQ音頭がどれほどのバケモノ級ヒットだったかという事です。
時代的にも、200万ヒットは夢のまた夢という時代だった事と考え合わせても、奇跡のようなヒットだったと言えるでしょう。
世の盆踊りブームのようなものと上手く歩調が合ったからこその奇跡でしたが、商売人たちは当然、柳の下に二匹目のドジョウを狙いだし、以後のテレビまんがでも夏季となれば音頭が使われるという形態が激増しました。
勿論、オバQ音頭のようにうねりを感じるようなヒットとなった曲は皆無でしたが。