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無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(22)

 昭和40年から放送が始まった『ジャングル大帝』『オバケのQ太郎』は、テレビまんが音盤の流れを大きく変える作品となりました。

 オバQについては、翌41年にも大きな出来事が有るのですが置いておきまして、残る40年組の作品を見てみましょう。

 『ハッスルパンチ』は東映動画ですので、朝日ソノラマが独占でソノシートを出しております。

 問題は、12月から始まった『戦え!オスパー』でした。

 この『オスパー』も、テレビまんが音盤史に新たな流れを加えました。

 

 『オスパー』は、他局よりも大幅に遅れての、日本テレビ初の国産連続テレビまんがでした。そのため制作会社は、新手の日本放送映画という所となりました。

 日本テレビも、日本放送動画も、テレビまんがにかけては第一歩となるためでしょうか、主題歌には発足したてのレコード会社・日本クラウン専属歌手の山田太郎が起用されています。

 山田太郎は、昭和38年に日本コロムビアから分裂して出来た日本クラウンの、第一回発表新譜からデビューした、正にクラウン期待の新星でした。

 そして、この40年の夏前に出した『新聞少年』が大ヒットし、水前寺清子西郷輝彦らと共に、黎明期のクラウンを担う若手歌手でした。

 

 クラウンを発足させた核の人々は、 みなゴリゴリの歌謡畑の人間ですから、他のレコード会社があまり本格的に参入していないこの時期に、何故テレビまんが主題歌を請け負ったのかは大きな謎です。

 分裂の元会社であるコロムビアが『ジャングル大帝』で本格的にテレビまんがに関わりだした事と、何か張り合うような意識が有ったのでしょうか。

 いずれにしましても、既存のレコード会社は専属歌手を他社の盤では使わせないという、非常に大きな建前を持っておりましたので、この『戦え!オスパー』の音盤を出したい各社は、カバー歌手でお茶を濁らさざるを得なくなりました。

 

 それまで、テレビと同じ歌手で制作する事を旨としてきていた朝日ソノプレスもまた例外とは成り得ず、『エイトマン』の時のようにはいきませんでした。

 『〇戦はやと』ではカバー盤を出さずに諦めたソノラマも、この『オスパー』でついにカバー歌手を起用し、川原たけしに歌わせています。ついに朝日ソノラマが、放送と同じ歌手を使うという大原則を崩したのでした。

 この後、幾つかの盤でやはりカバー歌手起用を余儀なくされていますが、とは言えこの後も、可能な限りテレビのままで収録するというソノラマの大原則は最後まで崩される事はありませんでした。

 

 『オスパー』は他に、現代芸術社、コダマプレス、ソノレコードが川原たけし歌唱のシートを発売しました。恐らく朝日ソノプレスが原盤を貸し出したのでしょう。

 他に、朝日ソノプレスと最初の頃から張り合っていた節の有るビクターは、独自に川路英夫を用いてシートを発売しました。

 シート会社は、ソノラマも含め、そもそも出版系ですので他社原盤を借りる事にまったく抵抗が無かったわけですが、ビクターのような歴としたレコード会社は、自社原盤に対する誇りが有るというところでしょう。

 と言うより、レコード会社にとって原盤は、自分達で管理できるようにしておきたい飯の種です。よその原盤ばかり使うと、よそから許可を貰えなくなったらレコードを出せなくなってしまいますから。

 コロムビアが『ジャングル大帝』の前に出していたテレビまんが音盤にしても、シート会社のように日音からそのまま借り受けという形ではなく、独自にステレオ収録した自社原盤を制作しておりました。

 

 元々はシート類は出版系の物で、実際の販売もほとんど書店だけだったわけですが、するとテレビまんがの音盤を子供達が欲しがるようになった時、レコード店に行っても手に入らなかったという事です。

 なにしろ、これまで見てきたように、そのほとんどはソノラマが独占販売していたのですから。

 そこで、少しずつレコード店でもシート類が売られるようになっていったようで、これでシートとレコードの競合が本格的に意識されるようになっていったのでしょう。

 それまでは、レコードとシートは別物という扱いで、他のレコード会社に専属歌手を使わせないという慣習がレコード各社には有ったのですが、シート類には比較的大らかに原盤が貸し出されていたのでした。

 

 ソノラマがテレビ通りの歌手を使い続けられたのは、そのような事でしたが、それがとうとう、『オスパー』で崩れたのです。

 この辺に関して村山実は、このように語っています。

 「戦えオスパー」は原盤がクラウンの山田太郎でね、交渉したけど使えなかった。まあ、高い使用料を払っても、売り上げが驚くほど伸びたとは思えないので、それはそれでよかったかもしれませんね。 *1

 そして、『オスパー』の正規音盤は、クラウンから山田太郎の歌唱で発売されました。

 

 往時の一流歌手は例え映画主題歌であろうと必ずと言って良い程ジャケットに顔を出しており、それが誇りだったわけで、『エイトマン』の東芝盤も、ジャケットは克美しげるの写真であって、エイトマンはまったく描かれていませんでした。

 しかし『オスパー』のクラウン盤は、当時としては異例に感じる作りで、山田太郎は全く写っておらず、きちんと『オスパー』の絵で作られていました。

 これは、『新聞少年』という大ヒットは持っていても、まだ山田太郎が新米歌手だったから出来た事だったと思います。

 作りも歌手も堂々たる本命盤だったクラウン盤ですが、既に述べたように販売店舗数の差は如何ともし難く、圧倒的にシート側の方が売れたようです。

 結果、今日では珍しいクラウン盤の中古価格が跳ね上がっており、5万円では買えない事を覚悟しなければならない程です。

*1: 1960年代漫画ソノシート大百科(レコード探偵団)

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