朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(21)
新興の朝日ソノプレス、朝日ソノラマがテレビまんがの主題歌を独占しまくり、一躍業界のトップに躍り出た事は、少なくとも現場の人間には苦々しい事だったかと思われます。
特に、ソノラマが席巻するまではテレビ主題歌で精力的に動いていた、キングレコードの長田暁二は、複雑な心境だった事でしょう。
彼は何故、鉄腕アトム主題歌の音盤を見逃してしまったのでしょうか。
これは完全に推測に過ぎませんが、やはり放送開始当初は曲のみで放送されていた事が大きいのでしょう。
開始から恐らく1クール(3ヶ月)程してから歌詞が付いた歌が流されたのではないかと、この連載で結論づけましたが、それもエンディングで流されていた可能性が極めて高いので、大人たちはあまり気付かなかったのではないかと思うのです。
いや、子供達だって、当時エンディングまで完全に見ていた子は、アトム全視聴者のうち少数派だったのではないかと思います。
当時はテレビも一家に一台で、チャンネル権争いが家族内で激しく、本編が終わったらすぐに他の番組に変えられてしまう家が多かったでしょう。
何より、現存する当時音声に残されているエンディングとしてのアトム主題歌に関して、これまで言及していた人間は、出版物や放送は勿論、ネット上ですらワタクシは見た記憶が有りません。
テレビが貴重だった当時のエンディングに関する記憶は、みな薄いのです。
そのような状況ですから、アトムに歌詞が乗った事に長田も気付かなかったのでしょう。
加えて、虫プロが新興だった事も大きいでしょう。
数多くのテレビ主題歌を手掛けるうちに、長田も様々な制作会社と関係を深めていたでしょうが、虫プロは既存勢力と基本的に繋がりが無い、どころかむしろ敵対関係にもなる、完全なる新興制作プロでした。
ですから多方面に渡っていたであろう長田のアンテナにも、新主題歌の話が引っ掛からなかったのだと思われます。
基本的に馬鹿にされていた、電気紙芝居のテレビの、更に漫画の事ですから、音楽業界でも噂にも上っていなかったはずです。
そして、たまたま子供達が口ずさむのを聞いていた橋本が音盤化を思い付き、これも新興だった朝日ソノラマだったからこそ、それが即、実現できたという事なのだろうと思います。
ですが、そうしてソノラマが独走していたのを、TBSが待ったをかけ始めます。
既に書いたように、支配下の日音に楽曲管理をさせ、ソノラマと言わず、参入希望社に等しく原盤権貸与を認めたのでした。
それでも『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』では、窮地にあったコロムビア以外のレコード会社は触手を伸ばしてきませんでした。
充分テレビまんがは商売になるという事は知れ渡っていたはずなのに、それは何故なのかと言えば、老舗レコード会社の上層部は、漫画の歌など歯牙にも掛けていなかったのだろうという事です。
日音の近藤武部長は、『オバケのQ太郎』の際に、長田の所へ最初に主題歌テープを持ってきたといいます。*1
それはやはり、長田のテレビ主題歌に対する熱意を知っていたからという事なのでしょう。
そこで長田は、キングレコードの営業部長に、そのテープを聞かせてみたのです。
♪ キュー キュー キュウ 毛が三本
というその歌を聞くと、部長は、「なんじゃこりゃ! 接待費ばかり使ってこんなものをつかんできて! もっと真面目にやれ!」と大喝したというのです。
当時の世代間格差は絶望的に開いており、漫画がわからない大人はこんなものだったのでしょう。
この事は長田の自尊心を大いに傷つけたようで、その後は意地になってテレビのキャラクターものに手を出さなくなったと長田は記しています。
そして、窮地が故にテレビまんがにでもすがらざるを得なかったコロムビアは、このオバQで特大ヒットを連発する事となるのですが、長田はこの辺りも、「主流は完全に攻守処を変えました」と記しています。
キングレコードがこの分野で再浮上してくるには、かなりの年月を要しました。そしてソノラマからコロムビアへと、主流は移っていきます。
『オバケのQ太郎』は、その全ての分水嶺だったと言えましょう。
この後もテレビ局が日音のような音楽出版社を次々と作り、それらはテレビの子供の歌を扱う事によって急速にその存在を大きくしていったのでした。
長田は、そうした音楽出版社が、やがて流行歌でもレコード会社への発言力を強めていった事も記しています。
とどのつまり、ジャリの歌、電気紙芝居の歌、漫画の歌と蔑ろにした事が、回り回ってレコード会社自身の存在感を弱めた遠因と言えましょう。