無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(20)

 初の国産テレビまんがである『鉄腕アトム』主題歌が馬鹿売れした事により、新興の朝日ソノラマが一躍、圧倒的業界一位となりました。

 それまで子供番組を中心にテレビの歌を精力的に音盤化していた、キングレコード長田暁二は、その著書で、次のように記しています。*1

ソノシートがレコードを破って勝利をおさめた原因には次のような理由が考えられました。①”一刻も早く”というユーザー、スポンサー、局側の希望に素早く対応でき、機動性がありレコードよりも早く店頭に並べられる。②レコードでは至難だが、ソノシートでは直接絵入りでキャラクターの紹介や、時にはマンガ付きで子供受けのする編集ができる。③レコードの製造過程ではキャラクター承認のシール貼りの手間がかかり、生産能率が低下して閉口したが、ソノシートでは簡単にできるーーー等々です。 

  何故か当事者でありながら書き落としていますが、先にも述べたように、そもそもの店舗数の違いも大きかったと思われます。

 また、この連載の題名ともなっている根本的な疑問である、なぜ鉄腕アトムの主題歌をレコード化しようと思いつかなかったのかという事には触れていません。

 ですが、それに続く部分の記述で、非常に興味深い部分が有ります。

 それは、『オバケのQ太郎』に関する話です。

 

 先にも書きましたように、『オバケのQ太郎』はTBS放送であり、この頃にはTBSは自社傘下の日音で楽曲を管理していましたから、オバQ主題歌も朝日ソノラマは独占できず、かろうじて作者・藤子不二雄本人の絵を独占使用していました。

 この時、日音の近藤武部長は、その主題歌をまずキングレコードの長田のところへ持ってきたと、先の著で長田が書いているのです。

 これはワタクシの推測ですが、あまりにもソノラマのテレビまんが独占が続き、大当たりを連発する事のやっかみが、レコード業界に渦巻いていたのでしょう。

 そこで、当時はまだ、公共性というものを非常に強く考慮していたテレビ局側としてもどうにかせねばと、自社制作のテレビまんがに関しては、参入を希望する会社には等しく許諾するという方針を挙げたのだと思います。

 

 それでも、これまで書いてきたように、既存のレコード会社の足は非常に愚鈍でした。漸くコロムビアが初の日音管理まんが『スーパージェッター』から参入を始めた以外は、レコード会社はまったく触手を伸ばしておらず、シート出版会社ばかりが並びました。

 ですが、コロムビアが本格参入できているわけですから、長田が挙げた理由は、どれも二義的なもののように思われます。

 既存レコード会社がテレビまんがに関心を示さなかった最大の理由。それは、『月光仮面』を音盤化する際に言われたという、「電気紙芝居の歌なんて」という差別意識なのでしょう。

 いや、それだけならともかく、「まんが」という事も、差別対象だったでしょう。

 最早これだけ漫画が市民権を得てしまった今日からは想像もできなくなっているでしょうが、昭和3、40年代には、漫画に対する一部階層の侮蔑意識は猛烈なものだったと思います。

 

 ワタクシの子供の頃、週刊少年サンデーの連載漫画が単行本になる時、小学館からではありませんでした。

 他のジャンプでもマガジンでもチャンピオンでもキングでも、或る程度の本数が溜まると単行本化されましたが、どれもその週刊誌と同じ出版社が単行本を出していました。いま考えると当たり前の事です。

 ところがサンデーだけは、「少年サンデーコミックス」というものが出来たのは、かなり後の事でした。ですからサンデーに連載された漫画の単行本は、まちまちの出版社から出されていたのです。

 これが子供の頃のワタクシには不思議でした。

 ですが近年、その謎を解く描写と出会いました。

 その少年サンデーの編集部にいた武居俊樹による著書に、小学館は百科事典で儲かっているから、漫画の単行本なんかわざわざ出す必要は無いという考え方だったと書いてあったのです。*2

 

 百科事典を出している会社としては、漫画の単行本など出すのは恥だと、古い上層部が考えていたのでしょう。

 こういう考え方が、老舗のレコード会社にも有ったのだろうと、ワタクシは推察します。

 即ち、子供にはきちんとした抒情溢れる童謡を聴かすべきであって、電気紙芝居の、しかも漫画の歌など歯牙にも掛けぬという事だったのだろうと。

 実は長田の描写には続きが有り、それには、ワタクシの推察を裏付けるような当時のレコード会社上層部の反応がキッチリと描かれています。 

 

*1:『わたしのレコード100年史』長田暁二英知出版

*2:赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』武居俊樹文藝春秋