無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(19)

 レコードという大量生産・長期保存可能な記録媒体の登場により、大衆の口ずさむ、所謂ヒット曲というものが、数多く生み出される事となりました。

 そして大正末期にラジオという電波媒体が登場すると、この革命的な二つの媒体は、非常な親和性を発揮する事となります。

 と言っても、当初は、ラジオで音楽が聴けるようになれば蓄音機は大打撃を受けるだろうという見方をされていました。*1

 こういう物の考え方はいつの世も有って、テレビの登場時には劇場やスポーツに客が来なくなると言われましたが、実際にはテレビで見られるようになると実際に目にしたくなる層が増え、どれも飛躍的に観客が増えたものです。

 例外は、テレビと同じく「画面の中」で完結する映画で、これは大打撃を受けました。

 

 先達のラジオも同様に、実際にはレコードの売り上げを飛躍的に伸ばしました。

 但し、当時の放送局はNHKだけで、即ち公営ですから、レコード会社に恣意的に営利利用されないよう、かなり注意していたとされ、ラジオからヒット曲が生まれ始めるまでには些かの時間がかかりました。

 ラジオよりも先にレコードと蜜月となったのは、映画でした。

 昭和4年、映画『東京行進曲』の同名主題歌がヒット。

 これを受けてビクターは日活、コロムビアは松竹と提携するなど、主要な映画にはほぼ全て主題歌が作られ、レコード化される流れとなります。

 

 敗戦後になりますと、レコードにとってラジオも一層の重要な相方となります。各レコード会社の制作・宣伝マンにとって、NHK詣が重要な仕事となりました。

 特に「日曜娯楽版」「ラジオ歌謡」「放送劇主題歌」が、レコード制作に大きな影響を及ぼしました。

 放送劇というのは、ラジオドラマの事です。昭和40年代前半頃までは、ラジオでの音声だけのドラマというのも、非常に人気の有る番組だったのです。

 一方、昭和28年にテレビは始まっていますが、当初は普及しておらず、また制作能力も著しく低かった上に予算もかなり限られていたため、音楽などは二の次三の次といった感じだったと思います。

 ですから、テレビ主題歌がレコードになるのは昭和30年代に入ってから。それも最初の頃は、本当に限られた幾つかの番組だけでした。

 

 昭和33年、キングレコードが、講談社「少年クラブ」、宣弘社とタイアップして、時の伝説的人気番組『月光仮面』の主題歌をレコード発売しました。

 これは当時の子供の歌としては破格の十万枚を売り上げたと言います。

 これこそが、テレビ主題歌とレコードの蜜月時代の幕開けとなるものでした。

 「電気紙芝居の歌なんか」という批判と軽蔑が有ったと長田の前述著に書かれていますが、レコード会社の中では、このような見方はけっこう根強く残っていたのではないかと思います。

 しかしキングレコード長田暁二は、「今後は映画の主題歌よりテレビの主題歌をタイアップして売り出すべきだ」と考えたのでした。

 

 彼は、以来5年間、どのチャンネルを回しても主題歌はキングで独占しようと飛び回ったと言います。

 そして確かに、当時のテレビ番組で音盤化されている場合、かなりの比率でそれはキングレコードでした。

 長田は、占有率は70%位と記していますが、テレビ音盤蒐集狂のワタクシの印象では、もっと占めていたのではという感じを持っています。

 『月光仮面』が当たったためか、キングではテレビ番組の中でも特に子供向け番組の主題歌が、多く音盤化されていたと言えるように思います。

 長田は「以来5年間」と記していますが、実は『月光仮面』の5年後、即ち昭和38年というのは、他ならぬ『鉄腕アトム』誕生の年です。

 長田、そしてキングレコードは、日本初のテレビまんが『鉄腕アトム』主題歌の音盤化を、見逃してしまったのでした。

 そしてそれが、この分野でのキングレコード凋落の切っ掛けとなってしまったのでした。 

 

*1:「わたしのレコード100年史」長田暁二英知出版