無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(18)

 引き続き昭和40年のテレビまんが音盤を見ていきます。

 『ハッスルパンチ』は東映動画作品ですので、朝日ソノラマで独占済み。

 そして最後、12月に始まったNTV系初の国産テレビまんが『戦え!オスパー』も、『ジャングル大帝』とはまた違った形で、テレビまんが=朝日ソノラマ独占という慣例を崩した作品となりました。

 

 この番組は、どのような経緯か主題歌を山田太郎が歌っております。山田太郎は「新聞少年」という歌が大ヒットしたばかりで、注目の若手歌手でした。

 当時は新聞配達のアルバイトをする少年も多く、その歌も親しみ易い歌だったので、子供にも人気が有ったと思われ、その辺から白羽の矢が立ったのかもしれません、

 ところが山田太郎は、発足して間も無いクラウンレコードの専属歌手でした。

 やはり東芝レコード専属だった克美しげる歌唱『エイトマン』の時には、手こずったとは言え橋本一郎がソノラマへの貸し出し許可を取り付けましたが、クラウンレコードは一層強固で、とうとう他社への歌手貸し出しを行いませんでした。

 オスパーの音盤は、朝日ソノラマを始め現代芸術社、コダマプレス、ソノレコード、ビクター出版というお馴染みのシート勢がこぞって発売しましたが、テレビ主題歌歌手である山田太郎の歌は、本家のクラウンが出したレコード盤でしか聞く事が出来ませんでした。

 ビクター盤のみ川路英夫が歌ったものを収めていますが、他は全盤、川原たけし歌唱のものとなっています。

 原盤制作がどこなのか判然としませんが、それまでの経験から判断すれば朝日ソノプレスという可能性が高そうです。

 

 クラウンは、まだ発足して間も無くでもあり、他社に塩を送る余裕など全く無かったのでしょう。朝日ソノプレス(当時)の村山実は、次のように回想しています。

「戦えオスパー」は原盤がクラウンの山田太郎でね。交渉したけど使えなかった。まあ、高い使用料を払っても、売り上げが驚くほど伸びたとは思えないので、それはそれでよかったかもしれませんね。*1 

  実際、国産テレビ漫画であればなんでもそこそこヒットするという目算は、この「ハッスルパンチ」「戦え!オスパー」あたりから潮目が変わってきます。

 とにかく、テレビと同じ歌手で音盤を制作するという、鉄腕アトム以来の朝日ソノプレスのテレビまんがに対する姿勢が、ここで頓挫してしまったのでした。

 とは言え、この後も多少の例外は挟みつつも、可能な限りテレビと同じ声でというのは、朝日ソノラマソノシートに於ける一貫した姿勢では有り続けます。

 

 このように、昭和40年は、30年代の初期テレビまんが音盤をほぼ独占していた朝日ソノプレスの威勢が、少しずつ薄皮を剥ぐように削がれていった端緒の年だったと総括できましょう。

 完全に出遅れていた既成レコード会社が、漸く巻き返しに出始めた年でありました。

 その先陣を日本コロムビアが切った事により、やはり老舗のレコード会社であるキングレコードにも、テレビまんがへの参戦を促すような動きが胎動し始めていたのでした。

 テレビ子供番組主題歌の本家とも言えるキングレコードは、テレビまんがに、どのように向かい合ったのでしょうか。

*1:「1960年代懐かしの漫画ソノシート大百科」(レコード探偵団)

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