無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(15)

 引き続き昭和40年のテレビまんが音盤事情を見ていきます。

 『宇宙パトロール ホッパ』は東映動画制作ですから、朝日ソノプレスが独占契約済み。

 『ドルフィン王子』は主題歌が有ったのかも不明ですが、いずれにせよ全3回という短期放送でしたので、当時としては音盤化対象とはなりづらいものです。

  『宇宙エース』は、これもこの年から新規参入の竜の子プロによる作品でした。

 竜の子プロは後に日本コロムビアと蜜月関係となりますが、この時には朝日ソノプレスが独占しております。

 竜の子の話は橋本一郎の著書に出て来ませんので、橋本以外の人間が独占に漕ぎ着けたのでしょう。

 

 『宇宙少年ソラン』はTBS放送でしたので、やはり日音が管理し、朝日ソノプレス、コダマプレス、ソノレコード、ビクターというお馴染みの面々によるシートと、レコードで日本コロムビアという、『スーパージェッター』と同じ顔触れとなりました。

 そしてコロムビアはこの時、コロシートというブランドで、レコードの他にシート音盤も手掛けたのでした。

 言ってみれば、いよいよレコード界の巨人・日本コロムビアが、テレビまんが音盤に本腰を入れ始めたのです。

 その背景は、どのようなものだったのでしょうか。

 

 レコード界第7の勢力と言われたクラウンレコードは、昭和38年9月6日に発足しましたが、その内実は、レコード界第一の勢力とも呼ぶべき日本コロムビアの内紛による分裂でありました。コロムビアの伊藤正憲事業部長・常務取締役が経営理念で対立し、株主総会で取締役に再任されなかった事に端を発します。*1

 伊藤を補佐したのは、若松築港社長・有田一寿でした。有田は三菱系の人間で、初期クラウンは三菱電機提供の『歌のプレゼント』という番組でレコード広報活動を行いますが、その番組題は「三菱クラウンアワー」と前置題が付き、両者の一体感が醸し出されていました。

  約40年もの間コロムビアに在籍し、面倒見の良い親分肌として知られた伊藤を慕う人間は多く、大量の人間が伊藤の独立に付いていったのでした。

 

 その顔触れを列記してみます(コロムビア専属だった者)。

 作詞家=星野哲郎、作曲家=米山正夫、小杉仁三、叶弦大ほか

 歌手=北島三郎、守屋浩、小林旭若山彰五月みどり、高石かつ江ほか

 更に文芸部の裏方も、演歌の竜こと馬渕玄三を始め錚錚たる面々が付いていきました。

 そして昭和38年12月15日、クラウンによる第一回新譜発表が行われましたが、その筆頭にはコロムビアの重鎮・美空ひばりの名が有って関係者を仰天させました。

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 勿論ひばりはコロムビアの歌手でありつづけるのですが、世話になった人々の独立に鼻向けのレコードを発売するなどの独断は、山口組という背景を持つひばりならではの存在感を示したと言えましょう。

 

 この分裂により、コロムビアの力はかなり削がれていたと言えましょう。レコード部門の機能・活動が停止に近い状態となったとまで言われる事態でした。

  こうした状態のコロムビアに於いて、原盤権借りて出しでありながら一定の販売数が見込める日音によるテレビまんが音盤は、渡りに船だったに違いありません。

 しかし、最初の『スーパージェッター』では朝日ソノラマを始めとするシート勢に、かなり販売数で置いていかれたはずです。そこで第二弾の『宇宙少年ソラン』では、慣れぬシート販売にまで手を伸ばしたのでしょう。

 元々は歯牙にもかけていなかったであろう電気紙芝居・テレビ音盤にコロムビアが傾注し出すのは、このような流れが有っての事でした。

 

*1:「わたしのレコード100年史」(長田暁二

*2:昭和38年12月15日付読売新聞