無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(13)

 昭和40年までに制作された国産テレビまんがを放送開始順に挙げてみます。

 

昭和38年
  1. 鉄腕アトム
  2. 鉄人28号
  3. エイトマン
  4. 狼少年ケン
昭和39年
  1. 〇戦はやと
  2. 少年忍者 風のフジ丸
  3. ビッグX
昭和40年
  1. スーパージェッター
  2. 宇宙パトロール ホッパ
  3. ドルフィン王子
  4. 宇宙エース
  5. 宇宙少年ソラン
  6. 怪盗プライド
  7. 遊星少年パピイ
  8. W3
  9. オバケのQ太郎
  10. ジャングル大帝
  11. ハッスルパンチ
  12. 戦え!オスパー

 

 この様に、初年度4作、次の年は3作しか作られていないのに、40年になると一気に3倍4倍という大量生産時代となります。これは、二年経って人材や制作会社も育ってきたという事なのでしょう。

 『風のフジ丸』は東映動画制作で、『ビッグX』は新会社の東京ムービー制作ではありますが原作漫画は手塚治虫。どちらも朝日ソノプレスが先に唾を付けていたので、難なく音盤独占販売できています。

 

 しかし、昭和39年までの7作のうち『〇戦はやと』だけは、初期のテレビ番組シート音盤で朝日ソノプレスと張り合っていたビクターが独占販売しています。

 鉄腕アトムの音盤化には競争相手が全くいませんでしたが、それが大ヒットとなるや、「ビクターミュージックブック」として主にハンナ&バーベラ作品のシート音盤化に取り組んでいたビクターが、国産テレビまんがの音盤化にも乗り出してきたのでした。

 既に『エイトマン』でも、テレビ主題歌歌手の克美しげるは使えなかったものの、ボーカル・エイト歌唱によるカバー盤にて参入していましたが、その動きは、この連載の11回で触れたように、朝日ソノプレスより先だったのかもしれません。



 そして『〇戦はやと』に関しては、ハッキリと朝日ソノプレスを先んじていたのでした。橋本一郎一人では忙しくなったため、後から朝日ソノプレスに入社してきた村山実は、次のように回想しています。

 いまだに覚えているけど、「〇戦はやと」なんかは、その後の作品の縁で、ピープロの社長と懇意になったとき、「ウチが(〇戦はやとを)断られたのをご記憶ですか」って言ったら、「そんな事があったの?」なんて言われて。*1

 ワタクシは、もしかしたら朝日ソノプレスは朝日新聞系列だから戦争漫画を避けたのではないかとも思っていたのですが、どうやら商品化企画はしていたようです。

 

 このように昭和30年代までは、概ね先行した一社が独占音盤化という形でしたが、昭和40年になると状況が一気に変わります。新規制作作品がドッと増えた事からもわかるように、テレビまんがは儲かるという意識が、かなり浸透していたからです。

 事実、朝日ソノプレスが独占販売していたテレビまんが主題歌は、かなり地味めだった『風のフジ丸』あたりでも数十万枚は売れていたのです。

 ましてアトムから〇戦はやとまでの初期5作品は、まだテレビまんがそのものが少なかった時代だけに、どれもかなりの売れ行きだったとみえて、全てに第2集が出されています。

 こうした状況で参入を希望する業者が増えたのに対応したのが、日音でした。

 正式名称を日本音楽出版と言った日音は(現在の正式名称は日音)、他ならぬTBSによる原盤制作会社でした。

 テレビ局が主題歌制作に関わり始めた事により、テレビまんが主題歌の音盤化にも新しい動きが出て来たのです。

 また、動きの鈍重だった老舗レコード会社がようやくテレビまんがに触手を伸ばしてきたのも、この昭和40年でした。

 

*1:「1960年代漫画ソノシート大百科」(レコード探偵団)