無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(12)

 鉄腕アトムがテレビまんがとして登場する事になった昭和38年。

 そのテレビまんが元年に誕生した作品は、大人向けの『仙人部落』を除くと、アトム、鉄人28号エイトマン、そして『狼少年ケン』の、わずか4作でした。

 アトム音盤化で手塚との関係が構築されていた橋本一郎は、彼の愛弟子だった月岡貞夫東映動画の初のテレビ向け漫画『狼少年ケン』を任されていると聞き、上司の課長と共に大泉の東映動画を訪れました。

 そして朝日ソノプレスは、『狼少年ケン』のみならず、その後の作品も含めての独占契約を難なく結んでしまったのでした。*1

 そこには、月岡貞夫手塚治虫の関係も作用していたのかもしれません。『鉄腕アトム』独占音盤化の恩恵が、思わぬ所にも派生したようです。

 また、老舗レコード会社の目は、ここにも及んでいた形跡が見られません。

 東映の子供向けドラマは、主にキングレコードを中心に何作も音盤化されていたのですから、本来でしたらキングが噛んできてもおかしくなさそうなのに、どうした訳だったのでしょう。

 

 橋本は、新進気鋭だった小林亜星による『狼少年ケン』主題歌を、「アニメソングの新たな時代の幕開けを告げる画期的な主題歌」と著書で表現しています。

 そして更に、アトムに始まる初期のアニメソングを振り返り、「もし、旧態依然たる童謡や小学唱歌にどっぷりと浸かったレコード会社が関わっていれば、時代遅れの空々しい伝心力のないものになっていたに違いありません」と評し、「アニメソングは幸せな星の下に誕生した」と振り返るのです。

 これは、それまでの子供番組主題歌を或る程度知っている人間であれば、肯んずる事が出来る話です。

 手塚治虫は、海外への売り込みを考えて、そのような旧態依然の日本的小学唱歌調の音楽からかけ離れた主題曲を求め、鉄腕アトム主題曲を決定しました。

 そして、それは非常に多くの子供達の支持を獲得したのみならず、他の制作者たちにも刺激を与えたに違いありません。

 国産テレビ漫画二作目の『鉄人』こそ、旧勢力の代表のような三木鶏郎が担当しましたが、それとてもデューク・エイセスによる安定したハーモニーで奏でられ、児童合唱ばかりだった旧来の子供番組とは違った世界が広がりました。

 『エイトマン』では、萩原哲晶というクレージー・キャッツ路線で上り調子にあった気鋭の作曲家が起用され、これも時代の寵児となる直前の前田武彦という気鋭の作家が作詞し、それまでの子供番組とは一線を画する勇壮な主題歌が使われました。

 

 そして、後にサントリーオールドやイエイエでCM音楽に革命をもたらす小林亜星によって、『狼少年ケン』の躍動感あふれる主題歌が作られました。

 橋本の言うように、テレビにとって新しい表現手段であったテレビまんがは、それが故か、新しい音楽をまとって我々の前に出でていたのです。

 それはテレビまんがにとっても幸せな事だったでしょうが、何よりも、それを迎えていた当の子供達の僥倖でありました。

 後に触れる予定ですが、橋本が言うような旧態依然の子供番組観しか無かった老舗レコード会社は、ここに至ってもテレビまんがの主題歌に触手を伸ばしている形跡が有りません。

 唯一の例外が、エイトマン克美茂が在籍していた東芝レコードですが、それとても出来てほんの5年かそこいらの若い会社でしたし、それも音盤化に逡巡が感じられたように、朝日ソノプレスにいた村山実が回想しております。*2

 既成勢力とは視点の異なる新興勢力の朝日ソノプレスがテレビまんがという新たな表現と深く関わる事となったのは、時代の趨勢だったのでしょう。

 テレビまんが史で『狼少年ケン』に続く『〇戦はやと』主題歌は既述のようにビクターがシート発売したものの、その次の『少年忍者 風のフジ丸』は東映動画制作のため、『ケン』で独占権を獲得していた朝日ソノプレスが、これもソノシートを発売しました。

 

 

*1:鉄腕アトムの歌が聞こえる』橋本一郎少年画報社

*2:1960年代漫画ソノシート大百科(レコード探偵団)

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