無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「朝日ジャーナル」

Gさん(仮名)「やはり今回はこれですか」

ごいんきょ「平凡パンチと来れば、次は朝日ジャーナルだよな」

 

G「本来はパンチではなくてマガジン、週刊少年マガジンだったらしいですけどね。”右手にジャーナル、左手にマガジン”」

ご「ま、マガジンもジャーナルも同じ昭和34年創刊で、パンチより少し先輩の同期だからな」

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G「この昭和34年って、沢山の週刊誌が創刊されたんですよね」

ご「ああ。少年マガジン、少年サンデー。大人向けの漫画サンデーなんてのも便乗か知らんが出た。

  総合週刊誌では週刊新潮の後を追う文春が出たし、芸能では前年の週刊明星を追いかけて週刊平凡が出ている」

 

G「何か理由が有るんでしょうか」

ご「そら、やはり一番大きいのは、日本が朝鮮特需を経ての高度成長の階段を昇り始めた事だろう。

  それと、当時から指摘されていた事として、テレビの普及が大きいんだな」

 

G「ああ…テレビは毎週放送の番組が多いですもんね」

ご「ああ。それにより大衆の情報習慣が、週単位になってしまったんだな。当時よく言われていたのが、”スピーディー”になっていると」

 

G「その前の雑誌は月刊誌が主軸で、みんな次の新しい号まで、一ヶ月ものんびり待ってたんですもんね」

ご「それが週刊誌が主軸となって、しかも部数も増えて、更に誌数も増大してって事で、巷に流布される情報が桁違いに増え出したのが、この昭和30年代半ば」

 

G「テレビもですか」

ご「テレビはまだ非力で、生放送が多くて、ドラマすら生だったり(笑)、報道は報道で、ビデオ素材なんて無い頃だからな。フィルム撮りで。

  そんな感じだから、まともな情報なんて多くは流せてないのよ、当時は。スポーツの生中継とか、そういうのが目を惹いたくらいで」

 

G「まだ情報面では、活字中心だったんですね」

ご「ラジオは強かったよ、それなりに。音声はね。だから暫く、フジテレビよりもニッポン放送の方が立場が上だったろ。あれはその名残」

 

G「堀江ライブドア対フジテレビも、懐かしい話題って感じですねえ」

ご「だから、まだ情報洪水の中に、映像情報は入ってきてない頃だね。

  ただ、正にこの昭和34年に、フジテレビと今のテレビ朝日が開局したのよ。それで今の関東キー局が出揃ったわけ」

 

G「テレビ東京を忘れないで!(笑)」

ご「わしの中ではいまだに番外地的なんだけど(笑)。

  で、テレビ局が出揃って、テレビ受像器も普及期に入って、それまで金持ちの家でしか見られなかったテレビが、段々と身近になっていた時代だな。

  そんな訳で、人々の生活習慣が、それまで以上に週単位を意識するようになっていったと」

 

G「でも、ラジオ番組も週単位だったんじゃないですか?」

ご「娯楽性の問題が大きいだろうな。実際、週刊朝日なんてのは戦前から有るわけ。でも、そんなに大きな潮流は作れてない。

  テレビの持つ娯楽性によって人々の週単位意識が強化され、同じく娯楽性の強い週刊誌が受け入れられるようになったのだろう」

 

G「でも、ジャーナルは娯楽週刊誌ではないですよね(笑)」

ご「うん。その頃はそうした娯楽週刊誌が次々と発刊されていたから、却って朝日ジャーナルは独自性が光ったんだな。唯一の文化人向け週刊誌、それも”進歩的文化人”向けの(笑)週刊誌と言われていたんだ」

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G「”進歩的”文化人って言葉が凄いですね(笑)。退歩的文化人っているんでしょうか(笑)」

ご「彼らの言葉を使えば、反動的文化人って事じゃないの?」

 

G「ああ。”保守的”とは言わずに”反動的”って言葉を使うんですよね、左の人は(笑)」

ご「だから”進歩的文化人”っていうのは要するに、左がかった文化人の事だな。文化人の定義はさておき。

  朝日ジャーナルっていうのは、言うまでもなく朝日新聞が作っていた週刊誌だったから、言うまでもなく左翼偏重な内容だったのよ。安保騒動前には全学連委員長にインタビューしたりしてるし」

 

G「全学連ですかあ。朝日ジャーナルですねえ(笑)。

  いやあ、今回は特に昭和語が多いですよね(笑)」

 

 

*1:昭和34年3月10日付読売新聞

*2:昭和39年9月11日付読売新聞