無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

挿しす世相史「村山実(阪神)が対読売戦で無安打有得点試合を達成」

 昭和34年5月21日(木)、プロ野球阪神タイガース村山実投手が、読売ジャイアンツを相手に、無安打有得点試合という珍しい記録を達成しました。

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 日本プロ野球では、この時まで無安打無得点試合達成者は36回(うち5回は完全試合)記録されていましたが、無安打有得点のまま完投した投手は、昭和14年の亀田忠(イーグルス=現在の楽天とは別球団)以来の2人目となるものでした。

 しかも、セ・リーグ初となる毎回奪三振も同時に達成しており、会心の投球内容だったと言えるでしょう。

 読売ジャイアンツが無安打に抑えられたのは、2リーグ分裂後では初めての屈辱でもありました。

 

 大リーグでは、無失点・有失点を問わず”ノーヒット・ゲーム”として同格に扱われますが、日本では無安打無得点試合(ノーヒットでの完封試合)を”ノーヒットノーラン”として記録として称える習慣となっており、この例の様に無安打完投でも、失点が有ると現在の所は記録には並びません。

 村山投手は時代を代表する阪神のエースでしたが、とうとうノーヒットノーランを記録する事は叶わず、この例は非常に惜しいものとなっています。

 このような試合を、『プロ野球記録大鑑』という大著を仕上げた元記録員の宇佐美徹也は、”ノーヒットノーラン”に対して”ノーヒットありラン”(ランは得点の意)と呼称しました。

 

 なお同日、金田正一投手(国鉄)が、史上初の2500奪三振を達成しています。(下側写真)

 金田投手が塗り替えるまでの通算奪三振数は、スタルヒンによる1960個でした。その後、金田投手は3000はおろか4000奪三振をも越え、最終的に4490個もの三振の山を築き上げています。4000奪三振は、当時は大リーグでも記録した投手のいない世界記録でした。

 大リーグではその後、ノーラン・ライアンら3人が金田を超え、ライアンは5000奪三振をも記録する事となりますが、金田の記録は、依然として近づく者も居ない日本記録であり続けています。

 

 

*1:昭和34年5月22日付読売新聞