昭和唱和ショー「赤電話」
Gさん(仮名)「赤電話って、確かに懐かしいですけど、そもそも黒電話そのものが懐かしい物となりましたよね」
ごいんきょ「まあな。あとピンク電話、もっと珍しいのでは青電話ってのも有ったが」
G「それぞれ、どんな物だったんですかね」
ご「一番最初は、昭和28年に10月22日からの電気通信旬間から公衆電話増設と不当料金の取り締まりを強化したんだけど、その際に委託・簡易、両方の公衆電話を目立つように赤電話にしたんだ」
G「不当料金と言いますと?」
ご「ほら。昔は、機械式じゃなかったんだろ。だから委託先が、正規料金の一通話3円という利用料より多く取っていたりしたんだろうな。この記事では15円、20円も取っていたというから、かなりガッポリ取っていたみたいだ」
G「ガッポリって言葉も昭和語の香りが(苦笑)」
ご「そんで、お目見えしたのがこんな奴だったようだ」
G「あらら。料金収納率17%、一ヶ月の欠損520万円って書いてありますよ」
ご「戦後すぐの頃は物資不足で硬貨が発行できなかったので、公衆電話も紙幣で使われていたんだ。ところが当時は全自動の機械なんか無いから、利用者の良心に委ねていたわけ」
G「ははあ。今でも田舎でたまに見かける、無人野菜直売所みたいな感じですね」
ご「そうそう。それなのに当初は、ほぼ完璧な収益率だったのよ。みんな正直に料金を入れていたの」
G「へぇ~。さすが日本人は正直だったんですね」
ご「それがそうじゃなくて(苦笑)、みんな、何か判別できる仕掛けが有るんだろうって思っていたわけ。そんで、そんな仕掛けなんか無いってわかったら段々と回収率が落ちていって、しまいには17%まで落ちたって事なんだな」
G「17%っていうと、殆どの人はお金なんか払わずに使っていたって事ですね(苦笑)」
ご「そらそうだろうよ。野菜直売所だって、料金なんかまともに入ってないって言ったぞ。下手すりゃ石とか入ってるらしい」
G「うーん…。ワタクシは、必ず書かれている金額を入れてますが」
ご「ま、ああいうのはどうせ捨てるよりはって感じのとこが多いんだろうけど、悲しくはなるわな。
で、上の写真の赤電話は硬貨でやっていたわけだけど、それも全自動ではなくて、委託先の人が監視していたわけよ。だから、まだ不届き者が居たんだけど、昭和30年に少しましな電話機が登場して、翌年には赤電話は全部それになったんだ」
G「あ、我々が知っている赤電話の形に近くなりましたね。ところで、なんで委託の電話なんかが有ったんですか」
ご「だから、昔は電話を設置するには篦棒なお金がかかったわけ。お金持ちの中のお金持ちしか電話なんて設置できないのよ。
それに電電公社自体もまだ潤沢ではないから、公衆電話をそちこちに設置できるだけの体力も無かったんだ」
G「そう言えば、我々の頃でも呼び出しの家って結構ありましたね」
ご「用がある時は近所の電話が有る家にかけてもらって、するとその家の人がわざわざ呼びに来てくれるというな。近所付き合いが無くなった昨今では、とても想像できないだろう(笑)。
昭和40年代中頃までそんな感じなんだから、まして戦後の頃までなんか、近所でも持っている人なんか、先ずいないわけよ。有るのはお店とかになっちゃうわけ」
G「テレビの出始めの頃もそんな感じですよね。見たいプロレスやボクシングの試合なんか有ると、食堂なんか行ったりしたようです」
ご「で、電電公社、今のNTTだな、が、そういう所の電話を公衆電話として委託したりしていたわけ」
G「ははあ。それで冒頭のような、荒稼ぎする性悪な委託先が有ったりしたんですね」
ご「そうそう。機械式でない頃は、要するに委託先で貰い放題だったわけよ」
G「赤電話になったら、委託先の横暴も無くなったんですかね」
ご「料金の横暴は減ったみたいだけど、ほら、あくまでも本来は、その家の電話なわけよ。だからどうしても、自分の家を中心にって考えになっちゃって、店が忙しい時間帯は出前応対専用にして、一般には使用不可の扱いにするような所も出ていたの」
G「それっていいんですか?」
ご「駄目駄目。だって、委託とは言えあくまでも”公衆電話”で、そのために一通話あたり3円の使用料徴収を認めたり、基本料の免除をしたりしていたわけだから。公衆に使わせなかったら、自分たちの使用料を減額させるためだけの利用になっちゃうよ。
それで、上の写真の卓上式公衆電話に切り替えたんだけど、それはそれで、今度は赤電話荒らしに見舞われるんだけど」
G「赤電話の中からお金を頂戴する連中ですか」
ご「まあ少数だけどな。全体的には、先の赤電話登場で公衆電話はかなり正常な形で普及し始めて、我々が子供の頃のような感じになるんだな。
折角だから、カラー写真も載せとこうか」
G「あら。お千代さんがこんな歌を歌ってたんですか」
ご「電電公社のコロムビアへの委託制作だな。先に亡くなったばかりの、船村徹作曲だ」
G「船村先生の仕事一覧にも載ってないかもしれませんね」