無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

喧嘩漫画の系譜(終)「BE-BOP-HIGHSCHOOL」(きうちかずひろ)


 

 ここまでの喧嘩漫画は、概ね超人的な強さを持つ主人公が、次々と現れる強敵を打ち倒していくという形であった。特に『夕やけ番長』以後、その形は顕著となる。

 そうした流れに革命的な一線を画したのが、この『BE-BOP-HIGH SCHOOL』であった。

 主人公は、中間トオルと加藤ヒロシの二人。この二人は同じ愛徳高校に通い、腕っ節も甲乙付けがたい不良。

 だから非常に仲は良いが、ベタベタした間柄ではなく、よくお互いを揶揄し合っているし、時に虫の居所が悪いと本当の喧嘩になる事も有る。

 彼らの、つまり不良少年の日常を描いたというところが非常に新しい視点で、言ってみれば野球漫画に於ける『キャプテン』のような位置に有る。

 等身大の不良を描いた漫画として、若者に大いにウケた。

 

 時代的な解説をすれば、芸能界にシャネルズ、そして横浜銀蝿が登場し、彼らは不良少年の憧れとして人気を博していた。特に横浜銀蝿は、その容姿からして当時の不良の姿をそのまま取り入れていた。

 勿論、彼らにもその前身と言える存在は有って、矢沢永吉がそうであり、ツナギで歌っていたダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドもそうである。

 しかし、以前の者が芸能界では大人しかったり、実生活ではそう不良でもない感じだったのに対し、横浜銀蝿は完璧に、不良がそのまま画面で歌っているという存在感があった。

 その衝撃が、漫画界に波及したのがこの漫画と言える。

 

 不良の日常を描いてはいたが、単行本一巻に一話の割合で、サービス編とも言うべき「高校与太郎」シリーズが載っていた。

 これは、他校の手強い不良とヒロシ・トオル組がぶつかり合うもので、相手には立花商業の菊永淳一、城東工業の山田敏光らがいた。

 連載が長くなるとそいつらとも仲良くなってしまったので、二人組を新たに遠征させて、新手の強者を揃えた。

 こうした与太郎編と、ギャグを中心とした日常編が、なんの違和感も無く一緒くたに詰まっていたのだから、きうちかずひろの力量たるや、半端なものではなかった。

 トオルとヒロシに、彼らを取り巻く連中に、傑出した実在感が有ったのだ。

 

 中で、単行本16巻に収録されている「青春野郎自家中毒」「青春野郎白日夢」の二部話は、一話単位で比べると、ワタクシがこれまでに読んだ漫画作品中で最も好きな話かもしれない。

 先に言ったように、ヒロシとトオルはお互い認め合ってはいながらも、日常的には共にチャチを入れ合っている。

 或る時、トオルが昔の女と偶然に会い、よりを戻したと告白するが、ヒロシと共にかなり長いこと女日照りのトオルにしては話が出来すぎだと、みんなに信用されない。

 女は、もう一人だけ、あまりカッコ良くないけど熱心に口説いてくれている男がいて、悪い気しないから付き合っているけど、トオルが付き合ってくれるなら別れるとまで言っているという。

 

 そこまで言うなら女の所に案内しろとヒロシが言い、トオルがヒロシを連れて女の居所へ向かうと、ヒロシ・トオルとは仲間である立花商のミノルがおり、彼女が出来た事を喜んで、二人に紹介しだした。

 醜男であるミノルが大喜びで話をする中、連れの女と、トオルの顔は浮かない。

 ヒロシはミノルの話にいつも通りの応対をしながら、横目でそんな二人の様子も見逃していない。

 そしてミノルは上機嫌のまま、両者は別れる。

 

 「じゃあ…さよなら……」と、その女に別れを告げるトオル。

 「サヨナラ……」と伏し目がちに答える女。

 二人の様子を黙ってみているヒロシ。

 

 二人になって、トオルは「悪い、なんか俺、女ンち忘れちまったよ」とボツリと言う。

 いつものヒロシであれば、「はぁ!? テメー何言ってんだ!? どーせハナからそんな女いやあしなかったんだろう!」と攻撃するのが、この漫画での常道的な描かれ方である。

 単行本16巻目というと、連載開始から5年くらいは経っているだろうが、その間ずっと、二人はそういう間柄だったのだ。

 だが、この回の最終場面は、ただの一コマ、ヒロシの一言で終わる。それまでの長い二人の関係を知らないと、そこだけ切り取っても、その余韻の全ては伝わらないだろう。

 

 倉本聰あたりなら、ヒロシにモノローグさせて全ての真情を語らせて終わってるのではないか。

 だが、それでは解る人間が得る余韻、感動が無い。

 ヒロシは全ての事情を察しているのだが、そんな事は最後までおくびにも出さず、トオルに友達として最高の一言を投げかけるのだ。

  ワタクシはこうした手法を、エッチング技法と呼びたい。

 直接的に描かない事によって、描きたい事の周りを描く事によって、描きたい部分が浮き彫りになるという表現法である。

 しかも、それまでのヒロシの性格との対比も有るから、より一層の強い印象を与えるのだ。そして、それはヒロシという人間の行動とは矛盾していないのである。

 ワタクシはこの回で、きうちかずひろの中の文学性を見出した。

 果たして彼は、その後、文字の世界へと進んでしまうのである。