無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

88勅語を受けた朝生がつまらなかったので朝生全体を語ってみる

 先週の朝生の感想を書く予定だったのだけれど、元々あまり期待してなかったとはいえ、更に下回る酷さだったので、意欲も減退だ。

 なので、番組本体のみならず、それへの他者感想なども絡めながら、思いつくままに適当に書き並べていこうと思う。

 

 全体を通して最も強く感じたのは、竹田恒泰の役回りが損だなという事だ。

 事実上、利害関係者でありながら討論に加わるというのは、やはり無謀だったかもしれない。

 しかも、ああした討論は初めてだったのかは知らないが、ちょっと意見の出し方が下手すぎる。あれじゃあ知らない人は反感持ってしまうだろう。

 他のバラエティなんかでは上手く猫かぶっているのだから、あの感じでいくべきだったのに。

 それから、下手な例え話を多用するのは異様に映るから。思わず唸るような例え話というのは、それなりの文才と瞬発力を必要とするものだ。

 

 それにしても薄っぺらな討論だった。

 中身はほとんど、これからの日本に寄与するような形とは成り得ていなかった。

 この辺は、先にも扱ったNHK貧困やらせ疑惑問題と同じ様な構図だと思う。

 討論も薄っぺらだし、出演者もどうも煮え切らない話ばかりで、わからない人々には何が問題なのか理解できなかったと思うし、或る程度わかる人間には消化不良で、しかも見せ場のようなものも無く、凡回だったな。

 田原総一朗の衰えが番組の勢いにも影響しているのであるが、これは仕方の無い事で、まあ伝統芸能を見たと思って満足しよう。

 

 感想記事で、鈴木邦男のものに面白い部分が有った。

この朝生が始まる時に、司会の田原総一朗さんが、こんなことを言っていた。「天皇制の問題はずっとタブーだった。テレビで討論するなんてできなかった。初めてやったのは28年前の朝生だった」と言う。正確には1990年(平成2年)の11月23日だ。「象徴天皇制と日本」だった。確か、僕も出ている。民族派からは、野村秋介さん、大原康男さんも出ていた。「この時は大変だったんです。天皇制をテーマにして朝生をやるなんてダメだと上から言われた」。だから、テーマを変えてやった。ただ、深夜に5時間もいろんな方向に飛ぶ。だから「天皇制の問題にも触れるかもしれません」と田原さんは上の人たちを説得した。「それもダメだ」と上の人は言う。しかし、5時間討論の司会をするのは田原さんだ。結果的には「約束を破って」天皇問題を中心に議論した。そういえば、当時は始まる前から、かなり緊張していたと思う。ピリピリとした雰囲気を感じた。 

  これは鈴木邦男の勘違いであって、田原総一朗は、昭和天皇がご病気の当時(1988/9)に、「オリンピックと日本人」と題してやった時の事を言っていたのだ。だから「28年前」なのである。

 

 この時、番組開始当初はそういう内容(オリンピックと日本人)の事をやっていたのだが、討論が進んで夜中の3時とかになった頃だったか、田原がおもむろに、昭和天皇の事を語り出して、自然と話の流れが天皇の事となっていった。

 ワタクシなんぞはなんの緊張感も無くごく自然に見ていたのだが、当時の論客からしたら、迂闊な事は言えない情況で、しかも心の準備をしていないわけだから、面喰らった人物もいた。

 栗本慎一郎は、話の流れが自分の意図しない方に行きだしているとして、途中で席を立って退場してしまった。

 ワタクシは、なんとも腰の引けた野郎だなと見下したものだが、あの頃、まだ天皇を電波媒体で語るという事は、それだけ緊張を強いられる事だったのだ。

 大島渚野坂昭如あたりは、平然と語り続けていたと思う。

 

 内容的には、今の目から見たらまったく過激でもなんでもない、ごく普通に天皇について語り合っていただけだと思うのだが、テレビ史上で考えたら、これは非常に特筆すべき回だった。

 そのくらい自分の言葉で天皇を語るなどという事が(まして左翼的言論人を交えて)禁忌であったわけで、だからテレビ朝日の上層部は、ご病気中という事はあったろうが、断固として最後まで田原に言質を与えなかったわけだ。

 しかし田原は、上層部も寝てしまっていておかしくない真夜中の生放送中に、勝手に議題を変えますからと予告しておいて、受けた方も、あくまでも認めないと言い続けて、阿吽の呼吸で実現した放送だったのだ。

 だから田原は、今回の女性司会が使った「黙認」という言葉すら、「黙認じゃない」ときちんと否定して、自分自身の責任に収斂させていたのだ。

 そして、昭和天皇がお隠れになった後で改めて仕切り直しで、きちんと正面から天皇を論じたのが、鈴木邦男が書いている回である。

 

 この「オリンピックと日本人」で、しれっと天皇論を電波で扱った事は、朝まで生テレビ!という番組の方向性を広げた。

 これによって覚悟が固まったであろう田原を含めたスタッフ達は、日本に内在するありとあらゆる禁忌に斬り込まんという程の勢いを見せ出すのである。

 その第一弾とも言うべき「人権と部落差別」(1989/7)の時は、開始画面から、文字通り緊張感がビシビシと伝わってくるもので、どう討論が流れていくのか、ワクワクしながら見ていたものだ。

 差別問題は第二弾も行われたが(1989/11)、流石にその時は、一回目のような画面にまで伝わる緊張感というのは無く、見ている方も多少は勝手が分かったので、普通に見ていた。

 だが、それから幾らも経たずに、今度は右翼を扱うという斬り込みを見せるのである。それが鈴木邦男の書いている次の事である。

 

この頃の朝生はタブーに挑戦し、無謀ともいえる闘いをやっていた。この「象徴天皇制と日本」を放映した同じ年、90年の2月23日には「徹底討論‟日本の右翼“」をやっていた。これは凄かった。”左右激突”だった。この一カ月前の事件を受けて、急きょ、実現した企画だ。1月18日、本島等長崎市長右翼団体員に襲撃されて、ピストルを撃たれ重傷を負った。「天皇戦争責任はあると思う」という本島発言に怒っての襲撃だった。「言論への挑戦だ」「右翼テロを許すな」とマスコミは連日大キャンペーンだった。「じゃ、なぜ右翼テロは起きるのか。右翼を呼んで、話を聞こう。それで討論しよう」と朝生が考えたのだ。こんなことを考えるのは朝生しかない。それにいまなら、右翼に反対する人も、こわがって出ないだろう。でも、この時はいたんだ。右翼テロを堂々と批判できる、命知らずの評論家、左翼がいたのだ。小田実大島渚野坂昭如らだ。右翼側は7人。浅沼美智雄、岸本力男、箱崎一像、松本効三、四宮正貴木村三浩、そして僕だ。

 

 「天皇戦争責任は有ると思う」という発言を殊更にカスゴミに取り上げられた本島長崎市長が、左肩を銃撃されるという事件が起きた、それを受けての「右翼」を扱った放送なのである。

 これなど、今のテレビ人にはとても想像できないのではないか。

 ワタクシは、既に何度か禁忌に斬り込んでいる番組なので、またやったなという単純な喜びで見ていたと思う。

 だが、改めていま考えてみると物凄い事なのだ。

 なにしろ日本の放送史上、これだけの右翼団体に4時間半も語らせる番組なんて(しかも前述の時節に)、間違い無く空前、そして恐らく絶後の事だと思う。

 ワタクシは、この一事を以てしてだけでも、田原総一朗の実績として光り輝くものだと思っている。余人には決して出来ない事である。

 

 この放送で凄かったのが、小田実である。

 鈴木邦男はおそらく記憶が曖昧なのだと思うが、大島渚野坂昭如は、べつに「命知らず」な論客ではなかった。

 だが小田実は、冒頭の言葉で列席する右翼達を眼前に全くひるまず、「私は天皇制は要らないと思っているよ。何故なら民主主義に王様は要らないからだよ」と切り出した。

 ワタクシは当時、まだ天皇という存在を今ほどにも解っていなかったし、共産主義にも拒否意識は無かったが、人並みに胡散臭さは感じていた。

 そんなワタクシは、この言葉を聞いた時に、(それは単に決めの問題だから王様が居る民主主義だって有り得るだろ)と内心で反論していた。

 しかし一方で、それにしてもこの場でこれだけキッパリ言うのは大したものだと感嘆した。

 

 大島渚小田実と違い、僕には家族が居るからあまり強くは言えないが、天皇という存在が日本人を無責任にしていると思っている事は理解して下さい、というような意味の事を、番組の最後の最後に言ったのがそれらしい場面だった。大島は恐らく以前になんらかの脅迫だか何か有ったのかも知れないと思った。

  野坂昭如は、例によってノラリクラリと掴み所の無い事ばかり言っていたような印象である。

 右翼の側は概ね理性的な人で、思ったよりは怖くないなと感じたし、それでなくてはテレビに出て主張する意味も無い。

 だが最後の最後に、名前は忘れたが誰か年配の右翼が、「右翼はヤクザとは違うと言っていたが、(暴力を実行するから)右翼はヤクザと同じなんです」と締めていて、他の右翼が苦笑していた。

 

 鈴木邦男の記述では、別の回での次の部分も面白かった。

その時だった。右翼の先輩の野村秋介さんがギャラリー席から発言した。「皆、きれいごとばかり言って、聞いていられない」と。激怒して言っている。「皆」と言ってるが、実は、僕に対して激怒していたのだ。この日、野村さんは川崎のすし屋でテレビを見ていた。朝生が始まった。でも、後輩の鈴木はどうもおかしなことを言う。まるで左翼じゃないか。それで、タクシーを飛ばして、朝生のスタジオに来た。当時、朝生は5時間だったから間に合う。それに野村さんはパネラーとして何回も出ている。だから、ギャラリー席にも入れたのだ。あれは凄い番外戦だったと思う。 

  この時はワタクシは、好きな論客の一人だった野村秋介の場外参戦を単純に喜んで見ていた(笑)。

 そんな舞台裏が有ったとは驚きだったが、確かに、誰に何を言いたいのかという感じを持った気がする。

 あと場外参戦で覚えているのは、朝鮮を扱った時だったか、長州力が場外に座っていて、自分が在日朝鮮人だと紹介しながら発言した事だ。

 

 右翼を扱った回の最後の発言で小田実が、「天皇を否定したら撃たれるんだったら、私は殺されてしまうよ(笑)」というような事を発言したのを受けて、右翼側の中心らしい物腰柔らかい人が、「我々も個人の考えは尊重するから、我々が小田実さんを殺すという事は有りません(笑)」というような返しをしていた。

 返す返すもこんな討論番組、当の朝生を含めて、今のテレビで有り得るだろうか。

 田原総一朗の老いは自然現象であるから仕方ない。

 問題は、彼のような壮絶な眼差しを持つ作り手が、もう絶対にテレビ界には現れないだろうという事なのである。