無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

挿しす世相史「東京五輪集火式と北朝鮮・インドネシアの帰国」

 昭和39年10月9日(金)、東京五輪の聖火集火式が行われ、国内6700キロをリレーで運ばれた聖火が皇居前で一つの炎となりました。

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 そしてこの日、一度は参加のために来日した北朝鮮インドネシアが、それぞれ帰国の途に就きました。

 詳しい事情は、こちらの方で説明されています。

紛糾したアジア競技大会とGANEFO。そしてインドネシア北朝鮮の引き揚げ

 

 

 この時、北朝鮮の団長は次のようなコメントを発表しました。

我々は日本に来た時と同じ愉快な気持ちで帰ります。不参加問題の複雑な気持ちは、ここでは述べない。しかし、ただ一つ、全世界のスポーツの発展がアメリカにより妨げられているのは遺憾である。

  北朝鮮インドネシアも、これが五輪初参加となる予定でした。

 昭和39年の東京五輪には98ヶ国が参加を表明していましたが、他にもエクアドルとバルバドスが参加できず、実際の参加国は94ヶ国となりました。

 

 翌10日が開会式で、そのため、10月10日が後に「体育の日」として祝日として設定されました。更に2000年に、体育の日は10月第二月曜となりました。

 この開会式では天皇陛下昭和天皇)が開会を宣言されました。

 先の今上陛下の勅語で譲位の実現を訴えかけられましたのは、来たる新たな東京五輪は、ご自身が充分な任を果たせるかが確言できない以上、若い天皇による開会が望ましいとのご叡慮に拠るものなのではないかと拝察されます。

 

*1:昭和39年10月9日付読売新聞