漫画投句「ワル」(真樹日佐夫・影丸譲也)
今回の喧嘩稼業
ワタクシがいつも展開予想しているのは、勿論、当てようとなど思っていない。予想そのものを楽しんでいるだけである。むしろ外しを狙ってネタ的に書いている事も多い。
だが「解説」という時には、作者はこのような意図でこう表現しているはずだという事を書いているし、概ね外していないだろうという自信の下に書いている。
けれども、そういう素養は教科で言えば「現代国語」の範疇であり、誰もがそのような素養を高く持っているわけではない。
ワタクシは数学がまるで駄目だが、代わりに現国は突出して良かったし、自覚は有る。ただ、小学生の頃などは、何故この表現をこう捉えるのだろう?と、他人の不正解の解答が不思議で仕方無かった。
日本人が、ごく普通の日本語で表現されている内容がわからないという事が不思議だったのだ。
勿論、長じてからは、人の素養はそれそれであって、言語感覚や物語の理解度もまた然りなのだという事は理解できている。
けれども、今でも時折、え!これをそういう風に取るのか!と意外に感じる事は結構ある。2ちゃんの漫画スレを見ていると、たまにと言うかちょくちょく、そういう投稿を目にする。
徳夫の戦いを見ていて睦夫が流した涙も、ここで解説した事は概ねその通りだと思っているし、今週の描写はその通りに進んでいる。
であるのに、あの涙を新しい徳夫を見つけた感動の涙と捉えている人間が複数いるのは衝撃だった。
そんな涙は、十兵衛との面会の時に流しているではないか。
そして、実弟の徳夫が戦いながら涙しているのに呼応する睦夫の涙と、物凄く解り易い描写となっているのに通じない人が多いというのは、漫画という媒体では仕方の無い事なのだろう。
十兵衛は、先に徳夫を倒されてしまっては睦夫は透明のままだと吹聴して、睦夫に徳夫を襲わせようとした。
その言葉がそのまま、睦夫が十兵衛を襲う自意識内の行動原理として作動し始めている。
つまり、強い徳夫を斃した本当に強い徳夫=十兵衛を誰かが斃す前に自分が倒さねば、自分は透明なままだと睦夫は自分に言い聞かせる。
従って、睦夫は十兵衛を襲う。そこには、実弟の仇討ちという心理も奥底にある。
新しい「父さん」探しの中で、かつて自分を苛めていた菅野に制裁を加えたように。
但し、モノホンとは言っても状況認識は出来るから、上手い言葉を使ってどこかにおびき出すのかもしれない。
佐川徳夫戦を酷評している人間は、童貞のように早漏だ。あんまり童貞の事は言って欲しくないだろうが。
十兵衛対日拳の戦いは、十兵衛対佐川兄弟との戦いとして展開されているはずなのである。
喜多が面倒くさがらなければ………
喧嘩漫画の系譜(4)「ワル」(真樹日佐夫・影丸譲也)
前回の「男一匹ガキ大将」がガキ大将としての喧嘩漫画を極めたとすれば、今回の「ワル」は、その題通りの、不良としての喧嘩漫画を極めたと言って良いだろう。
『ハリスの旋風』から『ワル』まで、わずか5年で喧嘩漫画は極限まで行ってしまった。
この頃、日本の漫画界も高度成長と呼べる表現の革命時期を迎えていたと言える。但し、それは概ね悪い方向へであるが。
主人公の氷室洋二は、剣道家の父親に特殊な境遇の中で鍛えられたため、普通に暮らせない「平和アレルギー」とも呼ぶべき特殊な体。
なんと、平穏に暮らしていると死に至るという物凄い設定なのだ。そのため彼は、常に争い諍いの中に身を置く。
彼のいる学校の校長は、なんとか彼を更生できないかと、3人の教師を呼んで試験する。その教師たちと氷室のやり取りから物語は進んでいく。
氷室はそのうちの柔道を得意とする教師の片腕を折ってしまうなど、従来の少年漫画の範疇を大きく飛び越える描写が凄まじい。
彼は常軌を逸した剣道の達人なので、ヤクザ如きは何十人でも束にしてやっつけるし、父親の関係で警察にも顔という、正に札付きの不良。
徹底的に救いの無い、渇きに渇いた不良は、貸本漫画などでは普通に出ていたろうが、少年マガジンという超主流漫画誌がこのような漫画を連載したというのが、新時代となった。
繰り返すが、同じマガジン誌上で明朗学園漫画の『ハリスの旋風』が喧嘩漫画を開闢して、わずか5年である。
先にも言ったように、ガキ大将を描いた喧嘩漫画としては、一足先に『男一匹ガキ大将』が、日本全国の不良を統一するという壮大な世界を描いてしまった。これにより、この手の漫画はしばらく鳴りを潜める。
そして本格不良漫画として喧嘩漫画の新たな世界を開いたこの漫画によって、この手の救いの無い不良を主人公とした漫画も、新たな話題とは成り得なくなってしまう。
ただ、こちらは氷室の腕は人並み外れてはいるものの、『男一匹~』よりは描かれている世界が身近と言えば身近なので、わりと影響を受けたような漫画は多かった気もする。
他ならぬ、この漫画の原作・真樹日佐夫の実兄である梶原一騎が、この後、夕やけ番長などよりもはるかに殺伐とした暴力漫画を幾つも世に出すようになる。
だが、二つの極点に行ってしまった『男一匹~』『ワル』終焉後、しばらくは喧嘩漫画の新機軸は現れようが無かったのではないだろうか。