朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(36)
ちびっこ怪獣ヤダモン(ピープロ制作)
ヤダモンは、初めてOP主題歌とED主題歌が入れ替わったテレビまんがだったようです。*1
この、OP主題歌とED主題歌を放送が進んでから入れ替えるという手法は、後に竜の子プロがよく用いており、『ハクション大魔王』や『科学忍者隊ガッチャマン』などで正副主題歌が入れ替わって、不思議な感じがしました。
この『ヤダモン』に関しては、ワタクシは第一OP主題歌しか記憶に無く、第二主題歌を後に知った時には、かなり驚きました。
先に書きました『ドンキッコ』同様に、同じくピープロ作品であるこれも、主題歌音盤は複数社の競作となりました。
ただ不思議な事に、これまでテレビまんが主題歌では他社より一日の長が有った朝日ソノラマは、この番組では第一主題歌しか音盤化しておりません。わざわざドラマを二本立てにして、収録時間を稼いでいます。
同時期にクラウンが出したレコードにしても、レコードとしては珍しいドラマ収録をして、歌は第一主題歌しか収録していません。
そしてキングレコードと、シートのミュージックグラフが、第一第二両主題歌を収録しているのです(MGはドラマも収録)。
何故、ソノラマが珍しく出し抜かれるような形となったのか、皆目見当が付きません。当時、ソノラマはピープロとの関係も良好だったと思われるのですが。
キングレコードが出し抜きに成功したにしては、ミュージックグラフも両曲を収録しているのが謎です。
3ヶ月程すると『「ヤダモン」特集』という題名を付けて東芝も参入し、レコードに両曲とドラマを収録するという荒技を駆使しました。
この『ヤダモン』の声は、かつて東宝映画でお姐ちゃんトリオで売り出していた中島そのみが担当し、第一主題歌も歌いました。
彼女はこの三年前に、結婚のため芸能界から遠ざかっていたのですが、どのような経緯か、「ヤダモンのイメージにぴったりの声ということで、強引にくどきおとされ」て引き受ける事になったもので、当時、二歳半の子供のお母さんでした。
そのため芸能界の仕事も断っており、『ヤダモン』の出演もこれ限りで、芸能界に復帰するわけではありませんと言っておりました。*2
スカイヤーズ5(TCJ制作)
『スカイヤーズ5』はTBSで放送のテレビまんがですので、例によって日音原盤の複数社競作です。
ただ、4年後の昭和46年にカラーでリメイクされており、その時にも数社から音盤化されていますので、判別が簡単ではありません。勿論、中を見れば発行年度で判別できますが。
ここでは当然、昭和42年放送の白黒版の時に発売された盤を扱います。
さて、この白黒スカイヤーズ5は、全テレビまんが音盤化を不文律としていたかの如き朝日ソノラマが、実に久しぶりにシート化を見送った番組となりました。
その理由は、恐らくですが、わずか12回しか放送されなかったからなのだろうと思われます。
尤も、ソノラマは1クール作品のシート化など腐るほどやっていますので、本当の理由はよくわかりません。見落としてしまったのかもしれません。
反面、レコード会社勢はほぼ揃い踏みといった風情で、キング、テイチク、東芝、クラウンがレコード化しました。
ビクターはシートの方で出し、他にミュージックグラフがシートで出しています。
この昭和43年に差し掛かろうという頃、制作会社側としては、白黒で作るかカラーで作るかという葛藤が有ったのだろうと思われます。
それで、当初は白黒で作ったものの12回で打ち切り、カラーテレビが普及した4年後の昭和46年に、今度はカラーで26本が放送されました。
その際には、朝日ソノラマも大判シートを出し、更に同じ図版を用いたレコード盤も出しています。
おらぁグズラだど(タツノコプロ制作)
この主題歌は、テレビでは谷啓が素っ頓狂な声で歌っていました。
谷啓は、ソロでレコードを出す場合には、昭和30年代はキングレコードから出していましたが、40年代に入るとクレージーキャッツと同じ東芝から出すようになります。
そのため、この番組のキングレコード盤では、歌手がグズラ役の大平透になっています。
朝日ソノラマは上手く交渉できたようで、谷啓歌唱のままで音盤化に成功しました。
この番組のテレビ版音盤は久々に事実上ソノラマ独占となり、そのためでしょうか、都合3枚もシートにしています。おそらくですが、谷啓の貸し出しを受けるために、総発行枚数の保証契約をしたのかもしれません。
『グズラ』も『スカイヤーズ』のように、後にカラーで再制作される事となりますが、それは昭和も末期の62年と、かなり経ってからの事です。
しかも、完全なる再制作ではなくて、音声はそのまま使用し、画面も基本的に色を付けただけという感じでしたから、奇妙な古臭さは誤魔化しようがありませんでした。
但し、主題歌は正副ともまったく新しい曲が制作されて、日本コロムビアからレコード発売もされました。