無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

おりこうだった長谷川豊は賢者となれるか

 テレビの仕事を全て失うという大打撃を受けた長谷川豊だが、先の記事で安心できそうだという事を書いたワタクシの予想を裏切らず、精力的に足を使って説明行脚しているようだ。

 

 一度大きな過ちを犯すと、負に偏ってしまったネット世論を覆すのは至難なのだが、こういう地道な行動を続けていく事で、少しずつ勢力図が変わっていくだろう。

 勿論、粘着的に永久に過失を許さぬ連中は一定数いるものだが、薄皮を剥がすようにそうした層だけが残っていく事になる。

 そうなれば、いつまでも済んだ事をグダグダという人間の方が叩かれるという図式になっていくから、それまでは禊のつもりで無になってやれるかどうかだろう。

 もし、それを成し遂げられた時には、もう、ワタクシ如きは容易く揶揄できぬ存在となってしまう。それは彼の徳となるからである。

 

 件のハフィントンポストでの対談は、非常に良いものとなっていると思う。

 こういう活動が増えていけば、自ずから長谷川提唱の事案が様々な所で採り上げられ、検討されていく機会も現実的になっていくかもしれない。

 払った代償は大きかったが、或る程度の高みまで行った人間が見殺しにされるような世界でもあるまい。

 汚い言葉は、所詮は汚い心を育て、汚い世界を生み出すものである。まして言葉の専門家なのであるから、今後はどんどん模範となってもらいたい。

 汚い表現をせずとも、これだけ斬り込んだ視点で行けば、間違い無く炎上案件になるのだから。

 

 「御免で住めば警察はいらない」(誤字ママ)というのは、自身に降りかかっているくだらない事に関しての意味も含んでいるわけだ。

 確かに色々な意味で残念な話だが、周りの反応は、自らの引き起こすものが殆どで、勿論この場合もそうなのだから仕方無い。

 行為実行者にも、この言葉は当て嵌まるのだが。

 人を呪わば穴二つ。愚者にはそれが解らない。

 

 長谷川豊をおりこうさんと揶揄したワタクシも、そう遠くない日に彼を賢者として尊敬できそうな希望を抱かせてくれる、そんなこの所の彼の動向であった。

 あとは、早めのチャンネル復活を願う(笑)。

皇后陛下のお気持ちに安堵とお労しさを思う

 皇族の方が初めて「生前退位」について言及なされたとの事。それも皇后陛下である。

 

 どうも宮内記者会が寄せた質問に文書で回答されたもののようだが、馬鹿な質問が並んでいたようだ。

 中でもワタクシがお労しいと感じたのは、次の一節である。

一方、「生前退位」という表現で報道されたことについては「衝撃は大きなものでした」と述べ、その理由を「それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません」と続けられた。 

 

 ワタクシが何度も何度も指摘してきたように、節度が有る方、知性が有る方なら、生者に対して「生前」などという言葉を使う事が尊厳を踏みにじるものであると感じる。

 ご皇族は日本人の中で最も知性や節度を保っていらっしゃる方々であるから、現に矍鑠としていらっしゃる今上陛下に対して、当たり前のようにそんな言葉が飛び交う世は、凄まじく異質に映ったであろう。

 「痛み」というお言葉に、お労しさを覚える事を禁じ得ない。

 

 しかし同時に、安堵もしている。

 やはりご皇族方には、知性が厳然とましましていらっしゃるのだと。

 そして、そんな言葉を絶対に使うまいと己を律した事に。

 自分たちの利便さで他者の尊厳を踏みにじるような言葉を使い倒せる人間でなかった事に。

 

 参考)「生前退位」に関する指摘は、単独記事では以下の2回でやりました。