昭和唱和ショー「アーノルド・パーマー」
アーノルド・パーマーの訃報を聞いて、あの傘のマークが先ず浮かんだ人は多かったろう。
ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤーらと「ビッグ3」と呼ばれる一時代をプロゴルフ界で築いたが、当時はまだ日本でのゴルフは完全に富裕層だけの遊びで、その頃のパーマーのゴルフを見ていた人は、かなり限られていると思う。
だが、昭和40年代後半に、日本でも小学生すら名前を知っている存在となってしまう。それは、昭和47年、レナウンによって例の傘マークが大々的に宣伝されたからだ。
レナウンということは、日曜洋画劇場をご覧だった家の方は、特によくCMをご記憶なのではあるまいか。
だが、傘ブランドはアメリカでは昭和36年からのものであり、実は日本でも、47年よりもっと早くお目見えしていたのだ。
日本で最初に扱ったのは東レだったのだろう。パーマーが出た東レのCMをご記憶の方もいるようだ。
この時は、ゴルフウェアだけだったのかもしれない。
TBSラジオで森本毅郎が朝やっている番組で、昨日だか、街行く人にパーマーブランドについてインタビューしていた。
中で70代の女性が、ミニスカート履いていたとか言っていたが、レナウンが始めてからはそのような商品も加わっていたのだろうか。
ワタクシの記憶では、なんと言っても靴下だ。レナウンが始めてすぐの頃になるが、傘マークの靴下を履いていたら、「アーノルド・パーマーだ」と同級生に指摘された。
全然知らなかったが、「まあな」という顔をして話を合わせていたのだが、まあまあ良い品だという評価で、ちょっと鼻が高かったものだ。
思えば、あの頃から我が家の経済状態も少し上向いていたのだろう。それほど高い物ではなかったと思うが、一応はブランド物であるから、安物でもなかったはずだし。
レナウンが扱ってからは、とにかく親しみ易さが最前面に出ていた気がする。
無茶苦茶な高価でもなく、我が家でも買えるくらいのブランドで、しかも絵柄が一寸可愛いから、母親もつい買ってしまったのだろう。
当時から、女子、女性にも受け入れられやすかったのではないか。
だからだろうか、ゴルフでは大きく突き放したニクラウスも、ブランド展開では、少なくとも日本では、パーマーにかなり負けていたと思う。
ゴールデンベアは、ワタクシも買う気にならなかった。ましてゴルフをやらない層には、なかなか手を出しづらいブランドではなかったか。
おじさん向けという先入観もついてしまった。
一方のパーマーは、先のラジオで知ったが、知らぬ間にリブランディングしたとかで、今やむしろ若い女性に愛されるブランドとなっているという。
そして、家族向けブランドともなっているのである。
プロゴルフ由来のブランドが、こうも長く、広く、しかも異国の地で愛されるなんて、なかなか稀有な例であろう。
*1:昭和40年3月17日付読売新聞