貧困やらせ問題に絡めて我がブログ活動の原点を語る
貧困問題で、NHKが女子高生を巻き込んでしまったようだ。
ワタクシが考えるに、これはNHK側が一方的に悪い。
日本に於ける貧困問題にきちんと取り組まず、安易にお涙頂戴式で数字取れれば楽だなという感覚で作ったのだろうから。
巷間よく言われることだが、ワタクシも昨今の貧困報道には些かの違和感が有った。身の回りを見回しても、そんなに問題にするほど貧困者がいるかなあという感じだからだ。
ワタクシが子供の頃は、いかにも貧乏人という家庭は我が家も含めていっぱい有ったが、それでも「貧困」とはまったく思わなかったし、まして現在に於いておや、という感覚である。
この違和感の正体に、漸く少しだけ近づけそうな手掛かりを得た。
つまり報道で使われている「貧困」という言葉には定義が有り、それで日本の場合を算出すると、4人家族だと月収25万円の家庭で「相対的貧困」に当て嵌まるのだという。
たしかに4人家族で手取り22万円というのは、苦しい数字だと思う。昔の我が家のような貧乏な家なのかもしれない。
でも、それって「貧困」という言葉で表してしまって良いのかと、貧乏家庭だったワタクシなんぞは思う。
共働きしたり、中学生以上の子がアルバイトしたりすれば、余裕だって持てるのではないか?
今回の場合で言えば、仮にもNHKのドキュメンタリーであれば、きちんと「貧困」とは何かを定義から解説し、なぜ日本でそのような「貧困」が増えたのか、そこを抉るべきだったように思う。
それをせずに、安直に女子高生を出せば同情を引けるだろうという作りにしたことが、全ての原因であろう。
いたいけな女子高生を追い詰めるような阿呆はまさかいないだろうが、追求するのであれば、そのような安直なドキュメンタリー制作姿勢を指弾すべきである。
ところで、ワタクシはブログを幾つも持っているが、過去に随所で書いていたように、それらは全て、「未来の日本人(であった人々)」に向けて書いている。
そもそもは小泉政権時に、ああした政策を行っていく以上、日本でもいずれ貧富の差が問題となるであろうし、下手をすると日本という国柄を根幹から破壊されるところまで行ってしまうかもしれない、という猛烈な危機感があった。
なぜ猛烈に危機感を持ったかと言えば、大多数の日本人がそうした危機感を持たずに、小泉を礼賛するのみだったからだ。
2ちゃんねるなんか酷いもので、小泉礼賛の書き込みで溢れかえっていた。
それが徳政を行った為政者ならともかく、日本人に痛みを押しつけてアメリカ様に媚びへつらう政策なのに、だ。
その結果としてアメリカの人々が多少でも救われるなら、ワタクシも痛みに耐えたかもしれないし、2ちゃんでの礼賛も看過していたろう。
だが、アメリカはアメリカで、なんの変化も無く一般人は収奪され続けている。
日本人より間が抜けていたアメリカ人も、事ここに至ってようやく少しずつ気付く人が増えてきたのが、サンダースだのトランプだのの台頭に繋がっているわけだ。
では、一般的な日本人やアメリカ人から収奪された金はどこに消えているのかという話も、過去記事で少し書いた事が有る。
さて、2ちゃんでは勿論名無しさんとして、小泉礼賛一辺倒だった空気に楔を打ち込む書き込みを行い、様々な言葉を駆使して、本当にわずかではあるが、一辺倒でもなくす事には成功したと思っている。
ワタクシの造語と言える表現が週刊誌の書き手などに使われるくらいだったから、自惚ればかりでもないだろう。
一方で、兎にも角にも政策は実行されているのだから、そう遠くない将来に日本には今より貧しい人々が増えるであろう事も考えていた。
我が本拠ブログの方は、実は、そのような危機感の下に始めたのだ。
もう始めて十年以上が経過しているが、その事は折に触れて書いていたような気がするし、常連さんへの私信でも書いた事が有る。
で検索してみたら、こういう表現が見つかった。
ここを始める際にワタクシが最も強く意識していたのは、
読者を未来の日本人に想定するという事です。
家庭用VTR普及前は消えモノだったテレビ番組に関する情報を、
記憶によって語る事により、残像だけでも残そうという、
史料としての語り残しという点は、当然第一にありました。
しかしそうした文化史料的な観点だけでなく、
もう少し感傷的な意味合いも持っていました。
話せば長くなってしまいますので、その辺は、
いずれ開設するであろうニュースエッセイブログの方で、
折に触れ綴っていく事としますが、究極、
貧しいという事だけでは人は必ずしも不幸ではない、
例えば今に比べれば経済的に落ちる生活の中にも、
実は今より確かな幸せを耕す事も可能なんだよ、
という事を未来の日本人に語りかけたかった、
というのも、ここの大きな存在理由なのです。*1
「ニュースエッセイブログ」というのは、ここの前身である初代無駄無駄の事であるが、この文意は、ワタクシの実体験に基づいている。
先にも書いたように、我が幼少期は貧乏と言える生活だったが、その時その時には恥ずかしいと感じた事も多々有ったものの、振り返ってそれが不幸だったとは、まったく思わないのだ。
それは何故かと言えば、先ず最も大きいのが、両親がきちんといてくれた事。特に母親だ。
とにかく貧しかったせいなのだろうが、二人は年がら年中、子供の前で喧嘩していた。前でしたくなくとも、八畳一間だからどうしようも無い。
ワタクシは、いつか両親が別れてしまうのではないかという不安を幼少期に抱き続けていたし、父親が友人に相談に行くのに付き合わされたことも有る。
道中、馬鹿な親父は、「お父さんとお母さん、どっちが悪いと思うか」と聞いてきた。
まだ就学前のワタクシには、二人が何を言い合っているのかなど一片もわからなかった。ただ怖れていただけだ。
ワタクシは、「両方悪い」とポツリと答えた。
しかし二人は、結局別れなかった。
そのうちに病弱だった母の体も安定し、パートに出掛けられるようになって生活も上向いてきた。
そうなると、ワタクシが成長して仲裁するようになれたというのも有ろうが、酷い喧嘩も、父親の悪酔いも無くなっていった。
二人は80を目前とした今も非常に頑健で、二人で国内全県制覇をしてしまった。
あの頃、もし短慮に別れてしまっていたなら、そんな収穫を人生の秋に得られたのであろうか。
父親は、基本的に暴力を母親に振るった事は無かったし、経済観念はしっかりした人間だった。これも大きかったに違いない。
ワタクシの昭和時代の思い出は、このように、曇りや雨の日も有ったけれども、概ね薄日の差す薄曇りであって、晴れがましくはないが歩くには不自由しなかったと思っている。
そして子供の動力というのは素晴らしいものであって、少しくらいの貧しさは、それだけでは不幸と思わないのだ。
子供が不幸と感じるのは、もっともっと根源的な部分にあるのであって、貧乏になってしまう将来の日本人に、ではどのような心持ちとなれば良いのかの手掛かりを与えるために、あの本拠ブログを始めたのである。
ワタクシ自身もそれを再確認させられるようなほのぼのとした思い出が届くと、あそこを始めて良かったなあとしみじみ思うのだ。
ワタクシは、だから日本は貧乏で良いと言っているわけでは勿論ない。
だからこそ、あの頃も小泉礼賛の空気と戦い、今だってアンチグローバリズムの旗を掲げ続けているのである。
しかし、結果として日本人は、自ら喜々としてあのような政策を支持してしまった。従って今の結果は受け入れなければならないし、次に繋げなくてはならない。
巷に溢れている「貧困」を在り来たりな不幸として切り取って扱って、それで得られるものが有るのだろうか。
それを楽しむ術も、真の不幸とならぬ為の心遣いも、そこから脱するための正答も、どれも昭和時代に詰まっている。
ワタクシは、回顧のためだけに昭和昭和と言っているわけではないのである。
*1:2008/10/13