無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

皇統弥栄でない連中が今度の朝生に出演

 明日深夜、土曜早朝の『朝まで生テレビ』で、小林よしのり高森明勅竹田恒泰が直接対峙する。 

 『生前退位』対『生前譲位』。女系派 対 男系派。

 どちらも皇統弥栄が最優先ではないであろう事は、「生前」という言葉を用いることに現れるという事は既に書いた。 

 

 昨今の物言いで非常に解せないのは、悠仁殿下を皇位に就かせまいとする連中がいる事だ。

 敬宮殿下は確かに男系女子だから、皇位に就かれても伝統から外れてしまうものではない。

 しかし皇祖天照大神以来、皇統を継ぐ女性は男系男子と婚姻するか、生涯未婚を通さねば伝統を完遂できないのである(天照大神も未婚)。

 もし敬宮殿下が皇位にお就きあそばした場合は、そのような問答が世間に巻き起こることは必定で、敬宮殿下やお相手は勿論、民にとっても不幸な事である。

 才能が豊かと伝えられる方でもあり、そういう才を活かす活動に従事される方が皆が幸福に近づく気がするし、皇室は不自由でお可哀相と思うのだったら、特に女性は、臣籍降下の方へとお導きして差し上げるべきだろう。

 

 逆に女系継承を今の段階で認めようとすれば更に紛糾するのは必至で、その辺は陛下も恐らく察知されていらっしゃるであろう事は女系派連中だって解っているはずなのである。 

 野田内閣当時に、継承問題は取り敢えず置いての女性宮家問題を取り扱っていたが、その際に宮内側からは、複数の案が打診されていたという。

 つまり、ワタクシのような皇統弥栄派(なるべく多くの選択肢を全否定せず男系を優先する)から見たら非常に妥当な案が俎上に昇っていたことになる。

 こうした事も悠仁殿下の存在も無視し、悠久の歴史伝統も「男尊女卑」と一言に切り捨ててまで、とにかく敬宮殿下を天皇にしてからの女系継承にのみ固執するのは、一体なにが目的なんだか。

 

 もし敬宮殿下が皇位に就けば、年齢的にも系統的にも、悠仁殿下が皇位に就くことは難しくなる。今ですら、皇太子殿下の次に秋篠宮殿下では年齢が近くて駄目だなどと申す輩がいるくらいなのだから。

 民に安寧をもたらそうと秋篠宮両殿下がお見せになった決然としたご覚悟を無為にして、それで恬としていられるというのが、昨今の女系派である。

 旧宮家への物言いを見ても、惻隠の情とかに属する心情を持たぬ、畜生に近い輩と言わざるを得ない。

 そうして、そういう者は、今上陛下が素晴らしい方だから支持するのであって、過去の血統などは眼中に無いと公言する。

  

 こういう連中は、もしGHQが皇室を廃止していたなら、その場合の元の天皇ご一家など歯牙にも掛けていないであろう忘恩の徒であるから、よくよく注意しなければならない。

 今は一見すると親皇のようにも見えるかもしれないが、なんの事は無い、自分が気に食わない人間になったら天皇なんか知らないと言い出しかねない論拠であって、これは看過してはならない事である。

 現実に、ご皇族の中にも物議を醸すお方は度々お出になるわけだが、それをもって皇統を否定するなど左翼の物言いと同じであるし、更に言えば、実は連中が激怒していた、皇太子殿下排斥派とも同じ主張だという事も気がついていない。

 彼ら(廃太子派)は彼らにとって皇太子殿下が天皇に相応しくないと考えて廃太子を主張しているのだから、今上天皇のお人柄を敬愛するから天皇を支持するのであって皇統は知った事ではないとする者と、生地を裏返して見た模様のような様相と、ワタクシは憶える。

 

 一方の竹田側の目的は、自分の宮家の皇籍復帰なわけだから、判り易い。

 自分のお家の名誉を回復したいと願うのは、子孫として当たり前の感情のように思う。

 女系派に拠れば、皇族というのは自由が認められないお可哀相な存在であり、好き好んでなる人間なんているはずが無いという。

 だがそれでいて、竹田恒泰に関しては、自らお可哀相な地位になろうという憂国の人とは捉えないのだな。

 とにかく女系派の主張は恣意的で目茶苦茶な論理展開ばかりなのだから(悠久の伝統に逆らうのだから理の当然としてそうなる)、ワタクシから見たら破折は赤児の手を捻るより簡単なのだが、なかなかそれをできる人材が男系派にいない。

 

 おそらく朝生のようなテレビ番組では、小林よしのりのタレント性に引き摺られてしまうのがオチだろう。

 竹田恒泰も幾らかテレビ慣れしているとは言え、昨今の知性絶滅した日本民衆には、刺激的な物言いをする人間の方がウケるのではないかという懸念が有る。

 しかし、有史一千五百年の伝統は、知性などという些末なものを凌駕する力を持っている。

 だから先日の小林も出演したニコニコ動画の番組のような、多少は皇統について知っている人間が集まる場では、男系支持と女系支持がほぼ同数という割合に拮抗する。

 これが一般的な民衆へのアンケートだったら、何も考えずに女系でも良いと答える人間がもっと多いのではないか。

 つまり皇室・皇統への理解が深まれば、如何に皇室の伝統というものが稀有な人類の財産なのかが迫ってくるという事なのだと思う。

 

 女系派連中もそれが解っているから、なるべく皇統に関して解説しないのだろう。

 天照大神が女系だとか、女系継承の実例は有るだとか、およそでっち上げとか嘘八百としか言えないような主張を平気でするのも、高森明勅が敢えてそれに解説を加えず看過するのも、なんとか民衆に女系を納得させようという誑かしである。

 それが女系しか選択肢が無いという情況でなら、まだ微笑ましく見ていられるが、男系継承の方策が残っている段階でひたすら女系に走る意図はなんなのか、非常に不可思議なものが有る。

 有史一千五百年、先達が守ってきたものを可能な限りお守りするという事は、ご皇族は勿論の事であるが、我々だって意識すべき事なのではないか。

 此度の一連の紛糾は、それを日本人に意識させる歴代天皇のご英知なのであろうとワタクシは拝察している。

 

 だから我が新典範考は、ワタクシは諸々の存在に向けて書いていたのだが、表層しかなぞらえる事のできぬ無道心のものには、やたら慣れない敬語を使おうとした回りくどい文章としか映らなかっただろう。 

 これは知性絶滅した現今の日本人など、実はあまり当てにしていない。

 そもそも生きている人間が死んだらどうすべきかなどという話は、通常のただの著名人であれば、間違い無く有り得ない話である。

 例えば大橋巨泉が「遺言」を残していたが、それを受けてですら、まだ生きている段階で巨泉が死んだらどうこうなどという話をしたら、世間的には顰蹙を買うだろう。

 いくら現今の日本人でも、まだそのくらいの慎みは残っているのではないか。

 

 だが、天皇という存在は日本の象徴であり、その行く末が日本の在り様にも関わってくるので、一般的な著名人とは異なってくる。

 とは言え、死を前提とした話は、相手が天皇でなくとも誰であれ、最大限の畏まり、慎みを以て話すべきだというのが、古い人間となってしまったワタクシの持つ常識である。

 「平成天皇」と記述しようが「どうでもいいこと」と、かつては言葉の専門職であった「作家」が恥も外聞もなく世間に向けて書き殴り、「生前」譲位・退位だのと親皇を自称する連中が口にする知性絶滅の世であるから、そうした連中はあまり眼中に無かった。

 ワタクシは、「知性」にのみ語りかけたのだから。

 

 尤も、口で絶滅絶滅と言うのは、そうあって欲しくないという裏返しでもある。「死にたい」という人間は「死にたくない」のと同じなのだ。

 朝生にはそうした面での期待は全く、完璧に出来ないが、また見た後に感想も書いてみたい。