無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

恥痴呆談「安倍首相の改憲メッセージ」

 安倍首相(自民党総裁)は、3日で施行70周年を迎える憲法をテーマに読売新聞のインタビューに応じ、党総裁として憲法改正を実現し、2020年の施行を目指す方針を表明した。

 改正項目については、戦争放棄などを定めた現行の9条1項、2項を維持した上で、憲法に規定がない自衛隊に関する条文を追加することを最優先させる意向を示した。自民党で具体的な改正案の検討を急ぐ考えも明らかにした。

 

G「ほ~。とうとう年限を切って言及しましたか」

ご「改憲派が3分の2を越えた(笑)って言われた選挙が終わって、どれだけ経って腰を上げてるんだよ、これだけの大掛かりな事。

  安倍が急に腰を上げる気になったのは、こんな報道が前日の朝に有ったからだぞ」

 

施行70年を迎え、いまの憲法が「日本にとってよかった」は89%に上ったほか、憲法改正については、憲法を「変える必要はない」は50%(昨年調査は55%)に対し、「変える必要がある」は41%(同37%)だった。 

 

 G「あら。変える必要が無いが半数ですね。しかも、”今の憲法が良かった”が9割ですか。でも、朝日新聞の調査ですしね(笑)」

ご「ま、それは有る(笑)。”朝日新聞ですが”と言われて応える気になる人の集合体だから、それが日本人を正確に反映しているかというのは疑っても良いな(笑)。

  とにかく、今なら憲法改正の動きをしても実現しないだろう。何しろ米朝の話で、これだけキナ臭い報道が飛び交ってるんだから。

  わしに言わせれば、”ねーよ!”って話ばかりなんだけど、なにしろ”ホンモノは誰だ”状態の世界だから、みんな怖がっちゃう(笑)」

 

G「あなたが”ホンモノは誰だ”って書いたら、急に日本でもアメリカでも、そういう観点の話が表でもされるようになりましたね(笑)」 

ご「いちばん笑ったのは、当のトランプがこんな事を言った時だな(笑)」

 

トランプ氏は、金委員長が正気なのか否か「見当もつかない」としながらも 

「彼は明らかに非常に手ごわい人々、特に将軍らを相手にしている。しかもとても若い年齢で、権力を手にすることができたのだ」と述べ、「叔父にせよ誰にせよ、大勢がその権力を奪おうとしたはずだ。だが彼は守り切った」と語った。「よって、なかなかの切れ者なのは間違いない」 

 

G「あ~。正に、お前が言うか?ですね(苦笑)」

ご「な?(笑) ”正気なのか否か見当もつかない”のは、お前もだよ!って(笑)。 わしが”ホンモノは誰だ”って言ったら、スッと自分は司会者の顔してさ。違うっつーの。あんたもホンモノさん候補なんだよ(笑)」

 

G「彼は金正恩を刺激しない方向に行きだしたようですね」

ご「暴発狙いが上手く行きそうも無いと言うか、中国の働きかけが一定の効果あったようだと判断したんだろうな。

  しかし、それでも”切れ者”はねーだろ。”キレ者”ではあるかもしれんよ」

 

G「嫌な感じで上手いですね(苦笑)」

ご「だから、わしは思ったの。≠が≠を見ると、まともに見えるのかなと」

 

G「また”等号否定ジルシ”ですか(苦笑)」

ご「ほら、わしがよく使う例えなんだけど、歪んだ鏡に物を映したら、その物は歪んで見えるわけ。でも、歪んだ鏡に歪んだ物を映したら、具合によっては、まともに映って見えるのかもしれない(笑)。

  だから≠の人が≠の人を見ると、正常に見えたりもするんじゃないか?(笑)」

 

G「なるほどね(笑)。

  脱線しましたが、そういうキナ臭い状況だから、人々は改憲に動かないだろうと安倍さんが判断したって事でしたね」

ご「そうそう。わしはずっと前から、こういう動きをするだろうって予想していたから。先の”ホンモノは誰だ?!”の稿でも、こう書いたけど」

手続きまではやる気満々だろうけど、本旨たる改憲そのものには絶対に手を付けないって。だって、それなら解釈改憲するわけが無いから 

 

G「つまり、今回やる気を見せているのも、改憲が通らない世情だから、手続きだけで済むだろうと踏んでいると」

ご「ああ。もっと前に、わしはキッチリこう予測したわけ」 

あれが改憲を悲願としているかのように勘違いしている者も多いが、あれは当たり障り無く勤めて自分の名を残したいだけだよ。

だから、改憲手続きはやりたい。初めて手を付けた男としてな。だが本気で改憲したいなんてこれっぽっちも思っていないから、解釈改憲なんて事を恥も外聞もなく出来る。 

 

G「初めて手を付けた男として、改憲手続きはやりたいと。でも、本当に改憲はしたくないんだと」

ご「今はな。こないだの朝まで生テレビで、田原総一朗が言っていたよ。安倍が田原に、”もう改憲の必要は無くなった、それまでアメリカがうるさかったからやろうとしたけど、解釈改憲したら何も言わなくなったから”と言ったとな」

 

G「あれ? それも以前、あなたが言っていた通りですね(苦笑)」

ご「これな」 

わしはとっくの昔に看破しているが、奴は解釈改憲した時点で、改憲なんか眼中に無いよ。アイツが改憲改憲言っていたのは、アメリカがうるさくて困ってるんですよって事だったんだよ。解釈改憲してアメリカが何も言わなくなったから、アイツにとっては『改憲? 何それ、食べられるの?』って話だよ。とにかく怯懦な坊ちゃん体質だから、面倒な事にはなるべく関わりたくないんだ。改憲だって、アメリカがやいのやいの言ってきて面倒だったから俎上に載せていただけだよ。

 

G「まるでアメリカ政府関係者みたいに、そのまま描写してますね(苦笑)」

ご「世の事象から方程式を組める能力が有れば、見える部分からでもかなり踏み込んで見える。勿論、見えない部分も多いけど、代数が一つ二つなら、簡単に当て嵌められる。そして日本の場合、大体が見えざる変数Xにアメリカを入れれば、かなり方程式が解ける(笑)。あとは式を組めるかどうかなんだな」

 

 G「ふーん。よくわかりませんが、とにかく田原氏が言っていた事は、あなたが書いていたままだったのは確かです。

  でも、安倍さんは今回、かなり踏み込んで改憲に触れましたよ」

ご「だからさ、それを3分の2以上改憲派が取った(笑)、その時点でやっていたなら、わしは彼を見損なっていたと反省し、褒め称えるつもりだったよ。

  でも、やはり予想通りに、手続きだけで済みそうだなって見定めてから発言してるだろ(笑)」

 

G「まあねえ。でも、本当に改憲しちゃったらどうなるんですか」

ご「有り得ないね。先ず国会議員が3分の2も賛成しないだろう。先の総選挙でどのマスコミも馬鹿な連中だなと思っていたけど、公明党改憲勢力じゃないからな(笑)。

  でまあ、仮に3分の2いけたとしても、国民が駄目だ。金正恩がミサイルの一発でも誤射してくれないと目覚めないよ(笑)。それでも目覚めないだろうと、わしは踏んでるけど」

 

G「”一発だけなら誤射かもしれない”は、日本史上に残る名言でしたね。朝日新聞の面目躍如って感じでした(笑)」

ご「本当は笑い事じゃないけどな(苦笑)。

  とにかく、安倍晋三が考えている事は、歴史に名を残す宰相となりたいという事。それだけ。彼が猛烈な勢いで外国訪問しまくっているのも、改憲手続きをしたがっているのも、そういう事」

 

G「そして、ビデオメッセージが憲法記念日に話題になりました」

ご「なんで彼が2020年と年限を設けたかと言うとさ。良く言えば無垢な人、悪く言えば考えの及ばない人は、それだけやる気なんだと考えるんだろうけどさ(笑)。そうではなくて、森友問題だなんだと足場が怪しくなってきたから、自分に次もやらせてくれたら改憲できるかもしれませんよ、という人参なんだな(笑)。

  とにかく彼は総裁三選を実現したい。そうすれば宰相在位記録を作れるから(笑)」

 

G「なるほど(笑)。

  1項、2項を残しつつ、自衛隊を明記するという点はどうですか?」

ご「なにそれ? 戦力は保持しない。でも自衛隊は保持します。

  社会党が言ってた違憲合法論と何が違うの?(苦笑)」

 

G「つまり、自衛隊が違法な存在だと認識している日本人はほとんどいないのだから、9条を無くさない限り何も変わらないという事ですね」

ご「意味無いでしょ。なんで日本がイビツな国になっているかと言えば、自衛隊の事を違憲だと言う人間がいるからじゃないよ。

  外国軍である米軍に蹂躙されている、被占領国だからなんだよ。

  それを解消するためには、アメリカと対等な軍事同盟を結ばなければならないし、そのためには国軍を作らなければならないし、核武装だってしなければならない。

  そのためにはアメリカを含む諸外国の信頼を得られる情報公開等が保証された文字通りの民主主義を自力で獲得しなければならないし、そのためには、真っ向から国民に覚悟を問わなければならないんだ。

  そこをお座なりにして、とにかく改憲手続きだけすれば満足なんて奴は、ただの売国奴だよ」

 

G「うーむ。かなり論点が広がってしまいましたが、安倍さんがぶち上げた話には、あなたは違和感を持っているという事ですね」

ご「違和感なんて言ってないだろ。奴は自分の名を歴史に残したいだけの短慮な売国奴だって言ってるんだよ、わかりやすく言うとな」

 

G「はい。もう結構です(苦笑)」

 

 

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(64)

ダメおやじ

 古谷三敏の出世漫画で、週刊少年サンデーに長期連載中だったものの、一家の大黒柱をコケにするという、当時としてはタブーのような描写だったため、また、ギャグ漫画ならではのキツイイジメ描写も有り、あまりテレビ化には馴染まないものでした。

 東京12チャンネルが、大手雑誌の長期連載ものが手付かずで残っているのに目を付けたのかもしれません。12チャンネル初制作のテレビまんがとなりました。

 会社でうだつの上がらぬ男が、安月給のため、オニババと呼ぶ妻と一女一男の子供たち三人からも虐待を受けるという姿を描いたもので、当時はそれだけでギャグとして成立するくらい、”親父”という存在は絶対的なものと捉えられていました。

 

 関東地方では25分枠で放送されたため、開始主題歌はかなり早回しの1コーラスで、終了主題歌は流されませんでした。

 12チャンネルは当時、直接的なネット局を持っていませんでしたが、地方局などに番組販売され、そうした場合は30分枠で放送されるのが普通だったでしょう。

 その場合、開始主題歌は動画サイトなどでも見られる、レコードと同様の2コーラスで、最後に「やっぱりダメだった」という、おやじの呟きが入ったものとなっています。

 

 話の最後の方になると流れてくる、なんとも切ない歌が有ったのですが、これが当時話題となった”ゴッド・ファーザー 愛のテーマ”ではなく”バッド・ファーザー 愛のテーマ”という洒落たものでした。

 題名も洒落が効いてますが、歌詞と曲が頗る良く出来ており、このような地方局の注目されない番組に使われたのが勿体ないくらいでした。

 地方局30分放送版では、この歌の2番が終了主題歌として使われました。

 

 音盤は、キングレコードが独占で出しています。

 『チャージマン研』もそうでしたから、両作の制作会社であるナックと独占契約したのでしょうか。

 そう考えるよりも、共に注目されない番組だったから、ソノラマも手を出す気にならなかったと考えた方が無理が無い気がします。

 

 

小さなバイキング ビッケ

 『ムーミン』『ロッキーチャック』『ハイジ』などのズイヨーが、初めて日曜19時半枠以外に進出した作品です。

 バイキングのフラーケ族の頭目であるハルバル父さんの子供ビッケは大変な知恵者で、仲間達の困った事を、いつも機転を利かせて解決します。

 言ってみれば『一休さん』を先駆けるトンチ漫画で、恐らくこの番組の人気が、日本でのとんち本家である『一休さん』の企画に繋がったのだろうと思われます。

 

 日本テレビでの『おんぶおばけ』『冒険コロボックル』に続き、住友生命が局をフジに、枠を水曜19時に持ってきて新たに提供しだしたもので、こちらも”すみせいテレビメイト”の小冊子が契約家庭の子供に無料配布されていました。

 ”すみせいテレビメイト”は、この後、『アラビアンナイト シンドバットの冒険』、そして『ドカベン』まで引き継がれたようです。

 

 開始主題歌は一貫してましたが、終了主題歌は三曲が交代で使われていました。

 音盤は、先ず開始主題歌と、終了主題歌の一つである”小さなビッケと大きな父さん”の二曲シングルが出され、すぐ後に開始・終了主題歌の全4曲を収録したEP盤が、いずれも東宝レコードから出されました。

 東宝レコードは『ムーミン(新)』の時にも同様の音盤展開をしており、ズイヨーの東宝レコードへの協力が有って、終了主題歌が複数使われるようになっていたのでしょう。

 ソノラマもパピイシリーズで2曲収録のものを出しています。

 

 

ゲッターロボ

 永井豪が『マジンガーZ』に続けて出したロボットもの新機軸で、主人公たちが操る乗り物三機が合体の順番を変えると、それぞれ違った形のロボットになるという、漫画表現ならではのものでした。

 永井豪東映動画日本コロムビアのレコード・朝日ソノラマのパンチシートという不動の組合せです。

 

 

たまげ太くん

 石ノ森章太郎のギャグ調漫画『となりのたまげ太くん』を映像化したもので、5分間の番組として制作されました。

 『おはよう!こどもショー』の漫画のコーナーで放送されましたが、『こどもショー』以外の放送では開始主題歌や終了主題歌が放送される事は無くなってしまいました。

 音盤は、東宝レコードの独占となっています。

 これも非常に目立たない作品なので、他社は敬遠したのでしょう。

 

 

 

 

昭和唱和ショー「二本立て・三本立て」

Gさん(仮名)「今回のお題は、映画の話ですね?」

ごいんきょ「そうそう。二本立て興業とか無くなったろ。あの『風の谷のナウシカ』とか『うる星やつら』映画版にだって、同時上映の映画が有ったんだからな、あの頃」

 

G「特に子供向けの映画は、何本も見られるのが当たり前でしたね。なんで無くなったんでしょうか」

ご「と言うかさあ、そもそも映画興行で、複数同時上映っていう方が特殊だったのよ。それぞれ趣味嗜好も違うんだから、或る映画を目当てで行っても、もう一つも面白いなんて事はむしろ少ないだろ」

 

G「そうですよねえ。一つの映画だって外れが多いのに(笑)」

ご「な?(笑) それが二つも三つもとなれば、当然、更に質も落ちるわけよ。それで、どんどん映画の力が落ちていくって事は、当の映画関係社だって最初からわかっていたんだ」

 

G「では、なんでそんな羽目になったんですか?」

ご「元々、戦後の映画界は、大映東宝、松竹の三社が中心で、しかも緊密に連携を取って共存共栄していたんだ。二本立て興業も、この三社の間で、質の低下に繋がるからやめようという取り決めが有ったの。

  ところが昭和22年の秋に、この三社協定が独禁法に触れる恐れ有りと、公正取引委員会が審理しだしたんだな」

 

G「へえ。それはまた、なんでなんでしょうね」

ご「それが一寸調べただけだとわからない。映画館側か、はたまた制作他社側かわからないが、いずれにしても関係者が訴えたとしか思えないんだけどね。

  いずれにしても翌23年5月に、正式に違反と審決されたんだ」

f:id:sammadaisensei:20170429221450j:plain*1

 

G「大映、松竹、東宝は勿論、新規の日活はおろか、映画館側まで否定的な談話を残してますね。一体、誰がこんな問題を起こしたんでしょう?」

ご「もう一社、名前が出てない所が有るだろう」

 

G「………東映…ですか」

ご「もしかしたら…な。ただ実際問題として、この二本立て解禁で最も得をしたのは東映だったのよ。この審決を受けて、昭和25年頃からチラホラと二本立てが見られるようになるんだけど、東映はやはり非常に早かった。

  最も顕著になったのはGHQが出て行って時代劇をなんの遠慮も無く作れるようになってからで、二本立て時代劇で一時代を築くんだな。新興だった東映が、アッと言う間に三社に追いついてしまったんだ」

 

G「東映が二本立てをやりたがったんですかね」

ご「公取委に訴えたのが東映か、或いはその差し金かはわからないけれど、既存三社に対抗するために、二本立て興業はやりたかったはずだよ。とにかく東映の二本立てが当たり、各社とも嫌々ながらやらざるを得なくなってしまうんだ。

  昭和33年に、とうとう松竹の会長までが二本立て宣言をした事に、新東宝大蔵貢が懸念を表明している。『よそが二本立てを真似してきたらウチは三本立てでやりますよ。その体制はちゃんと出来てる』と東映専務に言われていたと。そうなると他社も追随するだろうが、その結果は恐るべきものになるとな」

 

G「実際その後、三本立て興業も普通になってしまいますね」

ご「そして大蔵の懸念通り、映画界は見る見る衰退してしまった。それも、肝心の映画がどうしようも無く質的低下してな。

  映画界が三本建て時代に踏み切ったのは、仲間内の競争だけでなく、”テレビ”という最大の敵に追い立てられた事も大きいが」

 

G「その後も、子供向けの映画では複数立てが当たり前でしたね、昭和時代は」

ご「子供は質より量ってとこ有るし、東映まんがまつりとかは、上手いやり方だったとは思うよ。東宝もチャンピオンまつりで対抗して。

  ナウシカとかうる星やつらにまで同時上映作品が付いていたのは、その名残なんだろうな」

 

*1:昭和23年5月14日付読売新聞

スーパージェッター カラー版OP

 本拠ブログでも書いたのだが、現在、ようやく積もり積もっているビデオの整理に着手中。

 自分でも忘れていたり、こんなの録ってたんだ!と、あの頃の自分を誉めてやりたくなったり(笑)、古いコートを取り出したら、ポケットから一万円札が何枚も出て来た気分。

 

 さて、取り分け貴重な一つが、スーパージェッターのカラー版OP映像である。

 ジェッターは非常に好きだったので、ビデオソフトという物が世に出回り出してからというもの、常に探し回っていた。

 初めてエイケングラフィティというソフトに収録された時も即レンタルしたし、レーザーディスクで全話収録された時には、これも即購入している。当時5万円近くしたのではなかろうか。ま、すぐに中古屋に売って、差し引きの出費は一万円くらいで済んでいるが。

 

 それから現在に至るまで、ついぞ、このカラー版OPが収録された事は無いはずである。

 前置きはこのくらいにして、動画をお届けしよう。

 

 これは38年くらい前?広島で再放送された物を全話(カラー版26話)ダビングして戴いた物だが、それも30年前の話になる。 

 もう30年前のノーマルVHSテープだというのに、非常に良好な再生状態なので良い意味で驚いた。

 OP以外でも、サブタイトル表示なども、いかにも当時っぽいもので、既存ソフトとは一線を画している。

 

 

 このテープを断捨離かたがた、研究者の方などにお譲りしようと思ったのだが、今時ビデオデッキを持っている人などいないのか、はたまた、こんな物をわざわざ欲しがる人がいないのか、いまだに問い合わせはゼロである。

 ま、気長に待っているので、お目に止まって気に掛かった方がいらしたら、気軽にお問い合わせ下さい。

 条件などは全て、こちら ↓ に書いてあります。

ビデオテープ引き取り者募集 - 私的 昭和テレビ大全集

 

 なお、そこにも有りますように、他にも続々と手放す予定です。

 今後の発掘予定としては、テレビ探偵団(初期:β)、テレビジェネレーション(テレビ探偵団の後継番組)、テレビの王様(テレビジェネレーションの後継番組)、 青春とはなんだ(但し3倍のため画乱れ有)等々。

 偏狭なヲタクさんに譲る気は無く(ヲタク=偏狭と言ってるわけではありません)、なるべく広く活かして下さる方にお分けしたいと考えています。

 ワタクシのようにブログ活動での発表でも大いに結構ですので、興味がございます方は上記ページの条件をよくお読みの上、お問い合わせ下さい。

 

 

(6/5追記)

 ジェッターに関しましては、無事に研究者の引き取り手が見つかりました。

 引き続き色々なテープの引き取り手を募集していますので、興味がございます方は上記リンクをたまに覗いてみて下さい。

 

 

漫画投句「野球漫画の系譜(1) 野球狂の詩 - 読切編(水島新司)」

 Gさん(仮名)「野球狂の詩、懐かしいですね。水原勇気カワイかったなあ」

ごいんきょ「ケッ!」

 

G「なんなんですか、ケッ!って(苦笑) 失礼だなあ(苦笑)」

ご「あのなあ。”野球狂の詩”の話をする時に”水原勇気”とか言い出す奴は、昭和漫画白帯のド素人なんだよ、わしのような人間に言わせれば」

 

G(そんな黒帯いらないなあ…)

 「それは申し訳ありませんでした。”野球狂の詩”についてお教え願えますか」

ご「いいか。”野球狂の詩”っていうのは、読み切り時代と連載化後と、二つの異なる話で構成されているんだ」

 

G「ええ。水原勇気編は、連載後の話ですね」

ご「わしに言わせれば、水原編なんて”野球狂の詩”とは似て異なる物よ。真の”野球狂の詩”というのは、毎回毎回、異なる野球狂達を掘り下げて描いていた、読み切り時代に他ならないんだ」

 

G「岩田鉄五郎の”ヨレヨレ18番”とかが描かれていた頃ですね」

ご「ああ。あの当時の”野球狂の詩”に、わしは物凄い衝撃を受けたんだよ。

  これは前にも書いたけど、それまで野球漫画みたいなものは有ったの。でも、それらはみんな、野球を媒体に使ったホノボノ漫画か、勝負漫画のどちらかに過ぎなかったんだ」

 

G「”バット君”とか、”ジャジャ馬くん”なんかがホノボノ漫画になりますかね」

ご「ああ、そうだな。そして、”ちかいの魔球”とか”黒い秘密兵器”などが、野球を題材に使っただけの勝負漫画って事になる」

 

G「”巨人の星”は、どうなんでしょう?」

ご「あれはマガジン編集部も、それまでより人間を描いたものにしたいという目的を持ってやったものだから、ただの勝負漫画にはなっていないな。と言って、やはり”野球漫画”とは言えない。かなりイビツというか、特殊な漫画だよ」

 

G「あなたの言う”野球漫画”って、なんなんですか?(苦笑)」

ご「文字通り、野球を描いた漫画だよ。普通のな。

  登場人物たちはみんな好きで野球をやっており、しかも野球の普通の試合もしくは真面目な練習が中心として描かれているという、今では普通に有る、普通に野球を描いた漫画だ」

 

G「普通の野球を描いた漫画が無かったんですね」

ご「無かった。その理由としては、これは今でも少し引き摺っているんだが、日本人は運動を楽しむという事に罪悪感を感じていたんだな」

 

G「罪悪感?」

ご「物凄くわかりやすく書くとそうなる。正常な人間は、世の中の役に立ちもしない事に血道をあげてはならないという感覚だよ」

 

G「娯楽を正面から満喫する事が憚られたんですね」

ご「一番大きいのは、先の大戦中の軍国主義の影響だがな。だが、それ以前から日本人はそういう性向を持っている。

  勿論、物事には両面が有って、それは例えば、仕事に真面目に取り組むとか、職人性とか、そういう事に結び付いてもいたわけだがな」

 

G「それで、野球… ま、野球に限らずなんでしょうけど、昔はそういう事を正面から楽しむ姿を描いた漫画が無かったと」

ご「ああ。低年齢向けのホノボノ風味を主軸とするか、娯楽性を入れれば、勝負を主体とした勝負漫画、さもなければ糞真面目に”道”を追求するような求道漫画しか生み出せなかった。

  野球の場合は特に、野球そのものがそういうものだったわけ。高校野球丸坊主でやらないといけなかったなんてのは、その最も解り易い具象例だな。”巨人の星”も極言すれば、勝負漫画と求道漫画の合体形だしな」

 

G「それを打ち砕いたのが”野球狂の詩”だったと」

ご「そう。だから本当に、物凄い衝撃を受けた。野球をこんなに活き活きと描くなんて、まるで新発見のように感じたよ。

  だから、わしは言うんだ。『水島新司は野球漫画の手塚治虫である』と」

 

G「最初の頃は読み切りで、毎回毎回、違う登場人物を題材にしてたんですよね」

ご「そう。週刊少年マガジンに、そうだな、二三週に一回くらいで載ったのかな。毎回、最後のコマが予告になってて、次回の副題と、何号に載るかってイラスト入りで告知されるの。それが凄く楽しみでね」

 

G「連載後にも活躍する岩田鉄五郎とか、国立とか、みんなそれぞれが主役の読み切り短編で登場していたんですよね」

ご「やはり老齢投手・岩田鉄五郎の”よれよれ18番”とか、歌舞伎御曹司がプロ入りする、国立主役の”スラッガー藤娘”なんてのは記憶に残るね。

  だけど、わしが個人的に一番好きなのは、ジンクスが主役だった回よ」

 

G「野呂甚久寿ですね」

ご「読み切り登場の時は選手じゃなくて、ただの野球好きの風来坊なの。だけど、コイツの言うジンクスが異常に当たって、メッツの選手たちは逆に調子を狂わせちゃうのね」

 

G「ジンクスって、なんなんでしょうね」

ご「ま、ゲン担ぎだよな。その頃はわしも子供だから、本当に不思議な言葉だったけど。

  で、その乞食みたいな風貌の男が言うジンクスが異常に当たるんだけど、メッツの連中はなんだか逆にムカついて、出入り禁止みたくしちゃうんだね。その時、オーナーのベルトが切れちゃうの」

 

G「ベルトが切れるっていうのも、あまり無い事ですね(苦笑)」

ご「そうなんだけど(笑)、それを影から見ていたジンクスが、メッツの連中を全員閉じ込めちゃうのよ、どっかの扉を閉めて」

 

G「あらら(笑)」

ご「でも、それでメッツの連中は遠征できなくなるんだけど、実は彼らが乗る予定だったその飛行機が墜落してしまうというね」

 

G「当時は飛行機事故もそれなりに有ったんで、そういう話も作られたんですね」

ご「それは、その乞食みたいな男、その時は名前がまだ無いんだけど、後に”野呂甚久寿”なんていうとんでもない取って付けの名前になっちゃうんだけどさ(笑)、とにかくソイツのジンクスに、ベルトが切れたら飛行機に乗るのは注意しろっていうのが有ったらしい(笑)」

 

G「随分と細かく、当て嵌まる機会の少ないジンクスですね(笑)」

ご「まあそうなんだけどさ(笑)。だけど水島新司の絵と筋運びで、これが堪らなく面白かったんだよな。

  次に好きだったのが日の本盛って投手が出てくるやつ。とにかく無類の酒好きで、グローブの中にビニール詰めの酒を隠していて、ストローでチュウチュウ吸うのよ、試合中に(笑)。

  あとは三週連続掲載だったかな、特別編って感じだった”北の狼 南の虎”とかね」

 

G「一つ一つの主役たちが、みんな個性を持っていて、しかも、どれもが野球をきちんと描いているんですよね」

ご「”きちんと”って言うと語弊が有るけどな(笑)。まあ、それまでの野球漫画とは一線を画していた。

  だから、わしは”野球狂の詩”と、これも同じ水島新司が始めた”ドカベン”、それにこの間ここでも扱った、ちばあきおの”キャプテン”が始まった昭和47年が、日本の野球漫画元年だって言うんだ。

  ”日本の”って事は、”世界の”って事でもあるけどな」

 

G「その三作が同じ年に始まっているなんて、これは本当に偶然とは思えないものが有りますね」

ご「ああ。BC・ADじゃないけど、野球漫画の紀元が昭和47年。これは昭和漫画昇段検定に出るから覚えといて(笑)」

 

G「ははは、わかりました(笑)」

ご「あと、”たそがれちゃってゴリ”なんてのも有ったなあ。ゴリラがメッツに入団するのよ。それでシーズン120本とかホームラン打っちゃうの(笑)」

 

G「もはや”野球狂”という括りすら越えてますね(苦笑)。

  次回は水原編を語りましょうか」

ご「チッ!」

 

G「そんなに水原編が嫌いなんですか(苦笑)」

 

 

酒とバカラの日々「トマーティン12年/シーバス・リーガル18年」

競馬

第155回 天皇賞(春)

f:id:sammadaisensei:20170430162132j:plain

  うーん… 3連複3-6-15だと思ってたけど、たった6倍そこらだものなあ。

 3連複で6倍とか、馬鹿馬鹿しくて買えないし。 

 

 

トマーティン12年 
トマーティン 12年 750ml 43度 正規品

トマーティン 12年 750ml 43度 正規品

 

  黄金のすごろくで貰った3000ポイント、以前ならdポイントの使い道があまり無くて思案したものだが、やまやがdポイント使えるようになったので、最早ウヰスキー一択となってしまった。

 3000円足しに出来るとなると、やはり12年物だろう。

 て事で探してみたが、まだ飲んだ事が無いもので、一度は口にしないとならない12年物で、しかも3000円台となると、コイツとなってしまう。

 連休の皮切りに新酒の蓋を切る。堪らないね。

 

 香りを嗅ぐと、やや複雑な感じ。支配的なのは甘い香りだが、微かにヨードっぽさも有る。

 うむぅ。一口啜ると、ジュラ10年にそっくりだなという感想。

 調べてみると、どちらもバーボン樽からシェリー樽と、2つの樽で熟成しているらしい。なるほどな。そりゃ似るだろう。

 しかし流石2年の差は伊達ではなくて、こちらの方が、かなり滑らかである。(ジュラ10年もストレートで問題無いが)

 

 丁度この記事を書いている時に玄関のチャイムが鳴って、宅配屋がウヰスキーを運んできた。

 来た! 憧れのシーバス・リーガル18年が!

 今日はトマーティンだけで終わらせるつもりだったが、連休でもあるし、この瓶を見ては我慢など出来るはずが無い。

 夜が更けたらシーバスの方も書いてみよう。

 

 

シーバス・リーガル 18年 
シーバスリーガル 18年 750ml [並行輸入品]

シーバスリーガル 18年 750ml [並行輸入品]

 

 て事でシーバスの18年である。

 12年を飲んだ時には、18年なんか飲める事は無いだろうななんて思っていたが、18年物スコッチにしてはお手頃価格なのだった。

 しかも、今やポイントの鬼と化しているワタクシは、楽天の毎日くじやゲーム、ポイントスクリーンなどで細かく稼ぎまくったポイントが3400ポイント程も有った。

 なので、その周辺のスコッチを探していたら、シーバス18年の中古酒で3800円というのを見つけてしまったのだ。この値段なら、送料を入れてもお買い得である。

 

 だが、一抹の不安も有った。

 ベンリアック20年の時に、少し贅沢したい時には中古酒は避けた方が良いという教訓を得たばかりではないか。

 だが、そんな教訓も、諭吉先生の説得力には及ばなかった。

 と言うか、諭吉先生がワタクシのところに来て下さらない。

 

 そんなこんなで結局買ってみた。

 ワクワクしながら栓を捻ると、なんの抵抗も無く上蓋が右手に残る。

 出た。話には聞いていたが、コルク栓ボロボロの刑に遭ってしまったのだ。

 瓶の口に、いまだ鎮座するコルク栓の胴体。

 

 ムカムカしながら良い方策を考える。

 だが、既にコルク栓はボロボロの状態で、何かで掻き出そうとするとその都度ポロポロと細かくなる。

 諦めて、中身をいったん大ジョッキに待避させ、瓶を空にしてから一生懸命コルクを掻き出す。

 なんでこんな思いをせねばならぬのだとムカムカしながら。

 

 ニッカを始め、コルク栓から撤退している所が多いのは、これが理由なんだろう。

 なんとかコルクを全て掻き出し、水でよく瓶を洗浄し、出来る限り水を切ってから漏斗を使って酒を戻す。

 大ジョッキからだから、どうしても脇から伝ってこぼれ落ちる酒が出てくる。

 こんな良い酒でこんな思いをする哀しさ、切なさが、下戸に解るか!

 

 気を取り直して一献。

 凄い。

 リッチ&スムースを売り言葉にしているシーバスだが、12年もさることながら、コイツは本当にスルッと入っていく。

 ストレートのウヰスキーが、まるでジュースのように美味い!

 

 勿論、それは或る程度は飲み慣れた人間での話だが、本当にクイクイ入っていく。

 アルコール臭さも、ピリピリ感も、殆ど無い。

 いやー。これはアカンわ。調子に乗って飲んでると、体を壊すぞ。

 良い酒は気をつけないと、量が嵩んでしまう。 

 

 それにしても気味が悪いくらいにスムースな飲み口。

 ジョニーウォーカーXR20年だって、こんなにスルッとしてない。

 シーバスはミズナラは勿論、12年も本当に売り文句通りにスムースである。一体、どのような秘訣が有るのだろう。

 スコッチに煙さを欲する人には、却って飲み易すぎるのかもね、シーバスは。 

挿しす世相史「永井荷風死去」

 昭和34年4月30日(木)午前8時10分頃、作家の永井荷風が、自宅にて吐血して亡くなっているのを通いのお手伝いさん(当時75)が気付きました。

f:id:sammadaisensei:20170429160146p:plain*1

 胃潰瘍による吐血と診断され、享年79でした。

 

 浅草のストリップをこよなく愛し、全財産を常に鞄に入れて持ち歩いていた様は、奇行と称する人もいました。

 昭和29年には、その大事な鞄を船橋駅で落としてしまい、奇特な米軍軍曹が届け出るという珍事件も起こしています。

 中には通帳や小切手などが入っており、総額1600万円と報道されました。現在の額にすると2億円以上の価値は有るのではないでしょうか。

 

 ストリップと言っても、日劇ミュージックホールのようなヌードダンスと称するものではなく、ロック座を取り分け愛したようです。

 最初はただの汚い爺さんと思われていましたが、ロック座の経営側にいた松倉宇七が荷風をたまたま見知っていたため、それからは木戸銭無用で出入りできるようになったのでした。

 そのうち『渡り鳥いつかへる』という人情劇(!)をロック座のために書き、自らチョイ役で出演するという事までしています。

 

 楽屋も出入り自由で、お風呂も一緒に入ったりしていたといいますが、踊り子と出来てしまうといった話は無かったようです。

 舞台が終わると踊り子たちを連れてご馳走したりしていたのですが、コメディアンなどが付いていっても、「私は男にはご馳走しません」と、峻別していたという事です。*2

 

 

*1:昭和29年4月30日付読売新聞夕刊

*2:「浅草で、渥美清由利徹三波伸介伊東四朗東八郎萩本欽一ビートたけし…が歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた。 」松倉久幸(ゴマブックス